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歌手として挑戦し続ける ー五木ひろしさん・75歳ー(下)

  • 2023年12月02日

 

「完璧」を追い求めて・・・

若い頃とキーやテンポを変えない。そして、体型の維持を徹底すること。
そこまでするのは、歌手として「完璧」を追い求めてきたからだといいます。

(五木さん)僕は何でも完璧主義者なんですよ。手を抜く。これはもちろんそうですけど、手を抜いたりとかいい加減に生きるとか、まあいいやとか、これ全部駄目なんですよ。とことん自分が納得してないとダメなんですよ。全てが100%、だからそこにいつも追求するんですよ。
だから去年よりことし、ことしより来年。いつもそう思いつつ、完璧主義者、なのでそれを求めて、今日までやって来た。だからよかったなと思いますね。

歌手として、徹底したプロ意識を持つ五木さん。
その姿を見た後輩歌手たちからは、こんな反応も…。

(五木さん)
目覚めの少し前にふと昔の事をふと思い出したりするんですけどね。もうめちゃめちゃなことやって来ましたからね。ハードスケジュールって事ですよ。
だからよく、僕のことを後輩の人たちは、人間じゃないと言いますよね。
(大谷)人間じゃない?それはどういうことですか?
(五木さん)人間と思っちゃ駄目だ。宇宙人か、何かそういうふうに思わないと、とても考えられないっていう人いますよ。

モット―は「挑戦と継承」

毎回100%のパフォーマンスを出し切ることを目標にしてきたという歌手生活もことしで、59年目。
第一線で長く歌手として活動する中で、五木さんが今、
最も大切にしている大きなテーマがあるといいます。

(五木さん)
僕のその歌手人生の大きなテーマは継承とチャレンジですから。「挑戦と継承」ですから。
継承は自分自身を継承するっていう意味ではありますね。今となれば、五木ひろしを継承するという。その昔は先輩方を継承していくと、でもそれを歌うってことはチャレンジなんですよね。その挑戦するということと、継承するってことは、僕はこれは僕の大きな目標の2つだったんですよ。

初挑戦!59曲メドレー

そこで、ことし五木さんが新たに挑戦したのが・・・「59曲メドレー」です。
1964年から始まり、昭和、平成、令和へとその時代を象徴した歌謡曲を1時間かけて歌い継ぐというもの。
昭和のヒット曲「あゝ上野駅」から始まり、演歌からアイドルの曲まで。時には踊りを交えながら、ジャンルにとらわれることなく歌いました。
編曲者やオーケストラのメンバーとともに、五木さん自身が選曲やキーを探り、2か月かけて準備したそうです。

(大谷)
私も、この時代こんな歌があったなとかって聞いていてワクワクしました。
(五木さん)
時代時代を追っていった。昭和39年から今の時代まで、「あゝ上野駅」から始まって、歌はこういうふうに変わってきました。だからこそ、流行歌っていうんですよ、ということ聞いてる方にも伝えたかったんで。
ちなみに、みんなメドレーだけをいいますけど、これ2部構成で、75曲歌ったんですよ。75歳で75曲。僕まだゴルフでエイジ―シュートを達成してないですけどね。歌で先にエイジシュートを達成したわけですよ。
(大谷)
しんどいですよね、体力的には。
(五木さん)
それがね、全然そうじゃなかったんですよ。
声が枯れることもなく。別にその間休むこともなくね。他の仕事してましたから。でもね、それをやり通せたんで。何か自分にまた、自信がつきましたね。だから、来年は、だから76歳ですからね。76曲いけるかなとは。59曲メドレーも来年、60曲メドレーいけるかなとか。

来年は・・・歌手生活60年!

歌を通して挑戦し続けてきた五木さん。
これまでの歌手生活を支えてくれたすべての人に感謝したいといいます。

(五木さん)
歌が好きで、音楽の道を歩みたいと思って、迷う事なくひたすら歩いてきましたからね。
それで60年目に入るとかっていう、これはね、本当にもう、何ていうんですかね。両親を含め、天に感謝ですね。もちろんファンがいてくれるからこそね。
それこそ、最後に歌った「あなたに」っていう歌もそうですけれど、励まされてここまでやってきましたから、また僕もそれに応えて、歌ってきましたんでね。だから歌をありがとう。あなたのあなたの笑顔、あなたの拍手にありがとう、という事で、きょうのコンサートは締めましたけど、そういう思いです。

(大谷)来年の60年は、どんな一年にしたいですか?
(五木さん)
舞台公演もありますし、コンサートももちろんありますし、だから、これにどう自分自身がベストを尽くしていけるか。ここへのチャレンジでもあり、ベストを尽くせるっていうね。と同時に、それをやり遂げられたら、僕なりに完成じゃないですかね。まだそこに、僕なりの余力があれば、もうじゃこれ5年歌おうとかね、と思うでしょうけど。僕自身のゴールとまでいきませんけど、一応そういう気持ちを持って、ラストスパートをかけたいなと思ってます。

数々のヒット曲を世に送り出してきた歌手・五木ひろしさん。
年を重ねても輝き続けるスターの姿の裏側には、歌手として徹底したプロ意識、
そして、歌を愛する熱い思いがありました。
すべては、一度きりしかないステージを最高の状態で迎えるため。
来年は歌手生活60年の大きな節目を迎える五木さん。
地元・福井から、今後の活躍を見守り続けたいと思います。

最後に・・・

(大谷)福井へ向けて、何か考えてらっしゃることありますか?
(五木さん)
もう福井イヤーですよね。はい北陸新幹線も含め、紫式部も含め、そういう意味では、全国の人たちが注目する年ですよね、だから僕も、ふるさと大使として、見守りたいですし、僕は何かできることあればいろいろと、お手伝いさせていただきたいなと思ってます。

【取材後記】ー志たてたら迷わずに、信じた道をまっすぐにー
五木ひろしさんとの出会いは、2年前、高浜町の「のど自慢」です。そして今年、「あさイチ」や敦賀での「のど自慢」などでの再会を通じて、インタビューが実現しました。
「のど自慢」出演後に、話しかけるのも恐れ多いな…と思いながらも、これだけ長く第一線で活躍されている五木さんの心の奥にはどんな思いがあるのだろう、その原動力は何なのかと知りたくなりました。
75歳でも変わらず、伸びやかな歌声を出せるなんて、普通考えられない事です。
インタビューの話を持ち掛けた私に対して、五木さんは「君は、ゴーイングマイウェイだね。」と笑って応えてくださいました。(色々な捉え方ができますが、良い意味だと…と信じたいです。)
五木さんは、自身が作詞作曲された「時は流れて…」の中で、ご自身の人生を「戦い続けた人生」と表現されています。デビュー曲「よこはま・たそがれ」でヒットする前は、何度も改名するなど、下積みの時間もあったそうですが、そんな時を乗り超えて、誰もが納得する日本を代表する歌手に上り詰めた五木さん。歌へ向き合うまっすぐな姿勢や周りの方へ温かく接する姿から、私も気づかされることが多くありました。
「時には失敗もあるけれど 志たてたら迷わずに、信じた道をまっすぐに」。
「時は流れて…」に綴られたこのメッセージを胸に、私自身も、一表現者・発信者として「伝えたい」という素直な気持ちを忘れず、日々精進しようと思いました。
インタビューを通して、皆さんにも、歌手として決して妥協しない五木さんの熱い思いが伝わっていると幸いです。

あさイチ出演後に恐竜ポーズで
  • 大谷舞風

    福井局コンテンツセンターアナウンサー

    大谷舞風

    福井4年目。
    「ニュースザウルスふくい」を担当。
    現在、「よこはま・たそがれ」を練習中。
    音域が広くて、難しいですよね…!

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