ラベンダー

生きるのが苦しいと感じたとき

「家にも学校にも居場所がなかった」

なんか世の中と違うなと思いだしたのが小学校2年生とか3年生ぐらいのときで、その段階ですでにいじめにあってたし、なんだろう、こいつは普通とは違うみたいな、変なやつみたいな感じで。
みんなのできるはずのことを私ができないっていうところがあって、なんだろうな、例えば学校の勉強でもそうだし、周りと違うっていう点で言うと当時、少女漫画「なかよし」買って、「セーラームーン」は読んでたんだけど、一緒に載ってたほかの恋愛ものの漫画は何がおもしろいのか理解ができなかった。みんなそれに関していろいろ考えたりとか、いわゆるときめく感情みたいなのがあったりするんだろうなって。
でも、私はそれをおもしろいともなんとも思わないし。あれ?みんなが感じ取るとか感動するっていうことと全然ずれてるぞと。みんなが興味あるはずのこと私興味ないやって。私の感性も疑ったし、自分の感覚が変だから学校からも家からもおかしな扱い方されるのかなと思ったりとか。

家では父親が会社であった嫌なことをいろんな理由くっつけて、それがどんな理不尽な理由でもうちら家族のせいにして、で、ストレス解消で壁に穴開けるみたいな感じで。こう、グーでいったりとかしたから。それがだいたい、私とか、弟が2人いて、2階の寝室行って、寝てはないけど、寝たっぽいなっていうところを見計らってそういうこと父親がやりだすから、朝起きて土壁へこんでました。1階に置いてた私のものぶっ壊されてました。
でも、それに対して親に言ったら「あんたが悪いんでしょ」で終わりだし。親が味方にもならず守ってくれもしない状態だから、家の人に何を言っても聞いてくれないっていうのもわかってたし。

学校は学校で、こいつおかしいみたいな感じの捉え方されて、何かにつけて仲間はずれにされるんですよね。だから、仲間はずれにされる、イコール「この世の中には、この世界にはあんた居場所ないよ」って言われてるのとほぼ同義だと私は捉えてて、学校の先生からも、確かにいじめがあった事実は認めるけど、でも、あなたが悪いんだからしょうがないみたいなこと言われたら、そりゃあ、もう誰にも相談なんか無理ですよ。だから、この世の中に味方ゼロの状態だから、そうなっちゃうと生きてるだけでしんどすぎますよ。それを言葉にすると居場所がないから消えたいって感じかな。

それでも今生きている理由

「憧れの存在ができた」

中学1年生のときの夏、ほんとにたまたまだったんですよ。テレビをザッピングしてたら、ある番組で司会や演技をする彼の姿を目の当たりにして。私、そのとき何が起こったのかわかんないぐらい、何かこの人、気になるって。
見てくうちに、あれ?この番組の歌書いてるのもBGM作ってるのも脚本書いてるのも全部この人じゃんって。えっ、何これって。
ここまでなんでもかんでもできる人って、この世の中にいるんだなっていうのをびっくりして。

「憧れのひとが自分を人として扱ってくれた」

その番組の公開収録で実際にお姿を拝見して、収録終わったあとには来てくださったお客さんとちょっとお話する時間も設けてくれてて。そのときに、私、ほんと緊張し過ぎちゃって、彼のほうから握手しようかって差し出してくれたんだけども、緊張し過ぎちゃって同じほうの手を出しちゃって。
その瞬間、頭真っ白です。「ええっと・・・。」って言ってる間に反対の手をスッと出してくれて、握手してくれて、「きょう来てくれてありがとう」って言ってくれて。職業柄っていうのはあるかもしれないけど、ほんと腰の低い方だったんですよ。
半年ちょっと経って、2度目に公開収録行って話しかけたときに、「また来てくれたんだね」って笑顔で言ってくれて。私、前回緊張してまごまごしてただけなのに、なんかやったわけでもないのに、むしろ迷惑かけてませんでしたかくらいのことなのに、「また来てくれたんだね」って。それが仕事上の言葉だったとしても、でも、その言葉が出るってことは覚えてくれてる。印象が残ってるんだって。
私ごときを、私なんかを覚えてくれてるってことは、すごい衝撃的だった。学校とか、おうちとか、世の中には大勢の人間がいて、私はそのうちの一人であっても、存在自体が目立たないのか疎ましく思われてるのかみたいな感じだから。存在すら無かったことになってるとか、雑な扱いされてるみたいな感じ。それに対して、彼から見た私っていうのは1つの存在みたいな。1つの個として捉えられてて、その瞬間、私っていう存在が存在としてあるんだってやっと思えた感じ。
今まで自分の思ったこととか、自我だったりとか、欲もなのかな。そういうのを出すのを禁じられてたし、そういうことを出したら出したで暴力的に押さえつけられてたしっていうのが全然違うふうに変わった瞬間だったなと。

「なにかやってみようと思った」

彼の作った曲で、楽しいときはリズムに乗ってもっと楽しく、そういう趣旨の歌なんだけれども、その2番目の歌詞を聞いて、あれ?って思ったことがあって。<ちょっぴりずれてる ちいさな せかい ときには なみだのひとしずく こぼれることもある>そういう歌詞で。全体的に楽しい感じなのに、なんで2番、急にそんなことを書くんだろうみたいなことをちょっと不思議に思って。
私なりに考えてみたのは、<ちょっぴりずれてる ちいさなせかい>っていうのは、ほかの人と価値観が合わないとか、ほかの人となにかが違うっていう、そういうことについての話なんだろうなって。<なみだのひとしずく こぼれることもある>ってことは、それで悔しい思いとか悲しい思いしたっていう経験なんだろうなって。それってたぶん、その領域にいた人じゃないと書けない詞だよねっていうふうに気がついたんですよ。
ってことは、私がふだんテレビとか舞台とかで見ている姿とはまた違う、何か寂しい時代とか悲しい時期っていうのがあって、それを乗り越えた上での今なのかなとか、いろいろ考えられることが出てきて。ひょっとして、この人もそういう紆余曲折を経たことによって、自分の居場所というか、自分が表現していい場所みたいなのを得ることができた人なんじゃないかってそこで初めて思って。ただ単に順風満帆なだけじゃないんだってわかったときに、じゃあほんのちょっと努力したら、がんばったら、「自分の居場所」を実際に得ている彼に近づけるかもしれないってちょっと希望を持ったんですよね。

何でもいいから自分の好きなこととか興味の幅とか広げてったら、彼がいるような「自分がいていい世界」に行けるんじゃないかなとかって思って、それでタロットカードを始めたりとか。
教室でタロットカードに関する本を読んでたら、クラスの女子に初めて話しかけられて、「占いできるの?」って。それで人と、普通の会話っていうのかな。業務上みたいな感じの、学業上仕方なく話す会話とかじゃなくて普通の会話をそこで初めてした感じ。それでクラスの子を占ってあげるとか、そういうふうな感じでお話する程度はできるようになった感じでしたね。
だから、自分のやったこと、一念発起したことが、無駄ではないのかなって思えるようにもなったし、これが世の中に対する向き合い方なんだろうなって思ってみたりとか。よくはわかんないんだけども、自分なりにこの世界でまだ生きられそうな気はするのかな、進んでいけそうかなってちょっと思った感じでした。

「憧れのひとが亡くなった」

高校入って自分を変えるっていうことに、少しずつ自信を持ててきたなっていうふうに思ったんですよ。高校に入るとクラスでつきあう人も変わるし、新しい自分でいられるみたいな感じ。じゃあ自分のやれること思い切ってやってみようかっていうふうにも思えたり、いい感じではあったんですね。
その一方で、彼が、番組での出番少ないなっていうのを感じたりとかしてて、どうしたのかな、いろいろなんでもやってるから忙しいのかなとかって思ってたんですけども。で、あるとき、夢でね、彼の姿見かけて、そのときに私に向かって、「ごめんね。ありがとう」って、やさしい声で、笑顔で言ってて、その当時ってインターネットだいぶ普及してた時代だったので、その夢を見た2日後に、実は病気で亡くなりましたと、彼を知ってる方経由でメールをいただいて。
その気持ちをどうしたらいいのかわかんなくて。話を聞いてもらいたいけど話せる相手もいないし、自分で消化するしかなくて、ずっと自問自答してて、そんな感じの状態だったんですよね。でもやっぱり、少しでも近づきたいとか、何かやっぱり変わりたいとか、そういう思いっていうのは変わらずあって、それで専門学校もミュージカルとかそっち系の専門学校に入って。
なんて言うのかな。すごいことができる人でも病気であっさり死んじゃうんだって思ったときに、生きてることの意味がわかんなくなっちゃって。でも、その一方で、生きざまっていう言い方もちょっとあれだけども、彼のやってきたことだったり、向き合い方だったり接し方だったり、そういったところから、何でもいいから材料見つけて、答え拾いたいなって思いもあって。

「生前のエピソードを知って」

生前に彼と関わりがあった人たちからメールを頂いて。当時、私ホームページを自分で作ったりとかっていうのをちょこっとやってて、そこからたどってきてくださった感じだったんですけども。そういった方たちから彼のいろんな失敗談とかもひっくるめてお話を伺って。さっきの歌にあった悲しい思いとか悔しい思いを、ああ、やっぱ本当に経験してたのかってそこで初めて答え合わせみたいな流れになって。
すごいギリギリな感じの失敗談も中にはあって、それ聞いたときに、清く正しく生きるのって難しいことだなって初めて気がついた。多少の遊び心っていうのがないと、たぶんいろんな作品を表現するっていうのも難しいのかなっていうことも気づかされたし。対して私は、周りに気に入られようとか周りから必要とされようとか、実家がね、そういう要求に応えられないと暴力振るわれるみたいな環境だったから、なおさらそういう考え方になってて。
でも、そうじゃなくても大丈夫なんだ。いいとか悪いとかはちょっとちがくて、人に迷惑かけない範囲なら真面目一辺倒でなくても大丈夫なのかもちょっと思えて、それで肩の荷が下りたなって。

「家出と彼氏からのDV」

専門学校卒業するころ、ネットで知り合った方とおつきあいしていて。その人から、お前の実家は変だよって初めて言われて。そんなこと言ってくれる人なんて誰ひとりいなかったんで、自分自身の違和感が確信に変わった。
やっぱいろんな人に出会っていろんな価値観を知ってくうちに、親の言ってること、やってることっていけないことなんだなってはっきりとわかるようになってきたんですね。
だから、これまでの人生でされてきたことって虐待なんだとそこで初めてわかって、そのタイミングで当時付き合ってた彼氏が、お前の実家変だからうちに来たらっていう感じで家出同然みたいな感じでその彼氏と同棲することになったんです。
ただ、DVされたわけです。
初めはやさしくふるまってたんですけども、やっぱり同棲してると相手の嫌なとこって見えてきちゃうじゃないですか。それは男女どっちでも。例えば私はルーティンができないんですよ。

「みんなと同じように出来ない苦しみに再び襲われる」

当時猫を飼ってたんですけども、言われたことが、ルーティンができないために餌やりを忘れてしまったりとか。それ以外にも家事ができないとか、そういったことが出てきてしまって。どんどん自分のことをネガティブに捉えていくので、できないに、さらにできないが上積みになっていくみたいな、だんだんそんな感じになってくる。
なぜそれができないのか理由も原因もわかんないまんま一方的に怒られるっていうふうな感じの状態で、状況としては実家のそれに似てるんですよ。でも、この人はうちの実家がおかしいと言う人だし、じゃあそれは対応できない私が悪いのかっていうのもなるし、わけがわからないだらけで。わけがわからないっていうのがどんどんどんどん、募り募って、消えたいっていう感情がまたわき上がってきて、それでODすることもあったりとかして。
専門学校終わる間際にはもうすでに心療内科行ってたんで、そのときに躁鬱っていうふうな診断受けてたので、すでに心療内科系の薬飲んでて、そこからのODだったんですけど。できなさが募り募ってうつが悪化して、出ていけと言われ、かといって実家に帰ることもできないし、じゃあもう死のうかって思っちゃって。

「憧れのひとの存在にまた引き留められた」

そのときに、亡くなったはずの彼の声が聞こえて。「こんなに大事に思ってんのにどうして僕の声聞こえないの? 早く本当の自分に気づいて」って、ワッてまくしたてるような感じで言われて。
その当時の私から見て、亡くなった存在である彼は、たぶんもっと生きたかった人だと思うんですよ。それに対して私は死にたいとかってそういう気持ち持ってて、すごく失礼なことしてる、すごくわがままなことしてるって葛藤してて。
なにぶんね、親からもそれ以外の環境からも、なんかこう、雑に扱われて、当時いろいろ仕事も転々として。自分がなぜそれができないのかわかんないし、解決方法もわかんないし、みんなと同じになりたくてもなれないしっていうのもあったし。
みんなと同じっていうのは、安定した働き口があるってことかな。たぶんそれは父親から言われたことが影響してるんだと思うんですけど、ちゃんと稼げるっていうこと。それができないから、この世にいちゃいけないみたいな。
お金を稼ぐということが、まともに仕事できるとか、バイトできるとか、会社員になるとか、それしか考えられなかったので。それができないから何もやっていない、できていない。今の言い方だと、生産性がないからこの世にとっては邪魔みたいな考えにもなってて。生産性のない自分っていうのは生きてていいのかわかんない。
でも、ものすごい剣幕でそれは違うと亡くなった彼が言うなら、彼は38という年齢で亡くなっているので、それまでの年齢だったら、ひとまず生きてみようかなって。

「表現することで生きのばした」

そこから死にたいっていう感情がわき上がったら、自己満足の範疇でだけれども、物語書いてみたりとか。
その物語っていうのは自分のなかの理想の世界。支えてくれる人たちがいて、一緒に向き合ってくれる人がいて、そういう人たちのいる世界。書くことに集中することで、いったん世の中から距離置こうって。それで自分が死にたいっていう気持ちからなるべく気持ちをそらそうって。そうでもしてないと、38っていう年齢まで生きるのは相当しんどいだろうなって思ったんで。
あとは、そばにいてくれてるであろう亡くなった彼に話しかけるってことを積極的にやってみて、愚痴でもなんでも、うれしいこともつらいことも悲しいことも声に出すことで、自分の中でいっぱいいっぱいになった気持ちっていうのを外に出して楽にしてみたり。
自分の頭の中でぐるぐるさせるのではなくて、1回外に出すことで、冷静に、客観的に見つめることができる。それが、例えば物語だったら、その物語の中の世界の登場人物がいろいろ私の代わりに議論してくれるみたいな感じの感覚かな。
やっぱり、表現するとか外に出すことによってちょっと心の余裕が出てくるので、もし彼が生きてたらどんなふうに思うんだろう、どんなふうに考えるかなって客観的に向き合える。
死にたいとか苦しいとか、でも生きたいってい葛藤って、「自由になりたい」の裏返しだなって思ってて。自由になるためには、今の状況変えるしかないって。でも、うつもあるんで、無気力だし、みんなみたいにルーティンもできないからできないことだらけだし。でも、無理のない範囲でほんのちょっとずつ変わるきっかけがほしくて、それで亡くなった彼としゃべって、湧いた答えを選んで自分のできそうなこと少しずつ、少しずつやっていって、そんな感じで。

「発達障害の診断を受けて」

東日本大震災のときに、ちょっと精神的に不安定になっちゃって、精神科に入院することになって、そのときの先生っていうのが、たまたま発達障害に関して詳しい先生だったんですよ。それで「ちょっと検査してみる?」っていうふうに言われて検査して、そこでようやく発達障害だってわかって、そこで自分が何者かわかった。  
今までのできなさとか、今までの苦手とか、今まで理不尽な扱いされてた原因のうち1つは、これもある感じなんだな。じゃあそれに対する対処法って何かな。どうしたら何とかできるかなって少しずつできるようになってきて。
仕事もね、そのときすでに占い師として仕事してたんで、ちょっと一般の人とは違うっていうところもありますけど、でも、自分にとってはすごく合っていた仕事だったので。だって、毎朝決まった時間に起きなくていいし。むしろ夜型だからちょうどいいしとか。やっぱ夜型である理由とか原因も発達障害から来るものだっていうのもわかったので、無理して順応する必要ないじゃん。周囲に迷惑をかけなければ自分なりのやり方でいいんだってそこでようやくわかって。
自分を成長させるとか変わるっていう努力は変わらず続けるけれども、でも、無理して一気にポンって飛ぼうとか飛躍しようとか、そういうことはなるべくしないようにしよう。自分のできるところから少しずつ段階的に上がっていっていいんだなって。そう思ったら、38なんて年齢、あっという間に超えちゃうかなっていうふうに思えたりとかしましたね。

苦しかったあの頃の自分に伝えたいこと

自分の経験が誰かのためになってるっていう実感があって。確かに当時は本当にしんどかったんですけど、今だったらそれは無駄じゃなかったってはっきり言えるんですよ。
今の夫も発達障害があって、でも、それは私の経験がなかったら発達障害って診断には結びつかず、夫もまた、昔に自死未遂はしたと聞いてます。夫も夫なりにもがいていたけども、だけど、私の話を聞いて「僕だけじゃなかった。じゃあ大丈夫だって思えるや」って言ってくれて。反対に、私も彼に助けられてるところはあって、そういうふうに今の生活っていうのがあって。
たぶん普通の人がやらないような、進まないような道を進んでいるんですよね。確かに初めのころ自信なかったですけど、でも、今これ自分にしかできないことだってはっきり胸張って言えるぐらいになってて、だから、亡くなった彼に近づけたかどうかはわかんないですけど、でも、生きたいかどうかって言ったら、生きたいって思えてるんですよ。
いろんな人との出会いを通じて、発達障害だって診断も下りて、自分に対する向き合い方とか苦手に対する対処法というのがどんどんわかってきて、いろいろわかってくると、まだ経験してないこといっぱいあるやんって思ったんです。最近だと、ついこの間、スパイスカレーを作りました。
やっぱね、心の余裕ができてきたっていうのがいちばんでかくて、その余裕ができてきたからいろんな世界とかいろんな景色見られる余裕ができてきて。
そのいろんな景色のうち1つに、亡くなった彼が「生きてたときに見たであろう素敵な世界」っていうのも含めてみてもいいかなと思えたりとか。まだまだ私、世界知らないなっていうのもあって。そう思ったら、死にたいなんて気持ちよりもいろいろやってみたいって。死にたいとか生きたいとかっていうよりかは、なんかいろいろやってみたいが増えた。そんな状態ですね。

ラベンダー

1983年生まれ。
自身の経験を織り交ぜて話しながら、幸せへの道を一緒に考える占い師。
自分の居場所を見つけ、夫とふたりで暮らしている。

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