白虎隊の生き残り、飯沼貞吉の足跡を調べてほしい!

今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします!

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「白虎隊」は、幕末に10代の会津藩士らで構成された会津藩の部隊です。
1868年の戊辰戦争に参加しましたが戦況が悪化し、飯盛山(いいもりやま)で「士中(しちゅう)二番隊」の一部の隊士が自ら命を絶ちました。

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その中で唯一、一命をとりとめたのが飯沼貞吉でした。

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貞吉がなぜ仙台で暮らすようになったのか、その経緯を取材しました!


ゆかりの場所を案内してもらった!

飯沼貞吉は晩年、仙台で22年間暮らしました。
今回、その子孫にお会いできることに。

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安藤さん
「飯沼貞吉さんのお孫さんですか?」
一宇さん
「はい、飯沼貞吉の孫の飯沼一宇(かずいえ)と申します。」

仙台市にお住まいの一宇さんです。
さっそく、貞吉ゆかりの場所へ案内してもらいました。

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一宇さん
「これが祖父の最期の地。」
安藤さん
「『飯沼貞吉終焉(しゅうえん)の地』って書いてありますね。」
一宇さん
「はい、最期をここで迎えたので。」

かつて貞吉が住んでいた家が、平成3年までこの場所にありました。

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安藤さん
「貞吉さんの記憶はございますか?」
一宇さん
「私が生まれる10年前に貞吉が亡くなってますので、直接会ってないです。」


白虎隊の後の人生は?

貞吉はなぜ仙台に来たのでしょうか?
一宇さんの弟が書いた本に、貞吉のその後の人生が書かれていました。

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戊辰戦争終結後、新政府が勝利し貞吉は謹慎処分に。
謹慎後は学問に励んだ貞吉。そこで出会ったのは「電信」でした。

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「電信」とは「モールス信号」のこと。
離れた場所に情報を送れる、当時としては最新の技術に、貞吉は強い関心を持ちました。

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一宇さん
「新政府に政権がすっかり変わりましたから、新政府につくしかない。
そしておそらく新しい工学的、科学的知識を学んだのではないか。」

戊辰戦争から4年で、電信技師の資格を取得した貞吉。
国の電信事業を行う機関に入り、全国各地を回って、今でいう電信柱を立てるなど現場の工事に携わりました。
訪れた都市は35年で20か所にもなったといいます。

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そして明治40年には、国内すべての主要都市を結ぶ通信網が完成。
これにより日本中で電話ができるようになりました。

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一宇さん
「当時西洋から入ってきた新しい技術を取り入れて、そして日本で発展させて根付かせたということが(今の通信技術の)基盤になっていると思う。」



今も仙台で眠る貞吉

貞吉は56歳のとき、それまでの功績が評価され、仙台逓信(ていしん)管理局の工務部長に就任。
定年後も仙台に住み続け、和歌などを楽しみながら静かに余生を過ごしたといいます。
78歳で亡くなった貞吉は、仙台市内の寺で眠っています。

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白虎隊の生き残りとして、そして電信技師として生き抜いた貞吉。
一宇さんは次の世代に祖父の物語を語り継いでいるといいます。

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一宇さん
「ある意味では(貞吉は)歴史の一点を形作った。
その後、新しい政府のために日本の発展のために色々働いたんだよということを話しています。」


安藤のひとこと。

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安藤さん
「白虎隊の生き残りとして激動の時代を生きた貞吉の生涯を追っていきますと、どんな思いでこの時こんな選択をしたのかなと想像しながら、歴史を“生きたもの”として感じることができました。
『人』から地域の歴史を学んで、それを語り継いでいくということが今を生きる私たちに必要なことなのではないかなと感じました。」

 



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