日本を代表するトップモデル・冨永愛さん(41)。神奈川県相模原市出身で、去年、12年ぶりに世界最高峰のコレクションである「パリ・オートクチュール」に復帰しました。さらに、後輩のモデルたちが長く活動を続けられるよう支援する新会社を設立。「モデルの寿命は3年」とも言われる業界の慣習を変えようと動き始めています。
“しゃべらない表現者”であるモデル。そのトップを極めた冨永さんから語られる言葉は、力強く、飲み込まれてしまいそうなほど、迫力のあるものでした。
(首都圏局/ディレクター 楠りえ子)
インタビューの冒頭で聞いたのは、去年出演した「パリ・オートクチュール」について。冨永さんが身にまとったのは、1万2000枚もの革を貼り合わせたという重厚なドレスです。
Q. かなりインパクトがあるこの衣装、実際に着用されていかがでしたか?
これ、めちゃくちゃ重かったんです。会社の人に聞いてみたら、「たぶん30キロあるわね」と言われました。この重いドレスを着て、ピンヒールできれいに歩く、ウォーキングをするということが一番難しいところですよね。
トレーニングもしていたし、準備もできていたので、歩けたんだと思いますね。
30キロは、電動自転車およそ1台分。そのドレスを身につけ、ピンヒールで歩くのは、数々のコレクションを歩いた冨永さんでも至難の業だったと言います。まさに、世界で培った経験と、日頃のストイックな “体づくり“が実を結んだ瞬間。
実は、舞台裏でも思わぬ“困難”が…
あのランウェイの前に、らせん階段があるんですよ。ステージからは見えなかったのですが、そのらせん階段を登るのがとても大変だったんです。
でも、コレクションの中で一番目立っていたし、言ってしまえばめちゃくちゃオイシイ服なんですよ。それを着こなすことができる準備ができていた自分は褒めてあげたいです。
オートクチュールは、プレタポルテ(既製服)とは異なり、一点物の衣装を披露する、世界最高峰のファッションショー。各ブランドのコレクションの中で、注目度の高い衣装を着ることは、選ばれしモデルの証です。
Q. ご出演から約半年経ちましたが、振り返ってみていかがですか?
やっぱりファッションウィークを歩くというのがモデルにとって、どれだけのことかということですよね。頂点なんです、いわゆる。
その中で、オートクチュールのランウェイに出られるということは、最高峰の場所に立つということ。それはプレッシャーももちろんあるし、緊張もするし、でも非常に楽しかったです。
12年ぶりのオートクチュール出演を笑顔で振り返る冨永さん。
しかし、これまでの輝かしい実績と、“プレッシャー”や“緊張”といった言葉が結びつかず、思い切って聞いてみることに。
Q. 安直な考え方で恐縮ですが、世界で数々の実績があって、知名度も高い冨永愛さんなら、どんなランウェイも出られるんじゃないかと思ってしまうのですが…。
確かに、皆さんは、「冨永愛が選んで出るぐらいの感じなんだろうな」と思っていると思うんですけれど、それは本当に違っていて。やはり私は一モデルだし、モデルとしてコレクションに出るということならば、デザイナーがいて、そのスタッフたちがモデルを選ぶんですよね。
モデル=選ばれる立場。
冨永さん自身、その現実に苦しんだ時期もありました。
「見た目だけがものを言う世界、
やっぱり、若い方が有利、
新しい人の方が有利」
「こっちからやめよう!あんたはもう要らない、なんて言わせない」
(冨永愛「Ai 愛なんて大っ嫌い」より)
Q. 著書の言葉が印象的でした。モデルの立場は、どういうものだったんでしょうか?
フランス語でモデルというのは、マネキンという意味なんですよ。そのマネキンに服を着せて歩かせるとか、写真を撮るとか。そのマネキンの形がちょっと時代遅れになったら、次また新しいのを作ればいいじゃん、という感じだったんです。
世界のランウェイから離れた期間はおよそ10年。
その間、冨永さんは、モデルとして培った表現力を生かし、映画やドラマにも挑戦、活躍の場を広げていきます。
さらに、国際NGOジョイセフのアンバサダーとしてアフリカを訪問。女性と子どもの健康を守る活動に参加するなど、社会貢献にも取り組んできました。
多方面の経験を重ねる中で視野が広がったという冨永さん。
次第に、「もう一度、モデルとして世界のコレクションを目指したい」という思いがふくらんだといいます。
年齢によって表現できる美しさ、強さ、人間としての表現というものは絶対あるので。今、私ができる表現もあるし、これからの自分ができる表現もあると思います。
例えば、この人優しそうな雰囲気だなとか、この人明るいなとか、おちゃめだなというのと一緒ですよね。それを自在に操れるようになってくるというのがモデルの表現力。自分の中で、そういう表現方法の引き出しが増えていると思います。
ファッション業界も変革期を迎えていました。
ダイバーシティー(多様性)の考え方が広まっていく中で、10~20代の若いモデルだけではなく、幅広い年齢層のモデルを起用するブランドが現れ始めたのです。
自分より上の世代のスーパーモデルたちが活躍する姿も、冨永さんにとって大きな刺激になりました。
上には上がいるから、まだまだナオミ・キャンベルもいるし、ケイト・モスもやっているし、そこが自分の中での、何だろうな。挑戦し続けているところというか。モデルとしてやっていきたいと思っているのはやっぱり、トップに行きたいからですよね。
Q. その先には…何があるんでしょうか?
もしかしたら何もないかもしれない。ずーっとこういう気持ちでいるんじゃないですかね。でも、モデルでいるということができれば何かが見えるんじゃないかなと思っているんですよ。
自分が何かをすることによって、誰かに何かのどんな影響を与えることができるのかとか、何か変わるんじゃないかって、そんな大それたことを思ってはないんだけれども。
でもね、好きだからなんだと思うんですよ、つまるところは。
話題は、今冨永さんが力を注ぐ、もう一つの挑戦について。
去年、「モデルが長く活動を続けられるように」と自ら事務所を設立し、後輩のモデル2人を受け入れました。業界の常識だった「年齢の壁」を取り払おうと動き始めています。
Q. どういうきっかけで、事務所を設立されたのでしょうか?
悩んでいる友人たちもたくさんいましたし、自分も悩みましたし。そういった意味で、モデルに関してはセカンドキャリアというものを応援する会社があってもいいんじゃないかなと思って、立ち上げたんですよね。
Q. ファッション業界はダイバーシティーが広がっている印象ですが、まだ課題はあるのでしょうか?
私のこの年齢(41歳)でランウェイを歩けているということ自体が、ダイバーシティーが広まった。でもやっぱり、まだ完璧ではないと思うんですよね。
というのは、やっぱりファッションは、はやりすたりの世界なので、それが一時的なはやりで終わらなければいいなと思う。
自らの経験を、ファッション業界の次世代へ。
自分が経験してきたこと、今経験していることを、何かに生かすために、生かせることができるのであれば、後輩や、これからの子たちのためにできるんじゃないかなというのが一番ですよね。
15歳でモデルデビュー。17歳で単身ニューヨークへ渡り、モデルとしてのキャリアを積み上げてきた冨永さん。
Q. デビューから今まで、変わらないで大切にしていることはありますか?
ずっと変わらないところは、自分と闘ってきたというところかもしれない。弱い自分、つらい自分、逃げたい自分と闘って、それでもまだ、それでもまだって、もっともっとと言ってやって来たところが変わらないかもしれない。
自分と闘う。モデルにとっては、己の美を追求することもその一つだと言います。
自分に飽きちゃうと、そこで終わっちゃう。私はもうずっと写真も撮られているし、動画も撮ってもらっているし、自分の顔はひたすら見ているんですよね。で、飽きるんですよ、やっぱり。きっと飽きると思うの。それは多分、皆さんが朝起きて化粧をして鏡を見た自分を見ているのと一緒。
Q. …飽きてしまいます。
ね!飽きてくるじゃない?でも、私たちは、飽きたら絶対だめなのよ。自分が飽きたら、飽きられちゃうじゃない?だから諦めないし、飽きないようにどんどん挑戦している。
自分の可能性を、その余白を持っていると信じているから。だから進めるんですよね、前に。それがなくなったら多分もう何もできないですね。
インタビュー中、何を聞いても、ハングリー精神100%の強い言葉が返ってきます。
自分に満足する、ということはないのだろうか…思わず、こんな質問を問いかけました。
Q. “頑張った自分に100点!”みたいなことはないのでしょうか?
100点取ったことないですね・・・仕事に関しては。
モデルは何が正しいというセオリーもないし、時代によって移り変わっていくものだったりもするし、100点の取りようがないんですよ。
でもね、私は自分に100点をあげられない、そのつらさはやっぱりありますよ。「100点をあげたっていいじゃん」って、たまに思ったりもするけれど、でも納得できないんですよ。
だから、多分プライベートとかで100点あげていると思いますよ。めっちゃオイシイ料理できたとか。
後日、100点をとった料理の写真を頂きました。
インタビューの最後に、新年の目標を聞くと意外な答えが…。
目標を意識してないです。いつも毎年作らないです、目標。
Q. それは、なぜでしょうか?
1年というくくりじゃなくていいと思っているからです。もちろん、目標を持たないというわけではないのだけれども、その目標が出来るタイミングって人それぞれじゃない?
冷静に自分を見ていることができれば、大きな川の流れを察知できるというか、そんな気がするんですよね。
1時間に及んだインタビュー。
一つ一つの質問に真摯に向き合ってくれた冨永さん。その姿に、本来うかがう予定のなかった、個人的な相談もしてしまいました。
Q. 私自身、仕事を楽しめなかったり、人生を楽しめなかったりすることがあるんですが…何かヒントをもらえないでしょうか?
楽しさとか幸せはすごい近くにあると思いますよ。それを見つけられないから、多分つらいんじゃないかなと思うけど。
…って、若者に言ったところで、分かんないよねって思うんです。(笑)
私も、若いころは全然楽しくも何ともなかったから。
だから、大丈夫!若者ってみんな悩んでいるし、悩んでいない人なんていないと思います。だから、大いに悩んで、大いに苦しんで、成長してほしいなと。
人間味あふれる素直な言葉や、自分への厳しさを感じる、迫力のある言葉。
そして、最後には私たちの気持ちに寄り添った、等身大のエールも。
さまざまな葛藤を乗り越えてきたからこそ、迷いなく発せられるその言葉の数々に冨永愛さんの魅力を感じたインタビューでした。