赤じゃなかった!?サンタの衣装 追跡!バリサーチ
- 2024年01月15日
追跡!バリサーチ宛てにこんな写真が送られてきました。
福岡最古と言われるカフェで、昭和9年に撮られた写真ということなんですが…皆さん、クリスマス風の衣装を着ています。後ろのタペストリーには、ローマ字で『サンタのおみやげ』、カタカナで『クリスマスバライエテイ』と書かれています。その隣には、サンタらしき人形もあって、どうやらクリスマスイベントの写真のようです。
さて、ここでクエスチョンです。写真の女性たちが着ている衣装、何色だと思いますか?
今回は、この1枚のモノクロ写真から知られざるサンタの歴史を追跡します!
(2023年12月22日放送)
写真の送り主は、この方、九州大学名誉教授の藤野清次さん。これまでに不思議な地名の調査に協力して頂いています。藤野さんは、この写真が撮られた昭和9年当時のリアリティーをだそうと、AI技術でカラー化を試みました。すると…
予想では赤だったんですけど、何と青色が出てきてしまった。AIの間違いかな、たまに間違いもあるなという感じでおったんですけど、どうもいろいろ歴史的なそのいきさつがあると…
赤じゃなかった!?サンタの衣装
クリスマスをイメージする衣装の色と言えば、「赤」ですよね…
なぜならば、みんな大好き!サンタクロースの衣装が赤いから。
でも、藤野さんは…
サンタの衣装はもともと赤ではなかったのではないか?
というのです。そもそも、サンタクロースはいつ誕生したのか?…まずはそこから調べてみることに!
広辞苑を引いてみると…
その起源は、『四世紀頃の小アジア、ミュラの司教聖ニコラオスのオランダ語方言』と書かれています。小アジアは現在のトルコ、聖ニコラオスは実在した人のようです。いったいどんな人物だったのか?
キリスト教に詳しい西南学院大学の濱野道雄教授に聞きました。
ミュラ(現トルコ)の大司教と言われた人ですけど、もともと子どもたちを見守る守護聖人という言い伝えがある。(貧しい家庭に)夜にこっそりと窓からお金を投げ入れるとそのお金がそこに干してあった靴下の中にたまたま入って、そのことで子どもたちは身売りをせずにすんだというような逸話が、伝説のように語られています。サンタクロースを生み出す元の話になっているのかなと思います。
聖ニコラオスはその逸話とともに、子どもたちを見守る守護聖人としてヨーロッパ各地に伝わります。
すると、それぞれの地域の神話や風習などと混ざり合って、さまざまなサンタが生まれました。
いずれも痩せ型のおじいさんの姿で、森を大切にするイギリスやフランスでは、新緑をイメージする緑の衣装を着ています。ロシア地方では、吹雪をイメージする白い衣装。愛称は「霜じいさん」。そのほか、青や赤紫などそれぞれの地域に根づいた衣装を着ていたようです。
ちなみに、ドイツでは今でも聖ニコラオスが、それも1人ではなく、ちょっと怖い助手と一緒にやってくると言います…気になった取材班は、福岡大学でドイツ語を教えているアンドレさんに聞きいてみました。
1番有名なのはたぶんクネヒト・ルプレヒトです。棒を持っています。悪い子をたたくんですね!
もっと怖いやつについて話してほしいですか?
クランプス。クランプスは本当に悪魔みたいな…
このやつはプレゼントは持ってないです。これは怖いだけです!(笑)
では、私たちがイメージする、赤い服を着た太ったサンタはどこからやってきたのか?
その最初とも言われているのがこの絵です。
19世紀、アメリカのニューヨーク。パイプたばこをふかし、トナカイが引くそりに乗って空を飛ぶ、太ったひげの陽気なサンタクロースが登場します。
描いたのはこのイラストの人物、ドイツからアメリカに渡ったトマス・ナスト。当時の人気雑誌で風刺画家として活躍していました。
ナストが描くサンタの、親しみのあるその姿が評判となり、衣装を赤く色づけした画集が出版されるなど、アメリカのサンタとして知られるようになりました。
一方、明治時代の日本にもサンタが登場します。
明治33年に出版された本に、『さんたくろう』として描かれています。色は分かりませんが、痩せたおじいさんの姿でヨーロッパのサンタの影響を受けていると考えられます。そりにトナカイ、ではなくプレゼントらしき物を背負ったロバをつれています。杖をついて、モミの木らしき木を抱えているなど、アメリカのサンタとはずいぶんイメージが違いますね…。
大正時代、竹久夢二が描いたクリスマスの絵。サンタと思われる人物が描かれています。
衣装は赤ですが、その姿は太鼓を叩く痩せ形のおじいさんでヨーロッパ風に見えます。後ろの袋にはプレゼントが入っているのでしょうか?
実は、『赤い衣装の太ったサンタ』のイメージが世界中に定着したのは戦後になってからでした。
終戦の翌年、皇居の前に置かれたアメリカ軍の駐屯地にやってきたサンタです。世界中の米軍の基地や駐屯地でこうしたイベントが開かれ、アメリカ風サンタのイメージが広まる一因になったと言われているそう。
さらに…
アメリカの大手飲料メーカーが、太ったサンタを赤い衣装で広告に起用し、世界中に進出しました。
こうして、『サンタと言えば赤い衣装の太ったおじいさん』というイメージが定着していったと考えられています。
サンタクロースの歴史がこんなに奥が深いものとはびっくりしました。日本の場合はやっぱり戦争を挟んで戦後アメリカナイズされているので、どうしてもテレビコマーシャルも含めアメリカンスタイルのウエイトの比重が高くなっている。それはそれでおもしろいなと…
エピローグ あの写真に知られざるエピソードが…
今回の調査のきっかけとなった、昭和9年のこの写真。撮影が行われたお店ですが…
実は、場所を変えて今も営業しているんです!
店を受け継ぐ中村久美子さんに、写真の衣装をAI技術でカラー化すると青だったことをお伝えしたところ…予想を超えるすてきなエピソードを伺うことができました。
赤よりすてきだなと、より、すてきだな、と思いました。
当時支配人の堀江さんという方がドイツに遊学してドイツ人の女性と結婚して、いい関係で日本に来られて、ヨーロッパのクリスマスを意識されたんだなと思いましたね…
当時の支配人とヨーロッパに深いつながりが!とてもロマンチックな物語があったのかも、知れないですね…
今ではヨーロッパでも、赤い衣装の太ったサンタが広まっていて、フィンランドでは、政府公式のサンタとして認定しています。モデルとなった聖ニコラオスの時代から十数世紀、多様だったサンタのイメージは固定化しつつありますが、西南学院大学の濱野教授がこんなお話をしてくれました。
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藤野さんに協力を得た「起路免喜(きろめき)」の謎はこちらから👇