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申し訳なくて、お風呂にも入れない 知床・観光船事故 遺族の今

  • 2022年10月26日

「あの日は私の誕生日でした---」。
ことし4月、北海道の知床半島沖で観光船が沈没、20人が死亡、6人が行方不明になっている事故。半年を前に、千葉県に住む長男を亡くした両親が悲痛な心境を語りました。

(千葉放送局記者 間瀬有麻奈)

橳島優さん 画像:家族提供

将来が楽しみだった・・・

私たちの長男、優は名前の通り、優しい子でした。
幼少期は父親の転勤で引っ越しを繰り返し、中学3年生からは、オランダで過ごしました。最初は慣れない英語と海外での生活に苦労しましたが、インターナショナルスクールで勉学に懸命に取り組み、成績も優秀でした。帰国後は筑波大学に入学し、鉄道の安全に関する研究を行い、学会で賞をとるほどでした。
ことしで34歳。結婚を約束した女性もいて、私たちは将来を楽しみにしていたんですーーー。 

優さんの父(65)と母(58)

早朝の電話、突然の悲報

「乗船名簿にお宅の橳島優さんの名前がありました」
4月24日早朝、海上保安庁の職員からそう電話で告げられました。
優は週末の休みを利用して22日から北海道の知床半島へ観光旅行に出かけていました。
観光船が沈没した事故は、ニュースで知っていましたが、まさか、優が巻き込まれるとは思ってもいませんでした。
海上保安庁からの電話は23日の深夜にもかかっていました。そのときは、「こんな時間にかけてくるなんて、間違い電話だろう」と出ませんでした。すると、翌朝、再びかかってきたのです。

【父親】
ただ事ではないなと思って、電話を出たんです。そうしたら、「息子さんが乗っていた」と。
その瞬間、血圧がぐーっと下がって、その場に座り込んでしまいました。

悲しみの対面 今でも涙とまらず

私たちはすぐに現地に向かいました。
案内されたのは斜里町の体育館、遺体安置所でした。
着ていた服はそのまま。ポケットからは財布が出てきました。
今回の旅行のために購入したデジタルカメラは海に沈んだのだろう、ありませんでした。

【母親】 
「たくさん映像を撮ってくるから、楽しみにして待っていて」。
優はそういって出ていったんです。それがこんな形で・・・。
対面した優は苦しそうな顔をしていました。その顔が今も、頭から離れないんです。

【父親】
氷水みたいに冷たく荒れた海に投げ出されて、どんなに苦しかったか、無念だったか。
その光景を思い浮かべると今でも涙が止まらなくなります。
念願だった知床の景色を楽しんで、帰ってくるはずだったのに。
翌週の予定も、将来の予定もたくさんあっただろうに。
一瞬にして、絶たれてしまいました。

引き上げられる観光船「KAZU Ⅰ」

ずさんな安全管理と甘いチェック体制

事故を巡っては、運航会社のずさんな安全管理の実態が次々に明らかになりました。
観光船の運航会社「知床遊覧船」は▽運航管理者が会社を不在にするなど安全管理体制が不十分だったこと▽通信設備に不備があったことなど、海上運送法に基づく安全管理規程の違反が17件確認され、その後、事業許可が取り消されました。
さらに、違反をチェックするはずの国の制度が機能していたのか、課題も浮き彫りになりました。運航会社が届け出た携帯電話は電波の届かないエリアがあるにもかかわらず、国は問題だとせず、そのまま認めていたのです。

岸田総理大臣は5月27日、衆議院予算員会で、国の監査などについて、責任を果たせなかったとする認識を示し、現在、国土交通省の委員会で再発防止に向けた対策が検討されています。

私たちは、事故は防げたのではないかと考えています。 

【父親】
事故の1番の原因は運航会社の安全意識の著しい欠如にあると思います。
その一方で、国の責任も重いと思います。
国は、再発防止策をいろいろと検討してくれてはいますが、それは、今まで何もやってこなかった、放置していたことの裏返しです。
安全をおろそかにしてきたのは運航会社だけではないと思います。

知床半島

悲しみは今も 開けられないプレゼント

あの日から半年。私たちの悲しみは消えることはありません。

【母親】
海に投げ出され、どんなに冷たかったかと思うと、温かいお風呂にも入れない。優に申し訳ないって思ってしまうんです。

【父親】
事故が起きた4月23日は、私の65歳の誕生日でした。優は私のためにプレゼントを用意してくれていました。事故後、妻から聞いて初めて知りました。退職後の趣味として楽しんで欲しいとドローンを選んでくれていたようです。メッセージカードも書いてくれていたんですが、カードもプレゼントの箱も開けることができずにいます。気持ちの整理がつかないんです。

一方で、事故が忘れられてしまうのではないかという不安が強くなっています。

【父親】
毎日、毎日新しいニュースが入ってきて、事故が忘れ去られてしまうのが一番怖いです。

【母親】
まだ、6人が見つかっていません。家族の気持ちを考えると心が痛みます。
行方が分からない人たちがいて、帰りを待っている家族がいるということを忘れないで欲しい。全員が見つかるまで捜索を続けて欲しい。

再発防止に向けて

【両親】
今、再発防止に向けた議論が国の検討会で進んでいますが、事業者もチェックする国も、命を預かる仕事だということを肝に命じてほしい。
そして、船の安全を第一にルールを作り、厳格に守って欲しい。
悲しい思いをする人が再びでないことを祈っています。

取材後記

ご両親は苦しみが続くなか、何度も目に涙を浮かべながらも、事故を忘れてほしくない、という思いで、今回取材に応じてくださいました。自宅に飾られていた写真の中で、家族や友人と一緒にやさしくほほえむ優さんがとても印象的でした。多くの人に愛され、これからの未来を歩もうとしていた優さん。なぜ事故が起き、防ぐことができなかったのか。運航会社や国は誠実に向き合い、船の安全を守ってほしいと思います。

  • 間瀬有麻奈

    千葉放送局東葛支局

    間瀬有麻奈

    初任地の長野では御嶽山噴火災害や軽井沢バス事故を取材。遺族の声を伝えたい

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