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地域づくり情報局

一人も取りこぼさない社会をめざして

大阪府豊中市のコミュニティソーシャルワーカー・勝部麗子さん。地域や家族から孤立する人々に寄り添い支える日々を綴ります。

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2024年03月29日 (金)

外国籍の住民が抱える「日常の困りごと」を地域で支える

コロナ禍後も生活が改善しない方たちへの支援をどうするか


昨年5月にコロナ感染症が2類から5類に変わり、地域の活動もかなり日常に戻ってきた感があります。コロナ禍での特例貸付などで出会った人たちの支援やフォローアップは、いまもずっと続いています。私たちの町でも1万6000世帯近い人たちが、支援の対象になり、その中には外国籍の人、子育て真っ盛り世代や飲食業の人たち、観光などインバウンド関係の人たちなど、さまざまな方たちがいらっしゃいます。みなさん、特例貸付でなんとかその場をしのいできたという状況です。

そして今、貸付から4年が経ち、返済が始まっています。貸付を受けた当時は、なんとか月々返済していけるだろうと思っていたのに、生活はなかなか前のようには戻らない。円安の影響や物価高もあって、電気代やガス代も上がる一方で、なんとか生活費の中から返済額を捻出しようとしてもなかなかうまく返せないという状況があります。

運送業の方などは、いわゆる「働き方改革」で、結果的に残業が減らされてしまい、残業代も減ってしまって、想定していた収入が得られなくなった方もたくさんいます。貸付を受けた当時は、自分たちがこれまでのように働けて、給料が支払われているのであれば、その金額の範囲の中で返済ができるのではないかと思っていたとしても、状況がかなり変わってしまっているのです。

また、高齢の方たちも、年齢を重ねたことで以前のようには仕事をこなせなくなってしまい、返済も想定どおりにはいかずにそれが生活をさらに圧迫しまう場合があります。同様な状況は全国的にも広がっています。貸付金を返せない人に対しては、非課税世帯への対応や、多重債務整理のサポートなどが行われていますが、今後もある程度の返済猶予や免除などの対応が必要だと思います。

katsube_20240328_1.jpgコロナ禍のときの貸付窓口

外国からの移住者たちが日常の暮らしで困っていること


そんな状況の中で出会ったのが、日本で暮らす外国籍の方たちでした。海外からの観光客が復活したことで、インバウンド関係の人たちの中には、生活を立て直せた方たちもいますが、いまだ大変な状況の方たちも多くいらっしゃいます。また、コロナが5類になってから、海外からの移住者が急増したこともあり、地域の学校にも外国ルーツの子どもたちが非常に増えています。かつては各学校に何人かいるという感じだったのですが、今はかなりの割合です。

豊中市では以前から、コミュニティソーシャルワーカーと、学校の先生やスクールソーシャルワーカーとの連携に取り組んできて、少しずつ仕組みも整ってきました。特にコロナ禍以降は、それまで一見何の問題もないように見えていた世帯でも、一気に生活が厳しくなった例も多く見てきましたので、子どもたちにそのしわ寄せがいかないよう、学校との連携をより強くしていく必要があると考えてきました。そんな中で見てきたのが、急増する外国ルーツの子どもたちやその家庭が抱える問題でした。

子どもたちは学校を通してある程度の日本語が話せるようになっていても、親御さんたちがまったく日本語が話せず、日本のコミュニティの中でとても不便な生活をされている方がとても多いのです。文化の違いの中で、さまざまな問題に直面しつつも、自分では何が問題なのかすら分からず、どう解決すればいいかも分からないという状況も起こっています。

たとえば、私が家庭訪問をしたあるご家庭で相談されたのは、お子さんの修学旅行に関して学校から配られた書類についてでした。持ってくるものリストの中に、意味がわからないものがあるというのです。書類には衣類や洗面道具のほかに、「カッパ」を持ってくるように書かれていて、意味がわからないので、ネットで「カッパ」を検索してみると、頭にお皿を乗せた河童の情報ばかりが出てくる、と。これは合羽、つまりレインコートのことですよ、とお伝えすると、それはどこで売っているのですか、と聞かれます。作業着のような本格的なカッパだと5000円以上するし、少しオシャレなものもそれなりの値段がする。でも修学旅行で雨具の代わりにするシンプルなものなら100円ショップでも買えますよと伝えると、それならば今からでも準備できる、と安心されるんですね。

地域の防災訓練があって、避難所に集合してくださいと言われても、それがどこにあってどう行けば良いのかもわからない。ごみの出し方が複雑で理解できないなど、外国籍の方たちは日常的にそのような困りごとにぶつかっています。たとえば行政手続きの際に通訳を入れてもらうなど、権利に直接関わるようなことなどについては、当然しっかりフォローしていく支援が必要なわけですが、このような日常の、ちょっとした困りごとに関してはきめ細かなフォローがなかなかしづらかった状況がありました。そのようなサポートできるような人が必要ではないかと改めて考え始めました。

katsube_20240328_2_1.jpg外国にルーツのある人を支援するための相談会

地域の男性たちが、海外経験を生かしてサポート


たとえば、留学生をホストファミリーが世話するように、日本で暮らす外国籍の方たちをフォローするサポートファミリーのような人たちが必要だと考えました。そういう方たちが民生委員や主任児童委員と連携してサポートしていくことができれば、お互いに理解も進むし、ご本人たちも安心して暮らすことができるのではないか。外国籍の方たちがどんな課題を抱えて、どんなことで悩んでいるのか。そのことを理解していくための架け橋になるような人たちを作れないものかと考えたのです。

そこで大きな力になったのが、このブログでも何度も紹介してきた、地域の農園での野菜作りに参加してくださっている定年後の男性たちです。今その農園は8カ所ほどあって、170人ほどの男性が参加しており、みな、野菜作りだけでなく、地域のボランティアとして活躍されています。地元の子どもたちや外国の方たちとも交流してもらっているのですが、見ていると、英語やドイツ語など、さまざまな言葉で流ちょうに話している方たちが少なからずいらっしゃったんです。

これはどういうことなのだろうと聞いてみると、実は仕事で海外勤務が長かったり海外の工場の工場長をされていたりと、海外で暮らしていた方がさまざまいらっしゃったんです。みな、ご自分が異文化の中で、現地の方たちにサポートしてもらって暮らした経験をお持ちでした。であれば今度は逆に、その経験を日本に来ている外国の方たちをサポートするのに生かせるのではないか? とひらめき、さっそく、そういう方を一度集めてみようと、多文化ボランティアを募集することにしました。豊中市には、国際交流センターなど、外国人支援を専門とするNPOや財団などがありますが、もっと日常的な、ちょっとした交流ができるような場を作っていければ、もっと支援に広がりが出て、国際交流センターまでたどり着けない人たちのフォローもできるかもしれません。

私たちが早速昨年12月にこの企画を提案してみなさんに呼びかけたところ、あっという間に40名を超えるメンバーが集まりました。そこで、私たちが今まで出会った外国籍の人たちの暮らしや、抱える問題などについて説明をして、その後は自己紹介の時間をとりました。ニューヨークで暮らしていた方、東南アジアを転々としていた方など、みな世界各地のさまざまな人たちと交流し、多様な文化や生活習慣に触れてこられた方たちでした。たとえば、みんなで一緒にごはんを食べましょうということになっても、外国の方には、宗教的な理由で食べられない食材があるなど、さまざまな文化的な違いがあります。海外経験がある方だと、そのような問題にも非常に理解があって、細やかなサポートが自然にできるのだなということもわかってきました。

外国人移住者の問題は、ビザや就労の問題など、さまざまな課題がありますし、簡単な問題ばかりではないのですが、一方で、日常の暮らしの中で、かろうじて日本語をしゃべれる子どもたちが、日本語のできない親をフォローし、ヤングケアラーのようになっている状況も多くあります。そこにサポートに入り、通訳だけではなく、お互いの文化や生活を知って交流を深めるような、そのようなつながりを作っていけたらと思っています。

現在は、最初に集まった40名が、4つのグループに分かれて活動の準備を始めています。ひとつは、フィリピンの人たちを中心に支援するグループ。2つめは、ネパールから来ている方たちのサポート。3つめは、ウクライナから日本に避難している方たちのサポート、そして4つめは英語圏の人たちをサポートするグループです。これから本格的な活動を始めるところですが、新しい形の多文化交流を地域の中でどう作っていくかという挑戦になると思います。

katsube_20240328_3.jpgフィリピンの人たちとタコ焼きパーティー

katsube_20240328_4.jpgネパールの人たちと野菜づくり

一人も取りこぼさない社会をめざして

勝部麗子さん(コミュニティソーシャルワーカー)

10年前、大阪府で初導入された地域福祉の専門職=コミュニティソーシャルワーカーの第一人者。大阪府豊中市社会福祉協議会・事務局長として、様々な地域福祉計画・活動計画に携わる。2006年から始まった「福祉ゴミ処理プロジェクト」では、孤立する高齢者に寄り添い、数多くのゴミ屋敷を解決に導いた。厚生労働省社会保障審議会「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」委員。信条は「道がなければ作ればいい」。

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