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東京芸大卒 フジコ・ヘミングさん死去 ピアニストの歩みと近況“日本での公演を楽しみに…”

  • 2024年5月2日

東京で育ったピアニストのフジコ・ヘミングさん。

スウェーデン人の父と日本人の母のもとにドイツで生まれ、幼いころに日本に帰国し、ピアノ教師の母の手ほどきで5歳からピアノを始め、17歳でピアニストとしてデビュー。

その後、不遇の時代を過ごしたながらも、挑戦を続ける姿が反響を呼び、ファーストアルバム、『奇蹟のカンパネラ』が、クラシック界では異例の大ヒットとなったピアニストが、4月21日に92歳で亡くなりました。

フジコさんの歩みや近況などについてまとめています。

早くから才能を見せるも“不遇の時代を”

フジコ・ヘミングさんは、スウェーデン人の父と日本人の母との間に生まれ、ピアノ教師の母の手ほどきで5歳からピアノを始めました。

フジコさんは早くから才能を見せ、17歳でピアニストとしてデビュー、東京芸術大学を卒業後は28歳でドイツに留学し、ヨーロッパを拠点に活動しました。

しかし、自身のキャリアをかけた重要な演奏会の直前にかぜをこじらせ一時、耳が全く聞こえなくなるなど、ピアニストとして不遇の時代を過ごしました。

遅咲きのピアニストとしてブームを
フジコさんの波乱に富んだ人生と再起にかける日々を追った25年前の1999年、NHKのドキュメンタリーが大きな反響を呼び、同じ年に出したファーストアルバム、『奇蹟のカンパネラ』は200万枚以上を売り上げ、クラシック界では異例の大ヒット。

60代の遅咲きのピアニストとして「フジコブーム」が起きました。

ピアノを弾き終えてスタンディングオベーションを受けるフジコ・ヘミングさん

フジコさんは、リストとショパンの演奏で高く評価され、世界の著名なオーケストラと共演するなど各地でコンサートを開き、90歳を過ぎても精力的に演奏活動を続けていました。

逆境に負けず強く生き抜いてきた姿と温かい人柄がにじみ出る豊かな演奏は長年、多くの人々を魅了してきました。

フジコ・ヘミング財団によりますとフジコさんは、去年11月に自宅で転倒してけがをしたあと、ことし3月にはすい臓がんと診断され、療養していましたが4月21日に92歳で亡くなりました。

フジコ・ヘミングさんの歩み

自身の演奏について「少し間違ってもかまわない。機械じゃあるまいし」とおおらかに語ったフジコさん。

その生き方は多くの人の心を捉えました。

早くから才能を開花させるも・・・
スウェーデン人の父と日本人の母のもとにドイツで生まれたフジコさん。
家族で日本に帰国し、ピアノ教師の母の指導の下、5歳からピアノを学び始めました。

しかし、父は戦争が始まる直前にスウェーデンに帰国し、母親とともに苦しい生活を送ります。

それでも早くから才能を開花させ、東京芸術大学を卒業後にドイツへの留学を目指しますが、スウェーデンにも日本にも国籍はないとされてパスポートが取得できず、「避難民」としてドイツに渡ったときには、すでに28歳とピアニストとしては出遅れていました。

それでも、現地のベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業し、世界的指揮者のバーンスタインにも注目されるなど頭角を現しました。

しかし、自身のキャリアをかけた大事な演奏会の直前にかぜをこじらせて聴力を失い、栄光をつかみ損ねたフジコさんは次第に音楽界から忘れ去られました。

失意の中、ストックホルムに移住し、耳の治療をするかたわら、ヨーロッパ各地で演奏活動を続けていました。

遅咲きのピアニストとして改めて評価
その後、母の死をきっかけに30年ほど続けた海外生活に終止符を打ち、日本に帰国したフジコさんはNHKの番組で大きな注目を浴び、60代の遅咲きのピアニストとして改めて評価されました。

中でもリストとショパンの演奏は高い評価を受けていて、特にリストの「ラ・カンパネラ」は複雑かつ超絶的な技巧で知られる難曲ですが、「自分のカンパネラが一番気に入っている」と語るフジコさんの演奏は迫力に満ちていました。

さらにショパンの「ノクターン」は、郷愁を帯びたゆったりとした演奏で評判を呼びました。

ピアニストとしての活動の一方で、保護猫を多数引き取るなど動物愛護の活動を実践したり、東日本大震災の際にはチャリティーコンサートを開いたりして社会活動にも積極的で、優しく温かい人柄で知られました。

フジコさんの近況は

財団によりますとフジコさんは、去年11月にけがをして以降、一日も早く復帰してピアノを弾きたいという強い意志を持って治療とリハビリに励んでいて病室でピアノを弾いたこともあったということです。

そして、ことし3月に予定していたニューヨーク・カーネギーホールでの公演や日本での公演を楽しみにしていたということです。

フジコさんの財団は、「奇蹟の『カンパネラ』を再び弾ける日が来ることをフジコ・ヘミング本人ともども切に祈っておりましたが、もう叶えることはできません。しかし、これから先も、フジコ・ヘミングの魂の演奏の思い出が皆さまの心の中で奏で続けられることを願っております」とするコメントを発表しました。

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