未来への証言 子どもの命を守った避難訓練

(初回放送日:2024年3月5日)
※NHK仙台放送局では震災伝承のため被災者の証言の音源を保存・公開しています。

名取市の佐竹悦子さんの証言です。
漁港からわずか260mの位置にあった閖上保育所の所長を務めていた佐竹さんは、事前に具体的な避難行動を定めたマニュアルを作っていました。地震発生後はすぐに計画に従って素早い判断を下し、幼い子どもたち54人全員を無事に避難させました。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

千葉)佐竹さんは所長としてどんな指示を出したんですか?

佐竹さん)主任から「今お預かりしているお子さんは全員います」っていう報告を受けたので、では避難しましょうと。で、3つの指示を出したんですけれども「逃げます」「車を持ってきてください」「小学校で会いましょう」という3つですね。それは事前に打ち合わせをしてあって、何かが起きたとき、閖上という地域上、どうしても最悪で考えなきゃいけない一つに津波があった。職員は全員転勤して閖上保育所に来ておりますので、私をはじめね。分からないからよけいに、地域の方にお尋ねしたり、消防署に問い合わせをしたりして、どう避難しようっていうのを職員で考えていたんですね。だから、まず逃げる、っていう。で、2つ目の「車を持ってきてください」っていうのは、何しろ1歳から未就学の子どもたちだけを預かっている。っていうことは、どんなに頑張って走っても、もうすごく時間がかかりますよね。だけどもし津波だったら閖上の地域なので、やっぱり遠くに行くことを考えなきゃいけなかったんですね。その場合に、車を使わないで遠くまではいけないっていうのが判断だったので、職員の車で運ぶというふうに決めていました。で、3つ目の「小学校で会いましょう」は、避難訓練のマニュアルの中には、近くに3階建てのアパートが、そこに避難するようにはなっていたんですけれども、職員と現地で検証した時に、間口も狭いし、子どもたちがいるスペースもすごく小さい、こういう所ではとても不安だということが出てきたので「じゃあどこに行こうか」っていうことで、およそ2キロ内陸の小学校までっていうふうに決めていたんですね。で、その3つを伝えて、職員は、即座に、誰が何をするっていう細かい役割は決まってないんですけど、お互いに目と目で合図をしあって、車を取りに行く者、子どもを擁護する者っていうふうに分かれて対応して、そしてすぐに、各自の車で避難してくれました。

千葉)迷うことなくすぐに行動できたっていうのはどうしてだと思いますか?

佐竹さん)職員がマニュアルを作ったり実際に避難訓練をしたりしたときに、どれだけ真剣に取り組んで、そして自分の行動の反省の繰り返しとかをきちっとしていてくれたっていうことが結果として表れたのかなと思っています。当たり前じゃない時が来たら、慌てずに動けるかって言ったら、それは訓練しかないんですね。何度も繰り返しやってみるっていうことが大事で、体験してないからっていうんではなくて、考えられる災害を想定してみて、そしたらどこに逃げよう、どこに避難所があるんだろう、どこの道を通ったら大丈夫なんだろうって。とにかく不安だったら安全な所に避難をする。そのことに関して、きちっと調べておいてほしいなと思っています。