未来への証言 工場流出 再起は"シラス"

(初回放送日:2021年11月11日)

※NHK仙台放送局では震災伝承のため被災者の証言の音源を保存・公開しています。

宮城県名取市の閖上地区で水産加工業を営む相澤太さんの証言です。
相澤さんは震災当時26歳。津波で、港のすぐ近くにあった自宅と加工場は全壊しました。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

手嶌)小学校で津波を見た?

相澤さん)そうですね。小学校の屋上で避難している時に、名取川の方から津波が閖上の方に入ってきて。自分の目線から左側に川があって、そこから津波が右側に向かってというか、南の方に向かって流れていたんですけど、家がそのままスライドしていくみたいな。突然左から来た津波に流されて家がスライドしていくみたいな。「あっこれで津波来た」というのをその時に初めて分かって。とにかくもう黒い濁流が閖上の町を飲み込んでいくっていう光景を目の前に見て、本当にぼう然と立ち尽くすだけというかね、そういう状況でした。その時はね。

手嶌)その時に心配したことや考えていたことは何でしたか?

相澤さん)その中には「本当に目の前で津波で家族を流されちゃった」とか、「家なんか全部流されていたよ」ということを、逃げている人から聞いていたので。うちの場合は家族がみんな無事だったんで、それ以外の心配っていうのはなかったですね、逆に。「それだけでも良かったね」という状況でしたね。当然、家もないだろうし、工場もなくなっているから全てを失っているんですけど、でもまあ「命だけはあったからうちはまだ良かったかな」っていうか、そういう顔を見せられなかったですよね。自分たちよりも大変な思い、まだ家族の安否を確認できない人とかもいたので。

家も会社も失い、相澤さんは、生活再建のため一時静岡の水産加工会社で働くことを決めます。その時「あるもの」と出会いました。シラスです。ふるさとの復興に新たな名物が必要だと考え、地元に戻り、動き出します。

相澤さん)2017年から宮城県でシラスの水揚げの許可が下りて。

手嶌)(相澤さんが地元に戻った)その年に下りたんですね。

相澤さん)私が帰ってきた年にシラスがとれる許可が下りて、震災後にすぐ静岡でシラスの製造に関わってきましたので、「これはもうシラスに全力投球するしかないな」と。シラスって資源が豊富ですし、やっぱり産業を盛り上げるためにはですね、マーケットが大きいものでないと。たまたま閖上でとれるようになったということだったので、シラスに全てかけるしかないというところだったので、わりと考えなくても頑張らなきゃいけない状況が来たというか。なんていうんですかね、やっぱり震災があったからなのかもしれないですけど、わりと目標とかゴールは共有しやすくて、そのゴールに向かってみんなで一緒に協力しながら、シラスを町の産業にしよう、名物にしようと、そこから一気に盛り上がっていきましたね。あと同じ閖上にいる加工屋さんとか、いろんな方とシラスを盛り上げるためにシラス祭をやってみたりとか、いろんな販売会に行ってみたりとか。

手嶌)あの出来事をふまえた上で、どういったメッセージを相澤さんなら残しますか?

相澤さん)ここまで復興ができる、できたっていうのが、やっぱり人の頑張りや努力というか、人の支え合いだったりとか、人間ってわりと捨てたもんじゃねえなっていうか。頑張ればなんとかゼロからでも、いくらでも始められるんだなというものを目の当たりにして。自分もそれをやってこられたんで、どんな時でも希望を持って生きてほしいなというのが、未来の方にも届いてくれるといいなと思いますね。