未来への証言 あの日、防災無線から響いた声

(初回放送日:2021年12月10日)

※NHK仙台放送局では震災伝承のため被災者の証言の音源を保存・公開しています。

女川町役場の防災無線の呼びかけを担当した八木真理さんの証言です。
震災当時36歳だった八木さんの声を耳にし、高台に避難したという声も多くありました。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

黒住)役場の中というのはどんな状況でしたか?

八木さん)立っていられなくて机の下に潜っていたんですけど、テレビとか電気が一瞬ばっと消えたんですけど、そのあと多分自家発電に切りかわって、とにかくもうすぐ津波が来るって思ったので、どれぐらいのが来るんだろうって思いながらすぐ放送に向かったっていう感じです。

黒住)その放送については、どんなものをみなさんに呼びかけたんですか?

八木さん)「現在大津波警報が発令されていますので至急高台に避難してください」その原稿をひたすら繰り返して。自分がせっぱ詰まったような呼びかけをすると町民の人がパニックになるんじゃないかと思って、自分では落ち着きながらも、でもちょっと緊急性を持ってしゃべろうって思いながら話していた記憶はあります。 

黒住)呼びかけというのは、変わっていった部分はありますか?

八木さん)放送している間に職員の方が上がって来てくれて、最初の「役場企画課からお知らせします」っていう文章はもう話さなくていいから「とにかく高台に避難してください」というのだけを繰り返して放送してって言われて、そこからはあとずっとそれだけを繰り返して話をしていました。

黒住)ドキドキもあったと思うんですが?

八木さん)ドキドキもありました。でも早く逃げてほしいというのと、でもやっぱりあんまり焦らせちゃいけないっていう。どういうふうに話したらいいんだろうって思いながら、繰り返して言うことしかできなかったっていうのが、その時のことを振り返るとそういう感じです。

黒住)津波が3階まで浸水したということですけれども。

八木さん)はい。当時の防災係長さんが突然入ってきて「ここも危ないから上に上がれ」って言われて、
その時、「え!?」って初めて思って、パッて放送室を出たらもう2階と3階の踊り場まで水が来ていて、本当に間一髪だったと。防災係長が来てくれなかったら助からなかったかなと思っています。

黒住)人の生死をその無線で分けてしまうかもしれないっていう葛藤というのはありましたか?

八木さん)こんなに大きい津波が来るんだったら、もっと落ち着いて話そうなんて思わないで、文面も無視して「とにかく早く逃げてください」って、もっとせっぱ詰まって言った方が、もっともしかしたら助かった方もいたんじゃないかなって。まぁどうしようもなかったんですけど、あの放送で良かったのかなって思ってちょっと悩んだ時期がありました。

黒住)改めてご自身の行動を振り返って思うことはありますか?

八木さん)私の祖母と弟も亡くなっていたんですけど、津波で。こんなことならもう放送もしないで助けに行けば良かったなって思ったり。何かすごくそこは葛藤したというか、そこはすごく苦しかった時がありました。でも仕方なかったなって、あのとき自分の判断はそうだったから、それしかできなかったなっていう思いで納得した所はあるんですけど、そういう感じでした。

黒住)改めて防災に対する考えというのは、今10年経ちましたけどいかがですか?

八木さん)そうですね。祖母からいつもチリ地震津波のことを聞いていて「津波が来てもここは大丈夫」みたいな感じで祖母が話してたのがすごく印象に残っていたので、壊滅的に流されてしまったっていうのを見て、自分の過去の経験とか自分の思い込みで決めつけてしまうことがこんなに怖いことなんだなというのを改めてこのあいだの震災で思い知ったっていう感じでした。だから「ここは大丈夫」なんて思わないで「もっともっと上に」とか「遠くに」っていうふうに避難しないとだめなんだなって、今はすごくそれを思います。