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長崎くんち 5か月追ってみた

~本石灰町 ”必笑”の男たち~
  • 2024年03月13日

 

2023年10月、4年ぶりに長崎くんちが開催されました。
約390年続く諏訪神社の秋の大祭。中止の背景には、新型コロナや前宮司のセクハラ問題があり、さらに神社内のパワハラも問題となり祭りの存続が問われました。奉納踊りを担う踊町では担い手不足も深刻です。

そうした中、私たちは今回、奉納を担う本石灰町(もとしっくいまち)の5か月の稽古に密着しました。

本石灰町のくんち出演者

変化する時代に、祭りをどう受け継いでいくのか・・・彼らの奮闘を追いました。

(NHK福岡ディレクター 清田翔太郎)


◇取材をはじめた きっかけ

取材をはじめたのは5月。ノーアポで本石灰町自治会館を恐る恐る訪問しました。
ディレクターの私は長崎県出身で、かつて市内の映像制作会社に勤めていたこともあり、くんち稽古は何度か見てきました。正直、怒号が飛び交ったりと厳格な印象があり緊張していました。
ですがそんな前予想とは真逆で、本石灰町は笑顔で雑談する人たちばかり。
互いに冗談を言い合いながら祭りで使う備品の整理をしていました。
リーダーの原田伸一さん(44)が突然の訪問にもかかわらず優しく取材に応じてくれます。

原田伸一さん
原田伸一さん

うちの町のテーマ“必笑”なんですよ。

必ず勝つじゃなくて、必ず笑うで“必笑”。笑顔を絶やさず、感謝、日々成長ですね。楽しいところには人が集まってくるので

この一言で本石灰町を追ってみたくなり、取材を続けることを決めました。

 

◇7年に一度の奉納踊り 長崎くんちの仕組み

長崎くんちのはじまりは江戸時代。市内59の踊町(おどりちょう)が7組に分かれ、7年に一度回ってくる当番の町が演し物(だしもの)を奉納します。異国文化が取り入れられているものが多く、長崎独特の文化を伝える伝統行事として国の重要無形民俗文化財に指定されています。この年、奉納踊りを担う町は6つ。
本来であれば7年ぶりでしたが中止が続いたことで10年ぶりです。

踊町一覧 赤印が2023年の担当

本石灰町は長崎随一の繁華街。たくさんの長崎グルメを堪能できるお店や夜の酒場が立ち並んでいます。町名は、江戸時代に船着場があり、マカオから運ばれた石灰の荷揚げ場になっていたことが由来になっています。

本石灰町の様子

本石灰町の演し物は御朱印船(ごしゅいんせん)です。

1970年長崎くんち 御朱印船(画像提供 本石灰町自治会)

実在した長崎の貿易商・荒木宗太郎が、航海先のベトナムでアニオー姫と結婚して長崎に戻ってくる姿を表現。長崎をめざす航海の荒々しさを、車輪の付いた船を男たちが動かします。
船は長さ6.2メートル、幅1.9メートル、高さ5.2メートル、重さ5トンとくんちの演し物で最重量級。勢いのある前進後退や回転・・・からの急停止、そして逆回転など緩急をつけながらのダイナミックな動きが人気の演し物です。
本番では諏訪神社をはじめ、3日間で市内約1000か所をめぐるため体力も必要とされます。

船の回し手18人は根曳き(ねびき)と呼ばれていて、危険も伴うため参加できるのは40代までです。

 

◇どうして“必笑”なのか?~原田伸一さんの葛藤~

今でこそ笑顔を大切にしている本石灰町ですが、かつてはこの過酷な演し物を乗り切るため、怒号が飛び交っていました。
原田伸一さんは今回、演し物全体を指揮する長采(ながざい)とよばれる役職に抜擢されました。全体を見渡し、先頭に立って船の回転するタイミングなどの指示を出します。
これまで2度くんちに参加。
前回の2013年には、根曳き頭という若手のまとめ役を担当していました。
このとき「完璧に船を回したい」という思いから仲間たちに厳しい言葉ばかり投げかけてきたといいます。

原田伸一さん

だらけた奴がいたら『だらだらすんな ちゃんと押せ!』と。なあなあでしてたらケガにもつながるし厳しく言いましたね。嫌われてもいいと思って。

2013年 根曳き頭の原田さん(画像提供 本石灰町自治会)

前回参加した18人のうち、今回も「船を回したい」と参加したのは2人しかいませんでした。

原田伸一さん

根曳きを集めるのが、本当、ものすごく大変でしたね。ずーっといろんな人に紹介してもらったり。厳しそうだからって敬遠する人もいましたよ。でも、それが現実だったんですよね。時代の流れに僕が変わっていかないと。今の時代、オラオラじゃないですよ。

4年かけてなんとか根曳きをそろえた原田さん。ほとんどが10~20代の若者で未経験者。くんちの知識がない人も少なくありません。
若者たちに今回の経験を通じて『7年後また参加したい』と思ってほしいと、怒鳴ることを禁じ“必笑”をテーマに掲げたのです。

 

“笑顔”に魅了された若者 ~専門学校生 草野ナルさん~

取材をはじめた当初、根曳きたちは翌月の”小屋入り””打ち込み”という行事に向けて準備を進めていました。楽器を演奏しながら市内を歩いて、町の人に『これからくんち稽古が本格化する』ことを知らせるなどの催しです。
この日、1人の若者が稽古の見学にやってきます。
実は欠員が出たため、急遽、近くに住む若者に声をかけていました。

見学する専門学校生の草野さん

見学者は専門学校生の草野ナルさん(18)。とても緊張していました。
根曳きへの誘いを即答できずにいましたが、本石灰町の“笑顔”が心を動かします。

草野ナルさん

もう、いい人ばっかりですね。みんな優しくて。でも、やる時はやるっていうメリハリついてて。楽しみながらもしっかりやるところとか、本当いいチームだなって思いました!

草野さんはすぐに加入を決めます。さっそく“必笑”の効果がでてきたようです。

稽古終わりに談笑する草野さん

◇くんちの魅了とは? ~伸一さんの息子・原田雄太さん~

根曳き18人は、10代2人、20代8人、30代7人、40代1人(5月)で、社会人や大学生などで構成されています。

新入りの草野さんは入りたてということもあり緊張気味。そんな彼に気さくに声をかけていた若者がいました。

草野さん(左)に話しかける若者

話を聞こうと思い、名前を尋ねると・・・。
 

原田雄太さん

名前、原田です

ディレクター

原田・・・ひょっとして長采の息子ですか?

原田雄太さん

一応、でもこの場では関係なしに。やっぱり特別扱いされたくないですね。関係ないんで、長采の息子なんて。関係なし普通の根曳きとしてしっかり扱われたいです

「関係ない」と何度も釘を刺すのは原田雄太さん(21)長采・伸一さん長男です。

 

長采・伸一さんの息子 原田雄太さん

2歳のころから父に連れられ、毎年くんちの稽古を見学。小学生のころには、船の上にのって楽器を演奏する囃子方(はやしかた)もつとめ、学校の作文で『ねびきができるよう体をきたえる』と書き、今回その念願が叶いました。

小学生のころ書いた作文

コロナでくんちが延期されると決まった3年前は高校3年生。卒業後の進路は自衛隊への就職も決まっていましたが、なんと辞退して、くんち再開を待ち続けたといいます。
そこまでする、くんちの魅力とは何なのか?
小学生のころ、囃子方としてくんちに参加したことが大きな影響を与えたそうです。

原田雄太さん

オオバチという楽器をしていたんですが、大人に注意されてばっかりでした。他の人が失敗したのを笑っていたら『笑うな!お前が叩いてみろ!』と。厳しかったですが、今思えば社会勉強になりました。

本石灰町は、根曳き18人に囃子方16人、その保護者や給水係に交通整備・・・100人以上が協力してくれます。
雄太さんがかつて参加した囃子方は中学生以下で構成され、年齢も学校もバラバラです。地域社会の大人に混ざり、学校では知れない大人の社会を体験できるのも、くんちの魅力の一つです。

原田雄太さん

つらい稽古でしたがたくさんの友達と出会えたことが楽しかったです。くんちに出てなかったら、その全員と出会ってませんでした。僕にとって、くんちは出会いの場なんです。

◇先行き不安…トレーニングでケガ人相次ぐ

6月になると根曳きたちは本格的なトレーニングに入ります。
ハードな本番3日間を乗り切るため、休みは週に1回のペース。まずは1か月かけて、筋トレやランニングで基礎体力をつけます。仕事や学校終わりの夕方18時に自治会館に集合し、歩いて30分ほどの公園で2時間行われます。

声を上げながら走り込む根曳きたち

指導するのは谷口大央さん(48)。根曳きたちのサポート役 添根曳きの1人です。

実家の豆腐屋で働き、元重量挙げ選手だった経歴を活かしてメニューを考えました。スクワットや四股踏みなど下半身を中心に鍛えます。

谷口さんとトレーニング帳
谷口大央さん

まず、眠ってる筋肉を起こす。普段から運動していない人も多いし、常にハードにしたいけど、緩急つけて本人たちのモチベーションも見ていかないと。飽きさせないようにもしないといけないし、今どきの若者が多いので(笑)

本石灰町は医療関係者もつき、その指導のもと給水など充分気をつけます。
しかしそれでもなおトレーニングをはじめて2週間後、根曳きの5人ケガをしてしまいました。さらに1名はすぐの回復の難しかったため辞退せざるを得ませんでした。

原田伸一さん

このトレーニングメニューでケガするんだったら、船に付いたらどうなるんだろうって、想像もつかないようなとこに直面しましたね。最近、食事も喉に通らないです。

ケガ人の手当をする原田さん(左)

◇はじめての船回し ~最年少・川瀬将希さんの苦戦~

7月に入ると、いよいよ御朱印船を使っての稽古に移ります。
本番どおりの流れで入退場から船を回すのです。本番で披露する神社や公園5か所で行い、それぞれ広さや石畳の質(滑りやすさや傾斜)が異なるため、1日2時間、念入りに何日も行われます。

はじめは船をうまく回転させることができず、投げ出されてしまう人もいました。

はじめての船回し 根曳きが投げ出されてしまう(右端)

また本石灰町では、ケガによる欠員が出たため隣町に住む高校生が新たに入ることになりました。

最年少の川瀬将希さん(17)。高校2年生で水産科に通っています。
中学生のころはバスケ部に入っていましたが、高校ではボウリング部を5回で辞め、以降、運動もあまりしていなかったといいます。

新規加入した高校生の川瀬さん
川瀬将希さん

僕のおじさんがちょっと偉い人っていうか、くんちの会長みたいな人と話し合って『一人欠けた』ってことで僕が入れられた・・・みたいな感じです。なし崩し的なとこもあったんですけど(笑)

年上ばかりに囲まれ、終始、緊張しっぱなしの川瀬さん。
はじめて参加した船回しの稽古で、思わぬハプニングがありました。

怒号さえないものの稽古はハードなため、最後まで乗り切ることができなかったのです。体調不良になり、途中で動けなくなってしまいました。
「もう来なくなるのではないか・・・?」そうつぶやく根曳きもいました。

稽古中 動けなくなる川瀬さん

周りの不安があったものの、川瀬さんは次の稽古にやってきます
心配して、着替え中には「ぼちぼちやろうぜ」「無理せんごと」とすれ違うたびに仲間から声がかけられました。
そして川瀬さんが船のポジションにつくと、根曳きの一人がニヤニヤしながら「ここは前に俺がやったとこ。何でも教えるけん!」と歩み寄ってきます。

川瀬さんに話しかける松尾昭さん

松尾昭さん(34)。数少ない前回から引き続き参加の経験者です。
実は松尾さん、前回のくんち本番で体調不良になり、病院に搬送された経験がありました。その時、大勢に支えてもらったことが今も忘れられないといいます。

松尾昭さん

両親や仲間がずっと介抱してくれて、もう感謝を感じましたね。初めて、人間って一人じゃ何もできないことを感じました。気づかないだけで、日々、いろんな人たちに支えられている・・・今度は、自分がみんなを支える立場になろうと決めています。

◇長い稽古を終えて・・・

御朱印船を使っての稽古は、盆休みやインフルエンザの流行で中断することもありましたが、7月から9月中旬まで44回行われました。トレーニングではケガ人が続出したものの、体力がついてきたのか、以降は大きなケガ人はでませんでした。

稽古も終わりが近づく

長采・原田さん今回怒鳴らないと決めていました。たまには、安全に関わるとき、例えば船を移動させている道中に根曳きが周りの確認を怠り、電柱に挟まれそうになったときには厳しい口調になることもありました。

しかし前回の時のよう、感情的に怒鳴ることはありませんでした。

原田伸一さん

船回しに関しては一切怒りませんでした。そのせいで、かなり精神的にもやっぱり来ましたし、体調でいえば”小屋入り”から体重8キロ減りました。ストレスでしょうね、おそらく。こんなこと今までなかったから。だいぶ我慢しますよ、僕。言いたいことも(笑)

苦笑いで話す原田伸一さん

もちろん順風満帆とはいかず、稽古中ピリつくことは何度もありました。ですが原田さんが所信表明した“必笑”を誰もが意識し続けます。

そして9月中旬の稽古最終日。

「だいぶ顔つきが変わった」と皆に褒められている人物がいました。

高校生の川瀬さんです。
準備体操では、笑顔で率先して声を出すなど、7月では考えられない姿でした。

準備体操で自ら声を出す川瀬さん
川瀬将希さん

(はじめは)もう本当に早く終わらんかなと思ってました、言ったら駄目なんですけど(笑)

毎日練習もきついし、学校もあるし・・・ですけど、ちょっとずつ気持ち変わってきました。今は全然楽しいし、くんちの人たちもみんな優しいし、面白いし、楽しいです。

川瀬さんの心を動かしたのは、周りの根曳きたちが、優しく声をかけつづけてくれたことだといいます。

川瀬将希さん

1日で7回も所作を間違えたことがあったんです。それで落ち込んだりしたんですけど、慰めてくれる人もいました。『あんま気にせんでいいよ』みたいな、それだけでも結構グッてきましたね。最近『いつか、飲みに行こう』って誘われるんですよ。一緒に行きたいですね。

◇近づく本番 親族たちの思い

10月3日、本番前の最大行事“庭見せ”が、それぞれの踊町で行われました。
町の空き地に演し物で使う衣装や道具を展示して「稽古が終わり奉納の準備が整った」ことを報告する催しです。展示は無料で見られ長崎市中から客が集いました。

本石灰町の“庭見せ” 御朱印船が展示

飾り付けを担当したのは、世界的な庭園デザイナーの石原和幸さん。本石灰町の元根曳きで恩返しをしたいという思いで引き受けたといいます。
開場の18時から21時まで、終始、あまりの大混雑で身動きできないほど。4年ぶりのくんち開催を長崎市民がいかに待ち望んでいたのかが分かります。

大混雑の “庭見せ”会場

高校生の川瀬さんは、声を張り上げながら客の誘導をしていました。
そこに、ひとりの女性が嬉しそうに声をかけます。

祖母の小西恵子さん(70)です。

川瀬さん(左)と祖母・小西恵子さん(右)

話を聞くと、3年前に新型コロナにかかり、医師から生存率30%と告げられたなかから生還し、肺炎の後遺症が今も残っていて1日3時間しか外出できないそうです。孫の晴れ姿を見たいと、携帯型の酸素ボンベを背負ってやってきました。

祖母
小西恵子さん

(川瀬将希は)ものすごく優しい子なんです。優し過ぎるぐらい優しいですね。『ばあちゃん!』と言って、いつもマッサージしてくれたりするんですよ。

くんちに出れるのは、本当に名誉なことだと思います。私もうれしくて、大病してるんですけども、やはり見ないといけないと思って来ました。

そしてもう1人、遠くからある男性も川瀬さんの姿を見守っています。

叔父の小西貴之さん(48)

川瀬さんの叔父・小西貴之さん

川瀬さんがおじさんからなし崩し的に・・・」と話していた張本人です。

叔父
小西貴之さん

初日に僕が無理やり行けって言った日、すごい涙目になってたみたいです。

7月のころは家で『もう行きたくない!』ってずっと言ってたみたいで・・・それが今はこんなに頑張ってくれて、本当、町に育ててもらってありがたい話です。おいっ子ながら、いい顔になった。大人の階段上ってるんじゃないですかね(笑)

◇そして、長崎くんち本番へ・・・

そして、10月7日から9日の長崎くんち本番がやってきます。

さまざまな思いを乗せて御朱印船は本石灰町を出航。
“必笑”の男たちは、いったいどんな奉納をするのか・・・?

奉納の様子は、以下のNHKのYouTubeチャンネルなどで視聴することが出来ます。

ぜひ、ご覧下さい。※下記はNHKサイトを離れます。

「オラオラ系の時代じゃない」 長崎くんち 過酷な祭りを笑顔で受け継ぐ男たち【Dear にっぽん】



 

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