福島・いわき 4.11から12年 もう1つの“震災”を語り継ぐ
- 2023年04月13日
みなさん、東日本大震災の1か月後に起きたこの地震を覚えていますか?
2011年4月11日 午後5時16分
マグニチュード9.0の巨大地震と大津波、そして原発事故による未曾有の混乱の中、浜通りを震源とする地震が発生。福島県と茨城県で最大震度6弱の揺れを観測しました。
東日本大震災の発生から1か月の間に発生した余震とみられる地震は、最大震度5以上のものだけでも30回。
今回クローズアップするのは、その中でも最大級の、黄色で示したマグニチュード7.0の地震です。
突如出現した断層と「山津波」
この地震を引き起こしたとされるのが、震源に近いいわき市田人町に突如現れたこちらの断層。全長およそ14km、段差は最大2.1mあります。
地震による大規模な土砂崩れで、住宅3棟と車1台が土砂に飲まれて、4人が死亡しました。
当時この地域で暮らしていた高橋久雄さんは、あの日、地震による土砂崩れで自宅を押し流され、長女の愛さん(当時16)を亡くしました。
高橋久雄さん
「車のラジオで土砂崩れが起きたと聞いて。頭の中が真っ白になりました。診察台から抱き上げたときの気持ちは今でも忘れられない。まだ生きてるんじゃないかと」
被災後、隣の古殿町に移り住んだ高橋さんは、毎年4月11日には、自宅があった場所を訪れ、娘に祈りをささげています。
高橋久雄さん
「愛には『またことしも来たよ』と声をかけました。自分の気持ちは12年たって少しは落ち着いてきましたが、娘への気持ちは何年たっても変わることはありません」
現場近くに住む齋藤富榮さんは、亡くなった愛さんと娘が年が近かったため、幼い頃から家族ぐるみで親しくしていました。
土砂砂崩れの直後現場に駆けつけ、救助活動に加わりました。
齋藤富榮さん
「今すぐ助けてやりたいという気持ちだったけど、屋根瓦を取り除くのを人海戦術で手伝うくらいしかできなかった」
愛さんが救急車で運ばれていく姿が、脳裏に焼き付いているという齋藤さんは、この地域に残った自分たちが、東日本大震災の1か月後に起きたこの災害を、語り継いでいかなければならないと考えています。
語り継ぐために
そこで、地元の住民グル-プは、2013年からある取り組みを始めました。イチョウの植樹です。
もともと、黄色を地域のイメージカラーとして菜の花やスイセンなどを植えて景観を整えていたことから、地権者の了解を得て断層が現れた場所に目印として毎年1本ずつ植えていったのです。
全長14kmの断層に沿って、これまでに10本植えました。
植樹に協力した地権者の1人、斉藤富士代さん。
地震が起きた翌日、辺りを見回すと、自宅から200mほど離れた自分の山に高さ2mあまりの段差が現れているのに気づいたといいます。
斉藤富士代さん
「そこが真っ黒に見えたんです、一直線に。あの真っ黒いの何?って、それは驚きましたね」
断層はその後専門家によって調査され、市の天然記念物として保存されることになりました。
2本目のイチョウは、富士代さんの畑に植えられました。
活動は去年で終わるはずだった
イチョウの植樹の活動は、当初、10本目を植えた去年で終える予定でした。
しかし、断層の目印としてだけでなく、犠牲者の追悼のためにも植えようという意見が出され、活動開始から11年のことし、地震があった4月11日にちなんで、最後となる11本目のイチョウを植えることを決めました。
活動を締めくくる最後のイチョウは、あの高橋さんの家があった場所に植えられました。
齋藤富榮さん
「3月11日も強く印象に残っていますが、やはり4月11日の方が直接目の前で起きた事象なので、忘れられません。このイチョウを通じて、尊い命が奪われたことを伝えていきたいです」
高橋久雄さん
「田人地区のみなさんがこれだけの人数集まってくれて、娘も天国で喜んでいるんじゃないかと思います。大切にして、自分の命がある限りは、ここをきれいにしておきたいと思います」