追跡!謎すぎるマンホール| NHK福岡
- 2024年03月18日
今回のバリサーチは「とあるマンホールの謎」。おしゃれタウン・福岡市薬院に、
「正体不明で謎すぎる」とうわさされるマンホールがあるとの情報を聞きつけ、調査を開始。
不可解な記号の意味は?誰が使っているのか?そして、その地下に潜んでいるものとは・・・?
(NHK福岡放送局 ディレクター 奥井岳)
さて、今回のテーマは「マンホール」です。
一見、踏んでも気づかないくらいの地味な存在ですが、最近では個性的な「ご当地マンホール」も続々と登場。
そんなマンホールに魅せられ、各地を撮影して回る愛好家は「マンホーラー」と呼ばれ、
じわじわと増えてきているんです。
そんなマンホーラーたちをざわつかせていたのが、こちら。
薬院六つ角交差点近くの歩道に、ひっそりとたたずむマンホール。中央には謎の記号
「M」「西」「軍」?
さっぱり意味がわかりません。かなり年季も入っているようです。
そもそも、マンホールとは何なのでしょうか?
その語源はman(人)+hole(穴)で、マンホールといわれています。
つまり、下水道や電気、ガスなどの設備を点検するための「地下への入り口」。
ふつう、そのデザインや文字から、管理者とその目的が見分けられるように
なっているんですが・・・例のマンホールはというと、ヒントゼロ。何用なのかわかりません。
町の人に聞いてみると。
当然ながら、特に気にしたこともない様子。
行政なら、なにか知っているかも?福岡市中央区役所に向かうと・・・
マンホールがあることは把握していましたが、調査しても資料がみつからず、いつごろ誰が設置したのか、何のために使われているのかは不明です・・・。
えっ、不明・・・!?
なんと行政にも、その正体はわかっていないとのこと。
謎のマンホールは何者なのか?その地下には何があるのか?
ヒントを求めて、町のマンホールをしらみつぶしにチェックしていくと・・・
天神で、模様が似たマンホールを発見!
真ん中には、稲妻のようなマーク。もしや、電気に関係が??
さらにその近くで、似た模様を発見。今度は中央に、九州電力のマークが。
九州電力に問合せてみましたが、結果は・・・
(謎のマンホールは)当初が保有しているものではございません。
との回答でした……。
完全に行き詰まった取材班。詳しい人を探すにも、こんなニッチなテーマでは・・・
と思った矢先、なんと謎マンホールの手がかりを知るという人物が!
福岡の近現代史を研究する、益田啓一郎さん。古地図や古写真を掘り起こし、地域の歴史を記録してきました。
益田さんも生粋のマンホーラー。かれこれ20年以上このマンホールが気になって、通るたびに
写真を撮っていたというつわものです。これは頼もしい助っ人。
益田さんも、フタの模様から、「電気との関係」を推測しています。
福岡市内に昭和50年代まであった電力のマンホールのデザインと
一緒なんですよね。だから、電気系統のマンホールではないかと。
さらに、一番上の文字、「M」に注目。これは日本陸軍を表すMではないかといいます。
昭和6年の資料で、当時の地図記号を確認すると・・・
Mの文字は「陸軍所轄の施設」を表しています!少し平たい感じもそっくり。
さらに。昭和17年の福岡市の地図を見せてもらうと・・・
「西部軍司令部許可済」とあります。これが謎を解くカギです。
「西部軍」。
戦時中、日本陸軍は地方ごとに、軍管区と呼ばれる単位にわかれていました。
このとき九州地方を管轄していたのが、「西部軍」です。
益田さんが入手した、当時のチラシでも・・・
検閲した西部軍が「西軍」と略されています。ならば、あのマンホールの「西軍」=「西部軍」のことではないか!?ちょっと、ワクワクしてきました。
さて、これまでに浮かび上がった3つのキーワード。
「マンホール」「電気」「西部軍」。
先ほどの地図をよく見てみると、その3つがつながるといいます。
マンホールがある薬院六つ角から、北西方向にあったのが、福岡城し。当時ここに、西部軍の
司令部がありました。そしてマンホールの南東方向にあったのが・・・
「九水」。九州電力の前身、九州水力電気の本社です。このエリアには、電力関係の施設が集中していたと考えられます。それぞれの位置関係を見ると・・・
3地点が、最短ルートでつながります。
つまり、西部軍に電力を供給するための電力線が、謎マンホールの下を通っていたのではないかというのです。
でも、なぜわざわざ地下を通す必要があったのか?
電線は架線なら切れたら終わりですけど、地中にあれば残りやすいですよね。
焼い弾とかであれば中の電線は残ると思いますので
この仮説が正しければ、貴重な歴史の記録になると益田さんはいいます。
西部軍のマンホールで確定すれば、当然ながら戦争遺産ですよね。開けたら
意外に答えがわかったりするかも。タイムカプセルだったりして(笑)。
ここまで来ると、中を見たくてうずうずしてきました。
なんとか開けることはできないか、だめもとで市に相談してみたところ・・・
こちらは安全管理上、必要なときに開けるものでございまして、それ以外の
目的であけるのはお断りさせていただいています・・・。
あ、そうですよね、すみません・・・。
じつは市にも、これまで開けた記録が残っていないというこのマンホール。
その地下には何があるのか・・・謎と想像は膨らむばかりです。
今回、一つのマンホールから始まった取材が、まさか福岡の戦争史にまで展開していくとは
思いも寄りませんでした。取材中、益田さんにも案内してもらいましたが、薬院周辺には
旧陸軍の痕跡がいまもひっそりと点在しており、謎のマンホールは、足下に埋もれた
「歴史の証人」の一つなのかもしれません。
「上を向いて歩こう」とはよくいいますが、たまには下を向いて歩くのも悪くないな、
そう感じました。
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