小林 美穂子

生きるのが苦しいと感じたとき

「はじめて「死にたいな」と思った 中学1年」

はじめて「死にたいな」と思ったのは中学1年生の頃かなって。ちょうど、いじめがあって。冬ぐらいに、もう学校にも行きたくないし「生きてるのが嫌だ」って、そこから死にたい気持ちが強くなってきて。先生とか友達とか家族にも言えなくて、ずっと一人で抱えてる状態を過ごしていました。
小学校3~4年生の時も同じようなことがあって、その時は「ただ単に男の子たちがからかってるだけだろう」っていうふうにしか考えていなかったので。でも、学年が上がるにつれてその“からかい”が、靴の中に画鋲が入っていたりとかっていうふうにエスカレートしていって。
やっぱり学校に行くことで、嫌な人と一緒に教室の中で過ごすっていうのがすごく苦痛だったし、部活動でも、同級生の男の子からひどい言葉を言われたりとかして。もう学校自体が、私にとって「大きな壁」みたいな感じになってました。もう、休める場所が無いっていうか。逃げられる場所が無いなって。

「家族には話せなかった」

話そうと思っても、話せなかったっていうのが一番大きくありましたね。弟たちもまだ小さい中で、自分のことに手を掛けていられないのかなって。やっぱり喧嘩した時に「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」とか、日常的に親から言われてきたので、「ああ、ちゃんとしなきゃな」って。ずっと思っていました。
学校のことを家に持ち帰りたくないっていうのもあったし、心配かけたくないっていうのもあって。一度だけ「もう学校に行きたくない」っていうのを親に言ったんですけど、「行きなさい」って…なんか…言われて。こう、自分から発したSOSを、なんか…否定されたっていうか。なんか「それだけじゃ、休んでられないよ」みたいな、そういうメッセージを受け取ったかなって思います。
例えば「きょう学校でこんなことがあったんだよ」って話せたら、もっと親とのコミュニケーションも取れていたかもしれないですけど、それ以前にもう、小さい弟たちのことで手一杯なので、言える状態ではなかったのかなって。

「10代の頃からの夢『管理栄養士』」

中学の頃から「管理栄養士になりたい」って思っていて。元々料理とかそういうことをするのが好きだったので。 最初はパティシエになるのが夢で、そこから段々自分の中で考えが変わっていって。そういった食に携われる仕事に就きたいなぁと思った中で、色々調べていくと、管理栄養士とかが良いのかなって。
お家で手伝いをしたりとか、ちょっとでも「手伝ってー」って言われたら、嫌々ながらだったんですけど、やってましたね。あと学校が休みの日には子ども向けの料理教室に行くようになってから、「何か作るのが好き」っていうのが、段々芽生えてきたかな。
管理栄養士って、病院勤務とかになったら多分、患者さんの中には食事制限のある方もいるだろうから、その中でもやっぱり美味しいものを提供して、食べる時間だけでも、ほっとできたら良いなっていう気持ちでいました。やっぱり元にあるのは、誰かを喜ばせてあげたい、っていう気持ちが大きいのかなって思います。

「高校3年 夢を叶えるため進学を希望するも−」

自分は進学したい、けど親は就職させたい、って。高校に入る前は、親も「頑張ってね」みたいに言っていたけど、3年生になっていざ決めようってなった時に「やっぱり就職させます」って、三者面談で言われた時には、「えっ?」って思って。
自分が思い描いていた「管理栄養士になりたい」っていうのがあって、じゃあ高校卒業して大学はどこに行こうかとか、学部はどんなのがあるのかな?って、高校1年生の時からオープンキャンパスとか行ったりパンフレットを見たりして、想像は膨らませていたのに。大きなショックはありました。
結局、三者面談の場では、自分はどうするか?っていう進路は決められなくて、夏休みが終わる前に先生から「進路どうするんですか?」って聞かれた時に、もう「進学します」ってとてもじゃないけど言えなかったので、「就職します」ってひと言…発して。
きつかったですね。自分自身が一番悔しいと思うし、そこで自分の道を突き進んでいたら、多分、いまとは違った道を描いていたのかなって思うと、やっぱり、間違ってたのかな?って。もうちょっと自分の意志を、固い状態でぶつけたら良かったのかなって。

「せめてもの思いで飲食業界に就職」

自分は進学する気でいたので、「就職する」って決めたけど、何を軸にっていうのはぼんやりとしか無かったですけど、一つあるとしたらやっぱり、何か食に携わる仕事がしたいっていうのが諦めきれなかったので、そこを軸に。先生と求人票を見てみて、ここがいいかなっていうのは選びました。

高校卒業してからすぐ社会に飛び出すってかたちだったので、働くっていうのがどんな感じかっていうのが想像もできなくて。高校卒業して入社式が終わってからすぐ、研修場所に移動して1週間、同期と住み込みで朝から夜まで。その職場は、店内での食事もできるし、お弁当の持ち帰りとかもできるところだったので、いろんな料理があって、その中で具材が何が入ってるのかっていうのを、全部覚えなきゃいけなかったので、毎日テストをして、点数が良かった人から順番に、紙で点数を貼り出されて「成績の良い人、悪い人」みたいな。学校の延長線上にあるような感じでしたね。なんかこう、社会に出ても成績を付けられるのか、みたいな感じでした。「テストをするのも仕事のうち」だったのかなって。

メニューも覚えなきゃいけないし、値段も覚えて。料理に入ってる具材やら何やらを全部頭の中に入れて。「これが入ってる」「これが入ってないです」っていうのをお客さんに説明できるようにって言われていたので。もうそれだけで頭がいっぱいなのに、接客するってなった時に、やっぱりずっと笑顔でいなきゃいけないので、余裕が無くても笑ってなきゃいけないっていうのは…元々人間関係を築くのが苦手な自分にとっては、さらにしんどかったです。

「はじめての就職先 心身が限界に」

1年ぐらい経った時に、身体の調子がおかしくなってきて、精神的にも、結構不安定な状態が続いていて。病院で「うつ状態ですね」って言われて。自分自身はもう…身体も心も限界に達してたので、「休ませて下さい」って主治医には言ったんですけど、「いや、もうちょっと働いてから診断書を書きます」って言われて。無理して働いていたんですけど、もういよいよ仕事にも行けなくなって、休む日が多くなって。もう一度先生に言ったら、診断書を書いて、休職して。1ヶ月半ぐらいトータルで休んで…辞めるってかたちで…。慣れない仕事をこう、無理してやり続けていたからかなって思います。自分が思っている以上に、身体も心も休めていなかったのかなって。

「20歳 転職し全国チェーンの飲食店でアルバイトスタッフに」

調子を崩した直後だったので、自分が働きたい日数とか日を選べることを重視しましたね。前のところと違って、接客もありつつ、厨房で商品を作ったりっていう仕事ができたので。やっと作れる立場に…なれた、みたいな感じでした。
最初は難しいなとは思っていたんですけど、段々作るスピードも早くなってきて。「すごいじゃん」「できるじゃん」とか言われて。接客に立つようになってから、常連さんの顔を覚えることが増えてきて、例えば飲み物だけ買いに来られると、「今日これだけで大丈夫なんですか」とか、他愛もない話ができるようになってきて。

「勤めて約4年 店の運営も任されるように」

一番上の役職に就いた時に、いままでやっていた業務に加えて、お店の運営とかもしていかなきゃいけなかったので、そこでお金の管理とか、急に休みの子が出た時の代わりを探さなきゃいけないっていうことをするようになって。最初は「頑張ってやるぞ」っていう気持ちではいたんですけど、頼まれる仕事も段々増えてきて。
他の後輩たちと比べても、やる仕事の量は多くて。その場その場ですぐ即決して決めなきゃいけないこともあったので。なおかつ厨房にフォロー入ったりとか接客のフォローに入ったりとか、本当に…忙しい時には休まる時間が無くって。お水1杯飲むこともできなかった時もあった。本当にぎりぎりの状態の時はその余裕すら無くて。それでも、「しんどいけどやらなきゃいけない」っていう気持ちのほうがやっぱり強かったので。しんどい気持ちを隠して、仕事をずっとしていました。

「休日や年末年始も多忙な職場」

一応自分が休みたいって思う日は、あらかじめスケジュールに出していたんですけど、どうしても土日・祝日に人が足りない時には「ごめんけど入れない?」っていうことが少なくなかったので。「じゃあ出ます」っていうことが多くて。グループラインで「急用が入ったので代われる人いませんか?」とか、ずっと流れてきていたので。通知は切っていても画面には残るので、それを見る度にもう、憂鬱になってきて。
先輩から電話が掛かってくると、さらにしんどくて。「何でこれできてないの?」「休みで申し訳無いんだけど、ちょっといまから来れる?」みたいな感じが…あったので。私以外にも頼める人がいるのに、そこまでして…私に頼るのかな?って。何のための休みなんだろう?って。

アルバイトとして働いていたけど、アルバイトの中での役職が一番上だったので、正社員に近いような立場だった。一応、社会保険とかは入ることはできていたので、そういった福利厚生はあったし、有給も…取れなくはないというか。申請すれば多分通してくれるとは思うんですけど、なかなか言いづらい状況下ではありました。一時期は、代わりに出た日の振替休日はあったけど、それすらも無くなった。「一応もう決められてる日数以上は休んでるから、無くてもいいよね?」みたいな感じで、 “暗黙の了解”という感じでしたね。忙しいのもあったし、人手不足っていうのもありました。

フリーターだからっていうのもあって、時間には沢山余裕があるから入れるんじゃないか、「頼んだら来てくれる」っていう考えが、周りの中ではあったのかなって思います。なんか、「良いように頼れる人」みたいな…感じだったのかなって。やっぱり主婦の方は、子どもさんのお迎えとか早く家帰らなきゃいけないっていうのもあったし、学生は学生でテストとかそういうのがあったから、なかなか頼みづらいっていうのはあったんだと思います。

年末年始は人が足りなくなるっていうのは、ずっと感じていたので、一応「何日から何日まで入れない?」みたいなお願いはするんですけど、主婦の方は実家に帰ったりとか、学生の子も県外から出てきている子は、実家に帰りたいからっていうのもあって。私も家でゆっくりしたいっていうのはあったんですけど、やっぱりそれ以上に「人が足りないから出なきゃいけない」っていう気持ちが大きくあったので、「もう自分のことは後でもいいや」って。みんな年末年始、三が日は「休みを取ってゆっくりしたい」ってやっぱり思うので。誰かしらが出ないとお店が回らなかったので、本当にぎりぎりの人数でどうやってお店回すか?って考えながら働いていた。身体も疲れるし、ずっと考え事をしているので頭も疲れるし、もう最後には「動きたくない」って。

「同僚からの威圧的な言葉」

自分の中でも優先順位を付けて仕事はするんですけど、どうしてもできなかったりすると、翌日の人に、置き手紙みたいなメモにまとめてお願いするんですけど、それでも、「これやってって頼んだよね?何でできてないの?」みたいな。「いやそれは…」って。「そんなん忙しいからって理由にならないから!」って、言われることがちょくちょくあったので。特に忙しくなると余裕も持てなくなるから、それは私自身もすごく分かるんですけど。

「自責の念と『死にたい』気持ち」

自分がお店を任されている時にうまく回らなかったりとかして。責められたりとか。うまくいっても、「もっと自分できたんじゃないか?」っていうのもあって。自分が上の立場だったら、一つできてないところがあっても、できてるところをみてあげて、「よく頑張ったね」とか「しんどかったのにやってくれてありがとう」とか、そういうふうに言ってたんですけど。それが自分のことになると、何故かできなくなる。他の人はうまく褒めることはできるけど、自分のことを褒めることができない。知らないうちに自分を追い込んでしまって。もう、死にたいなって。自分さえいなかったら、もっと回転率良くなるんじゃないかなって。
例え自分が悪くなくても「もっとできたんじゃないか?」っていう…何だろう。一人反省会みたいな。そういうのがずっと止まらなくて。自責の念にかられたりとか。

「店長に『辞めたい』と申し出た」

店長は私のことじゃなくて別の主婦さんのことを気にかけてて、「その人がやる業務が多くなって死んでしまうから」みたいなことを言われて。私のことはどうでもいいんだ、みたいな気持ちになって。そこから、またしばらく辞めたい気持ちを我慢してたんですけど。店長が新しい方に変わって、そこでも「もう、いまの業務がきついんで、辞めさせて下さい」とは言ったんですけど。同僚が新しい役職に上がってくるまで待って欲しいって引き留められて。何で辞めさせてくれないの?って。別に私がいなくても他の人でまわせるじゃんって、思ってたんですけど。店長の言葉を…飲んで。

「頼りにしてるから」っていうふうな考えがあったと思うんですよ。店長にしても。でもそれ以上にもう、「その職場にいたくない」っていうのが気持ち的に大きくて。精神的にも肉体的にもしんどいのに、もっとしんどくなるの?みたいな気持ちでずっといたので。なんか、「辞めるまでにそんなに苦労するんだ」って。
自分でも、これじゃだめ、あれじゃだめっていうふうに考えて、他の人からも「だめだから」みたいなことを言われるし。八方塞がりになって。じゃあどうすればいい?って。

それでもいま、生きている

「10年勤めた店を ついに退職した」

威圧的な言葉を言われたりとか、結構そういうのがあったりして。自分がやっていた役職も、降りたいのに降りることができなくて。自分がいる場所はここじゃないって思って。何だろう…「籠の中にいる鳥」みたいな感じじゃないですけど、ずっとその狭苦しい場所に居続けて、やっぱり良いことって無いので。
「この時にいてくれてたから、すごく助かったよ」って言われたこともありましたけど、やっぱり自分がいなくてもお店はまわるし、後輩たちもどんどん成長してきているから、別に一人に頼らなくても、周りに頼ったりとかお願いしたりすれば、その人その人にかかる負担の大きさも小さくなるだろうし。
いまの私から見たら、職場を辞めることは、正しかったかなって。思います。

「4~5年ぶりに過ごした『正月休み』」

やっぱり大きいのは、年末年始に休むことができた。働いていた時は、休みが1日取れればまだ良いほうで。年末年始ずっと出っぱなしだったことが多かったので。
いままで働いていた時はずっと夜まで仕事して、年が変わる前に家に帰って一人でご飯を食べて、だったんですけど、大切な人と一緒に過ごせたっていうのは、やっぱり私自身にとっても、すごく大きなことだったなって思います。仕事を辞めてからゆっくり休めたのは「申し訳ない」っていう気持ちもあったけど、「休んでいいんだな」って、思いました。

仕事していた時は、朝起きて、準備して、仕事して、帰ってきて、ご飯食べて寝るっていう日々だったんですけど、それが無くなってから、自分がやりたいことも少しずつですけど、できるようになってきたし、一緒にいたい人といられるようになったっていうのが大きいかなって思います。

「芽生え始めた 新しい価値観や目標」

違う職種をやってみたいなって。元々子どもが好きだったので、子どもに携わる仕事をしたいなって。全くやったことのない業種なので。想像はいまもついてないんですけど。違った刺激をもらうことができるのかなって。
もちろん時間的な余裕もできたし、大切な人と一緒にいることが楽しいって思えるようになったっていうのもあるんですけど、やっぱり、その“狭い空間”から出られたのが大きいなって。やっと、スタートラインに立てたのかなって。いままではその準備段階っていうか、その前の段階だったのかなって。だから、これからどう進むかは将来的なことなので分からないですけど、自分がやりたいなって思った道に少しでも近づけたらいいかなって。いまはそのスタートラインにいるかなって思います。

「いま、仕事で苦しんでいる人に伝えたいこと」

うーん…。よく頑張ったね、って。しんどくても、それを声に出すことができない人もやっぱり多くいるし、正社員と非正規社員で全然待遇とか、仕事の量とかも違うだろうし、そんな中でも…やっぱり生きてるのがしんどいって思うこともあるし。
何だろう。1日、生きてた。1時間だけでも生きてた。それだけでいいよって。死にたくても、その気持ちをなかなか口に出すことができない。「死にたい」っていう言葉だけで重く捉えちゃう人もやっぱりいるし。「何でそんなことを言うの?」って言う人もいて。余計に「ああ自分、言っちゃいけなかったな」って思うこともあるし。でも、その気持ちを抱いているのは、全然悪いことじゃない。だって、私自身も「死にたい」って思いながら、いま生きてるし。多分その気持ち自体、ずっと消えないだろうし。何かしらの環境が変わった時に、もしかしたら消えているかもしれないし。それは、私自身も分からないから。

いままでそれこそ「死にたい」と思っていたのは、そういう気持ちがあってもいいんじゃないかなって、間違ってないんじゃないかって。実際にこう「死にたい」って思っていても、いま仕事してなくても、生きてるし、その自分が負ってきた傷が伝わることで、「私もそうだったんだよね」とか共感できたり。
「死にたいから、じゃあ死ぬ」っていうのもあるのかもしれないけど、「死にたいけど、いま生きてるよね」。それは、「しんどいことがあったから、これからはもしかしたら楽しいことが待ってるんじゃないかな」っていう、かすかな希望が、あるからかなって思います。

あお

10年間勤めた飲食店を退職し「数年ぶりの正月休み」を過ごした。
子どもと関わる仕事や事務関係に関心を持ち、新たな夢のスタートラインに立つ。
得意な料理は「おみそ汁」。

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