キャスター津田より

8月25日放送「岩手県 大槌町」

いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。

今回は、岩手県大槌町(おおつちちょう)です。人口が約1万2千の町で、震災では町民の1割に当たる1200人以上が犠牲になりました。震災後は人口が2割以上減少し、減少率は県内最大です。震災の爪痕を残す旧役場庁舎の解体ばかりが注目されますが、それだけではない町の現状を取材しました。

8月25日放送「岩手県 大槌町」

大槌町の仮設住宅の入居率は、今なお2割以上で、800人近くが暮らしています。はじめに、20人が暮らす赤浜(あかはま)第4仮設団地を訪ねました。

8月25日放送「岩手県 大槌町」

ここで会った70代の元漁師の男性は、今月27日に新居が引き渡され、7年続いた仮設暮らしも終わるそうです。お酒を控えて節約に努め、息子が借金をして家を再建しました。14m以上も土地をかさ上げする復興工事は、予定より大幅に遅れたそうです。

「俺は家内に"海を見なくちゃ生きていられない"って言ったのね。当初は3年ぐらいで建てられると思って、4年前にはハウスメーカーと契約していたの。ところが、造成が遅れて時間がたってしまって、資材が高騰して大変ですよ。"忍、長生き、努力"だね。せっかく新しい家に入って楽になったのに、亡くなってしまっては意味がないからね」

次に、80人が暮らす、大槌第5仮設団地に行きました。

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ここでは、夏休み中の小学生の兄弟に出会いました。8歳と7歳で、弟は震災の4日前に生まれたそうです。2人とも、生まれてから仮設住宅の生活しか知りません。一家は町の中心部に家を再建し、9月以降に引っ越す予定です。2人は大きな声で、"新しい家に入るのが楽しみです"と言いました。30代の母親は、津波で祖母などを亡くしたそうです。

「あっという間…7年は早いっていう感じですね。新しい家に移ったら庭を造りたいですね。お花や野菜を植えて…。子ども達にはとにかく、まじめに育ってほしい…それだけです」

いま仮設に残る方の大半は、新居は既に決まっていながら、まだそれが完成していない人などです。法律では2年のはずの入居期間も、丸9年までの延長が決まりました。一昨年末の段階では、今年度までに仮設団地を集約し、2つだけを残す計画でした。しかし復興事業の遅れで見直され、今年度はまだ7つの団地は残される予定です。

 

その後、去年10月に仮設住宅から新居に移ったという人を訪ねました。元郵便局員の70代の男性で、妻と長男夫婦と4人で暮らしています。実は5年前、私たちは仮設住宅でこの男性を取材していました。その時は、1日も早く、流された自宅と同じ場所に家を再建したいと言っていました。

「私、祭りバカなもので、以前住んでいた上町(かみまち)では、"城内(じょうない)大神楽"という由緒ある郷土芸能をやっているんです。ですから、離れられないんです。でも、家族は津波を見ているからトラウマになっていて、息子もお嫁さんも孫も、"そこに住みたくない"って言うんです」

あれから5年たった今、男性は葛藤のすえ、元の場所を離れて新居を構え、暮しています。元の場所へのこだわりは多少残っており、今も自宅の土地は売っておらず、今後も売りたくないと言います。

「生まれた時からそこに住んでいたから、こだわりはありますよ。でも仮設にいた時から、自宅再建が何よりの家族の目標で、幸いにも去年、息子夫婦が頑張ってここを建てて一緒にいるから、今は幸せです。まだまだ長生きして、孫たちの成長を見たいと思います」

地元を離れたものの、70年近く参加してきた神楽に参加するのが、今年も楽しみだそうです。男性のように元の場所を離れて自宅再建するケースは多く、津波のトラウマの他にも、復興事業の遅れが大きな理由です。中心部の町方(まちかた)地区では、宅地の引き渡しを待ちきれない住民が地区外に家を建て、1年前の調査によると、再び地区に住む意思を示した人は計画の半分あまりでした。

 

その夜、町内の災害公営住宅では、住民たちによる盆踊りが行われていました。

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ここで会った70代の女性は、2年前、夫と娘の3人で仮設から移りました。現在は、青果卸の店で働いているそうです。

「私とすれば、高い所で、見晴らしも良くて、気持ちが晴れ晴れして、ここが好きという感じですね。いま生きているのが、もうけものだと思っています」

一方、同じく70代のご主人は、災害公営住宅に移ってからの暮らしについて、こう言いました。

「なるべく外に出たくないという感じ。何と言うか…張り合いがないね。散歩する時も、風景が全然違うんですよ。歩くたびに、"ここが何だった、ここは友達の家だった"とか、頭から消えないんですよ」

ご主人の気晴らしは、趣味の針金細工や竹細工です。この竹細工を教えてくれた友人も、津波で亡くなりました。奥様は夫が外出するきっかけをつくろうと、ゴミ出しを夫に頼んでいます。ゴミの集積所まで行けば、誰かと少しでも話ができるからだそうです。1人暮らしだけでなく、家族と暮していても、こもりがちになる方がいるのを忘れてはいけません。

 

さて一方、町では、あちこちから復興の息吹や活気も伝わってきます。町内の災害公営住宅は8割が完成し、6月には文化交流センターもオープンしました。

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被災した大槌駅の再建工事も始まっています。

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3か月前にオープンしたばかりの、カフェを併設したコミュニティ施設に行ってみると、若い母親を中心に、花を使ったインテリア雑貨を作っていました。

8月25日放送「岩手県 大槌町」

ここでは週1回程度、主に女性を対象に、趣味などの講座が開かれます。主催するのは子育て支援のNPOで、代表の28歳の女性は、4歳と2歳の子を持つ母親です。津波で自宅を失った後、2人の子どもを授かり、仮設住宅で育ててきました。

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「2人を出産して、仮設に住んでいたので不便な生活も経験しましたし、その上で、この町でどうしたら母親がキラキラして過ごせるのか、母親の居場所づくりが必要じゃないかと思って、NPOを設立しました。全ての女性が、元気にいろんなことに挑戦して、楽しみや学びを得られる町にしたいです」

実のところ女性は、いま住んでいる災害公営住宅の家賃の減免が、来年で切れてしまうという不安も抱えています。それでも女性は前を向いて、力強く話してくれました。

 

また、町の中心部では、新しい店が徐々に建ち始める中、ことし7年ぶりに再建した理容店を訪ねました。

8月25日放送「岩手県 大槌町」

役場職員だった夫を震災で亡くし、自宅も店も失った70代の女性が、一人で経営しています。私たちはこの女性を、震災翌年に仮設店舗で取材していました。その時は、こう言っていました。

「夫を火葬した後の10日間は、前向きな気持ちもしぼんで何もできなくて…。でも、ボランティアの人が入れ代わり立ち代わり声をかけてくれて…。独りじゃなかったって、本当にありがたかったです」

あれから6年…。補助金などを使って自宅兼店舗を再建し、散髪用の椅子など一部の設備は、業界団体から援助を受けました。店をやめる考えは毛頭なく、店舗建設に迷いはなかったそうです。

「元気で働いている姿を、新聞なりテレビなりで発信することが、私の恩返しという気持ちです。この7年間、遠くの方も近くの方も支えてくれたおかげで、元気に働いてこられたし、これからも働きます。75歳までは、元気であれば続けたいです。それでも元気なら、半年ずつ延長して…」

女性は笑って話しましたが、正直なところ、町での商売再開は決して楽ではありません。3月の町の調査では、仮設商店街で営業する店の3割が、土地整備の遅れや施工業者の不足で、退去期限までに新しい店を再建できないと回答しました。結局、一つの仮設商店街に集約した上で、退去期限を再来年3月まで延長することになりました。再建場所は決まっても、いつ移れるか分からない店もあります。人口減少も大きな懸念材料です。それでも何とか商売を続けようという方々の努力が、今の活気の源です。

 

さらに、町のPRに奔走する女性がいると聞き、会いに行きました。観光交流協会の50代の職員で、実家を津波で失いました。震災後は、郷土料理の食堂や語り部活動に精力的に関わり、湧水を使った地ビールづくりや商店をPRするイベントなども手がけました。現在は、東京・赤坂で開かれる、大槌の郷土料理を楽しむイベントの開催に向けて奔走中です。

「震災4年目ぐらいから、いろんな所に行って"大槌から来ました"って言うと、"どこ?"って聞かれるようになったんです。震災で大槌って名前が全国に広がったし、震災からまだ4年だし、正直、知っているって思っていたんですよ。でも、大槌を伝えるきっかけをつくらないと、完全に忘れ去られるんだって…。自分が何気なく食べてきた料理が、都会では"すごい"ってなるんです。それって、きっかけですよね。大槌の人、そこでしか食べられないものに触れてほしいです。是非いらしてください」

女性のエネルギッシュな姿勢は、大槌にも明るい未来が待っているという空気にあふれていました。

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