墓、遺骨、看取りなどについて、これまで10回にわたってお伝えしてきた「人生のしまい方 あなたは」。
視聴者の皆様からさまざまな投稿が寄せられました。なかでも多かったのが、「墓じまい」についての声です。子どもがいない人や、子どもと離れて暮らす人など、自分の代で墓じまいをしなければならないと考えている人が、さまざまな悩みに直面しているようすが見えてきました。
(千葉放送局記者 木原規衣)
合葬墓の人気や無縁の遺骨の問題などをお伝えきたなかで、多くの反響があったのが「お墓」についてです。寄せられた投稿の一部を紹介します。
夫の先祖代々の墓は、地方の不便な場所にあります。しかし、夫には墓じまいの考えはないようです。きっと様々なしがらみがあるためでしょう。私たち夫婦の他界後、子どもたちに墓の管理をさせるつもりなのかと心配でなりません。子どもたちは更に離れた所に住んでいるのに無責任だ、と密かに腹立たしい感情が湧き苦しくなります。墓の管理で子どもの足を引っ張ることは、親としてどうなのでしょうか。
実家の墓も私のいとこの代で後継がいなくなります。子ども達では墓守りができそうもないので永代供養に移したいと考えています。今の若者の代では1人で4つも5つも墓守りしなければならなくなります。日本の墓のあり方が存続できない時代になってきていると思います。
人の移動が当たり前の現代では、故人と向き合う場は、もっと自由に多様に考えていいと思います。私は、お墓はもうないですが、両親の写真を枕元に置いて、毎日語り合っています。お墓という固定概念にとらわれると、本来の目的を忘れがちになると思います。
車で往復6時間の場所にある墓を墓じまいしました。伯父と伯母をみとり、合葬でよいと言われていましたが、探すのに苦労しました。私や夫が亡くなったら子ども達に迷惑をかけてしまうと実感しました。
お墓の管理に悩んでいる方、墓じまいした方などは、自分たちより若い世代に墓を継承していくことの難しさに直面し、新たな弔いのあり方を模索していることがわかってきました。
そのうちの1人にお話を聞きました。
千葉県市川市に住む宮崎一二三さん(55)。放送を見て、切実な投稿をしてくれました。
宮崎さんの投稿
3年前母を見送り、一人っ子の私は天涯孤独になりました。子どもはいません。いつか、今のままでは私も市役所の倉庫に入ると思います。いとこはいますが、遠方で付き合いも希薄だし、こんな高齢者がたくさん増えてきているんだと思います。今はご先祖さまの後始末に頭を抱えています。
宮崎さんは夫と2人暮らしで、両親はすでに他界。きょうだいや子どもはおらず、夫が先に亡くなれば、みとってくれる親族はいません。
両親が亡くなり“ひとりぼっちになった”という気持ちをとても強く持ちました。自分が死んだ時、無縁仏にならないかということが一番心配です。
さらに宮崎さんがいま悩んでいるのが、遠方にある先祖の墓をどうするかです。
4月半ば、生まれ育った三重県伊勢市にある先祖の墓に、3年ぶりに墓参りに訪れました。
墓石が倒れていますね。ちょっと荒れてしまっているので、もっとまめに掃除しなくてはいけないと思いました。
ここに並ぶ20基の墓は、すべて宮崎さんが母親から継いだ墓。13代の親族が眠っています。
一人っ子の宮崎さんには、別の場所にも父親から継いだ墓があり、管理している墓は40基ほどに上るといいます。生前の両親からは“墓を守り続けてほしい”と言われてきました。
千葉県から新幹線や鉄道、タクシーなどを乗り継いで4時間。こまめに訪れることは難しいといいます。
荒れた墓を見ますと、そのままにしちゃいけないと思いますね。きちんと世話するか、できないのであれば、きれいに片付けるのが責任だと思います。
子どもがおらず継げる人がいないため、墓じまいしなければならないと考えています。ただ、墓地の管理者に問い合わせたところ、取り出した遺骨を永代供養すると1体あたり100万円ほどかかると聞き、合わせると数千万円はかかってしまうのではないかと心配しています。
また、宮崎さん自身もまだ気持ちの整理がつかず、悩んでいます。墓には世話になった祖父母の遺骨が眠り、よく母親と墓参りに訪れていて、思い入れも大きいためです。
いつかは墓じまいしなければならないという思いと、故人を思う気持ちの間で揺れているといいます。
小さいときから通っていたお墓なので精神的に寂しいですね。昔からあるものが自分の代になくなってしまうというのはやっぱり寂しいです。
この日、市内の実家も訪れました。両親が亡くなって以来、空き家になっています。
並んで置かれているのは、19年前に交通事故で亡くなった父親と、3年前に亡くなった母親の遺骨です。
一人娘の宮崎さんをかわいがってくれた両親でした。
この世で一番愛してくれた人です。
2人の遺骨は、墓に納めても、いずれその墓をしまうと考えると、いまだにどこにも納められていません。
母親は生前、父親の遺骨を墓に入れたいと言い、宮崎さんと口論になったといいます。
私は墓に納めるのは反対だったんです。後継者がいないので、いつかお墓を片づけなければいけないから。でも母がそこに入れると言ってどうしても譲らなくて、口げんかみたいになってしまって。そのままずっと遺骨がうちに置いてあるんです。
宮崎さんは、いずれ墓じまいをして先祖や両親の遺骨をともに散骨しようと考えていますが、一方でそれをためらう気持ちも捨てきれません。
いずれ遺骨はなんとかしなければと思うんですけど、ためらいがあります。寂しいな、という気持ちが生まれてくるんです。なかなか踏み切れなくて。片づけなければいけないことは、頭では分かるんですけどね。
宮崎さんの伊勢市の墓参りに同行した際、墓地の中にはいくつか、墓石が風化して積み重なっているなど、管理されていないようすのお墓がありました。子どもや孫が墓を継承しなければ、引き継ぐ人がいなくなって放置される「無縁墓」となり、墓地の管理者が処分に困るなど大きな問題になっています。
地方から上京してきた人などが多い首都圏。お墓に定期的にお参りする、という従来の弔いの形式が現代の生活に合わなくなっているのではないかと感じます。
宮崎さんの場合、墓じまいの費用も大きな問題です。
まず、今ある墓をしまうには、墓石の撤去費用や、墓石の魂を抜く供養の費用、改葬の行政手続きの費用など、少なくとも数十万円がかかる可能性があります。また、墓じまいして取り出した先祖の遺骨については、納骨堂で永代供養すると40体分で数千万円にのぼるおそれがあり、1体5万円程度の海洋散骨のプランを検討しているといいます。
お墓を大切に思う人も、負担に感じる人もいると思いますが、お墓はそれぞれの家族の歴史も背負っているので簡単には決められないと思います。墓じまいしてしまうと元には戻せないので、周囲の人とよく話し合い、十分に納得して進めていかなければいけないと感じました。
墓や弔いのあり方について、今後も取材していきたいと思います。体験談やご感想、ご意見はこちらからお寄せください。
「首都圏ネットワーク」での放送の内容は、「NHKプラス」で5月2日(木)午後7時までご覧いただけます。