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99年前の悲劇 知られざる福田村事件 差別を乗り越えるには

  • 2022年10月19日

流言飛語が飛び交う関東大震災直後、いわれなき理由から朝鮮人や中国人が殺害された。しかし、悲劇は千葉県でも起きていた。知られざる99年前の悲劇、福田村事件を取材した。

(千葉放送局記者 武田智成)

映画「福田村事件」の森達也監督インタビュー記事はこちら👇https://www.nhk.or.jp/shutoken/chiba/article/015/16/

追悼の祈り

ことし9月6日、千葉県野田市にある霊園の一角で追悼式がひっそりと営まれた。
花が手向けられた慰霊碑には、福田村事件犠牲者追悼の文字。
99年の歳月が流れたからだろうか、遺族はおらず、
参列したのは、事件を語り継ぐ市民グループのメンバー10人余りだった。 

福田村事件とは

事件は大正12年9月6日、関東大震災から5日後、福田村(現在の野田市)で起きた。
香川から訪れた薬売りの行商の一行が、村にある神社で休憩していたところ、地元の自警団に朝鮮人と疑われたことをきっかけに一方的に襲われ、15人のうち子どもや妊婦を含む9人が殺害された。
当時、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などと流言飛語が飛び交う中、各地では政府の呼びかけに応じて自警団が結成。街頭では朝鮮人への尋問が繰り返され、中には暴行を加え、殺害に至る事件も多発。
福田村を通った行商は日本人だったが、香川の方言を聞いた自警団が朝鮮人だと決めつけたことが事件の引き金になったとされる。
殺害を主導した自警団員8人はその後の裁判で、懲役2年から10年に処せられたが、その後、昭和天皇の即位による恩赦で釈放された。
事件は当時、新聞で報じられたものの、その後、長く忘れられ、1986年、朝日新聞の報道で再び知られることになる。 

現場となった神社 
提供:市川正廣さん

“2つの差別意識”

この事件を今に語り継ごうと活動を続ける市民グループの会長、市川正廣さん(79)に話しを聞いた。

 市川正廣さん

市川さんは野田市育ちで、2004年まで、野田市役所に勤務。在職中の1999年に野田市で開かれた福田村事件の勉強会に参加したことをきっかけに市民グループを設立、2003年に慰霊碑を建立するなど活動を続けている。
市川さんは事件は、日本社会にある2つの差別意識が引き起こしたと指摘する。

【市川正廣さん】
ひとつは民族的な差別意識です。
日本は当時、韓国を併合するなど植民地化を進め、朝鮮半島出身者を差別する意識があり、朝鮮人や中国人が犠牲になった関東大震災直後の虐殺事件を愛国心から生まれた行為だとして正当化する雰囲気がありました。
福田村事件の犠牲者は日本人でしたが、村では罪に問われた自警団を支援しようと、弁護費を負担する動きもあったといいます。
もうひとつは、職業差別です。
当時は、「あやしい行商人を見つけたら警察に通報せよ」と書かれた防犯ポスターが作られるなど、偏見を助長する雰囲気がありました。
こうした職業差別も、自警団の暴発に拍車をかけたとみられています。
また、こうした差別や偏見が社会に根強くあったため、被害者側から声が上がりにくく、人々の記憶から忘れ去られてしまったのではないか。

私たちが学ぶべき教訓は

来年は事件から100年になる。私たちが学ぶ教訓とは何か。
市川さんは、悲劇を引き起こした差別意識は今も変わらず、残っていると指摘する。

【市川さん】
時代が変わり、人権への意識は高まっている。しかし、差別や偏見はへイトスピーチやヘイトクライムとなって、今も日本社会に残っている。必要なのは、差別や偏見が何を生むのか、歴史を知ることだと思う。 
私たちのグループは、今後も現場を見学する勉強会を開くなどして、事件を語り継ぐ取り組みを続けているが、市民グループの活動には限界がある。例えば、人権教育として学校現場が取り組んで もらえれば、その影響は大きい。行政にその役割を期待したいが、地元には加害者を出したという過去には触れたくないという心理が強く、その動きは鈍い。

市川さんによると、2003年に慰霊碑を建立する際、市に協力を要請したが、断られたという。また、完成時の除幕式への出席を求めたが、これも断られたという。追悼式は2003年以降、毎年開催しているが、市の出席はないという。NHKが野田市役所に取材したところ、いずれも事実だと認めた上で、その理由について、「事件はあくまで民間どうしのもので、加害者側がすでに罰せられているほか、協力の要請などが地元の地区からないため、関わらないと判断している」としている。

100年、そして未来に向けて

未来に向けて、私たちができるとは何か。
市川さんは、負の歴史だとしても、決して目を背けてはいけないと指摘する。

差別意識からの克服は、負の歴史を直視し、乗り越えた先にあるのではないか。もちろん、これは野田市だけでなく、日本社会全体が向き合わなければならない課題でもある。そういう意味で、事件から100年となる来年の追悼式は、次の100年へ一歩を踏み出すものにしたい。そう願っています。

取材後記

福田村事件を知ったのは追悼式直前のことし9月、知り合いの記者からの情報でした。関東大震災で朝鮮人が虐殺されたことは知っていましたが、日本人が間違って殺害されていたことは、聞いたこともありませんでした。
これは大事なニュースだーーー。情報を急いで確認し、追悼式を取材。ニュースで放送すると、今度は、SNS上で広がった反応に驚かされました。「地元だけど、初めて聞いた。こんな恐ろしいことが事件があったのか」。
来年は事件から100年。市川さんの言葉を胸に、これからも取材を続け、伝えていきたい。 

  • 武田智成

    千葉放送局

    武田智成

    2018年入局。事件や事故、裁判取材などを担当。人権問題や戦争などに関心があります。

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