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【脳科学者・恩蔵絢子さんに聞く】家族が認知症に 性格や記憶力の変化にどう向き合う?

先日番組あてに『認知症の祖母を持つ方』からメッセージが届きました。
「認知症の症状によって祖母の性格や記憶力が変化し、戸惑っている」という内容でした。

「私のことを思い出せなくなったり、周辺症状の幻覚があるようで、認知症であることは理解しているのですが、心が追いついていません。祖母とどう接すればよかったのか考えてしまいます」

大切な家族が認知症と診断され、症状が進行していったら、どんな気持ちで接すればいいのか。今回話を伺ったのは脳科学者の恩蔵絢子さんです。実は恩蔵さんも、5年前に母親が認知症になり、一緒に暮らしながらそばで見守ってきました。

「記憶を失っても、母は母らしくいられるのか」
脳科学者として、娘として、日々の暮らしの中で恩蔵さんが“発見”したことをもとに、アドバイスを伺いました。

(「クローズアップ現代プラス」ディレクター 加藤弘斗)

恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)さん脳科学者

金城学院大/早稲田大/日本女子大 非常勤講師
著書に『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)

(※恩蔵さんがスタジオ出演した12月17日放送の「クローズアップ現代+」はこちら

記憶を失っていっても “母らしさ”はなくならない

―― お母様が認知症と診断された時、恩蔵さんはどんな気持ちでしたか。

恩蔵さん

母は5年前、65歳でアルツハイマー型認知症と診断されました。自分自身、やっぱり「なってほしくないもの」と思っていましたし、「母が母でなくなってしまうかもしれない」と感じました。悲惨な未来を思い描くこともあったけど、突然何もかもができなくなるわけではなくて、認知機能はゆっくり落ちていくのであって、時間はあるということにも気づきました。

それから、研究者として「記憶を失っていっても、母は母らしくいられるのか」という疑問を意識的に持って接すると、いろんな発見があったんです。

――脳科学の視点から認知症をみるというのはとても興味深いと思いましたが、どんなことに気がつきましたか。

恩蔵さん

記憶を補えば、できることは増えるということです。母はアルツハイマー型認知症で、まず記憶を司る海馬という場所に萎縮が起きました。海馬が萎縮すると、現在のことが脳に定着しにくく、記憶が整理しにくいので、うまく判断ができなくなるということが出てきます。

母はとても料理が好きだった人なのですが、認知症になり、料理をしなくなりました。味噌汁一つとっても、料理はいろんな工程を経て完成されるものですから、何を作ろうとしていたのか、どこまでやったのか、など記憶を維持できないと難しくなるのです。でも、私がそういう記憶の代わりとして、母に今何をやっているか声をかければ料理が続けられるのではないかと考えたんです。

記憶を司る海馬が萎縮するとエピソードが覚えられなくなる

―― そのように考えられたのは、どうしてだったのでしょうか。

恩蔵さん

海馬を含む内側側頭葉を手術で切除して、新しい記憶が覚えられなくなった人のある実験があります。二重線で書かれた星と星の間を逸脱せずになぞるという課題に取り組むのですが、その人は毎回「その課題をやった」ということを忘れてしまいました。

海馬を切除したことで、意識的にエピソードとして記憶しておくことができなくなったのです。だけど、実験を重ねると、精度よく星を書けるようになったことがわかっています。繰り返しやることで体で覚えていくという、アルツハイマー型認知症で海馬に問題があっても、こうした“身体的記憶”は比較的失われにくいのです。

母も料理に関して、包丁を使って皮をむいたり、切ったりする身体的能力は、残っているはずでした。だから、「私が隣で、今何を作っているか、次は何をすればいいのか料理の道順だけを伝えてあげればいい」と考えたんです。実際に、私も一緒に台所に立てば、母は料理をしてくれることが増えました。

いまは症状がだんだん進行しているので、難しい部分も増えてきましたが、簡単なことでもお願いするととても嬉しそうな顔をするときがあります。

―― 一緒にやれば、できることを増やせるというのは救いになる話ですね。他にも、お母様と向き合う中で考えたことはありますか。

恩蔵さん

例えば、認知症と診断されたばかりの頃の話ですが、母が友人とコンサートに行って帰ってきて感想を聞くと「全然よくなかったわ」と答える。でも2時間後にもう一度聞くと、「ソプラノがよかったわ」なんて言うんです。

矛盾したことを言っていると思って戸惑うかもしれませんが、もしかしたら「全然よくなかったわ」という印象は、帰ってきたばかりのときに聞いたので、帰りの電車で友人とコミュニケーションがうまくとれなかったり、何か友人の前で失敗してしまったりして、その感覚が強かったのかもしれない。コンサートに行くことには、往復の時間も含めて何時間もの時間がかかるわけで、その中では、母も色んなことを感じているのだと思います。

うまくいかない時間帯もあったかもしれないけれども、素晴らしい音楽を聴いたということもちゃんと感じている。認知症でない人であれば、「どうだった?」と聞かれたら「良かったよ」とかで終わってしまうかもしれませんが認知症の人は感じたいろんなことを伝えてくれているんだと思います。

「こんなことはできないはず」と能力を決めつけない

―― お母様が認知症と診断されて5年。症状が進行してきて不安な部分もあるかと思いますが、接する中で大切にしていることを教えて下さい。

恩蔵さん

できることがあることに目を向けることと、“母らしさ”は失われていないと信じることかなと思います。

母は新しいことがほとんど覚えられなくなり、最近、デイサービスに行くようになりました。どういう状況か知りたくて、職員の人にどんな様子か聞いたところ「友達がたくさんできて、いつも誰かとお話していますよ」と言ってくれたんです。それを聞いたときに、私はとても感動して涙が出ました。「人の顔が覚えられるのかな」 と心配していたんですが、母が認知症になっても新しい友達を作れたことがとても嬉しく、素晴らしいことだと思ったんです。「こんなことはできないはずだ」と人の能力を決めつけてはいけないのですね。

こんなこともありました。私が仕事で落ち込んで、帰ってきたときに思わず母に抱きつくことがあったんですが、母は「誰かに嫌なこと言われたの?」「あやちゃんに嫌なこという人がいるの?」と声をかけてくれました。これは小さい頃に私に何かがあるとかけてくれた言葉で、そういう母らしさは今も変わっていないんです。

だから、「記憶を失っても母は母らしくいられるのか」という問いに対して、5年経っても母は私の母だと言えると思います。

――番組に「祖母が私のことを思い出せなくなったり、幻覚があるようで、認知症であることは理解しているけれど、心が追いつかない」という声が寄せられました。
恩蔵さんだったら、この方にどんな言葉をかけますか。

恩蔵さん

今まで通りにコミュニケーションをとれなくなって、そのことにどうしても傷ついてしまうのは、仕方がないことだと思います。

母が診断されたばかりのころ、私も戸惑って毎晩泣いていました。今でも母の気持ちを尊重できる時期とできなくなる時期があります。

できない時期は、少し離れる時間を取るようにしています。余裕が少しできたときに、おばあさまがどんな感情を持っているかに注目してみてください。
おばあさまが何を大事に思っていらっしゃるか、意外なことがみえてくるかもしれません。

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