小学校の屋上で仲間とつないだ命

今回は、宮城県山元町の中浜小学校で被災した千尋真璃亜さんの証言です。
千尋さんは、震災当時、小学3年生。
避難場所に指定されていた中学校まで、子どもでは徒歩で20分もかかるため、
当時の校長が屋上への避難を決断しました。
その後、津波が襲来。
海から400mしか離れていない2階建ての校舎は、屋上を残してほとんど水没しました。
子どもたちは屋上の倉庫で一夜を過ごし、翌日、救助されました。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

黒住)揺れが起きた時はどんな状況でしたか?
千尋)私は2階の3年生のところの教室にいて、
そこで算数の宿題みたいなのをしていた時に、地震を体験しました。

黒住)最初の揺れというのは、体感的にはどんな揺れでしたか?
千尋)こう…校舎ごと“ぐるぐる回されている”ような…
机の下に潜ってたんですけど、机ごと動いてしまうぐらいたったので、
本当に強い揺れだったのは覚えています。

黒住)その後、揺れがある程度収まってから、小学校の状況というのはどんな状況でしたか?
千尋)すぐ近くに住んでいた同じクラスの男の子のお父さんが来てくれて、
それでもう逃げようっていうことで、
本当に先生方も大人の方たちも、本当に今まで見たことないような表情というか、
これは緊急なんだなというのを感じました。

黒住)その後、津波があったと思うんですけれども津波の音とか、 勢いはみたいなのはどんなところに感じましたか?
千尋)私が見た光景は、松林がいっぱい植えてあったんですけど、その松林の隙間から黒い波が見えてきたのが、分かって。
これが津波なんだっていうのを始めて実感して、でも、もう襲ってくる瞬間というのは、
先生たちのご配慮で子どもに津波を見せたくないっていうことで、倉庫に避難できたんですけれども、
本当に津波って本当に真っ黒い壁で来るんだなっていうところで、本当に衝撃でしたね。

黒住)音は聞こえたと思うんですけれども…どんなものでしたか?
千尋)こう地鳴りと一緒に、ゴーっていう音が聞こえていて、
ものすごい威力があって、本当に耳に響いてくるような重い音というかそういう感じでしたね。
防災無線のサイレンの音だったりあと周りの子たちが泣いている声だったり、先生の声だったり
いろんな情報というか音がたくさん聞こえてきて…本当にパニックになっていたというか、
本当にあの時初めて9歳ぐらいでしたけど私は本当にここで死ぬかもしれないっていう思いを初めてしました。

黒住)屋上に避難して一夜を仲間や先生たちと過ごしたということですけれどもどんな一夜でしたか?
千尋)本当にあの日は雪も降っていた日っていうのもあって、もうとにかく寒いし、
あと余震がすごく多かったので、横になってみんなで寝ている感じにはしてたんですけど、
眠れるわけもなくっていう感じで…
ずっと頭の中に家族のことだったり家はどうなってるかなとか、
そういう心配事で頭がいっぱいだったなっていう印象でしたね。

黒住)どんな言葉をお互いにかけ合っていましたか?
千尋)そうですね。 先生方も朝まで頑張ろうねっていうふうな声をかけてくださって、
余震とかで怖いなと思ってもみんなで手つないだりして、励まし合いながら一晩過ごしました。

黒住)最後に震災というのは千尋さんにとって改めて振り返ると、どんな経験でしたか。
千尋)その人の命だったり、あとは震災後の生活も含めますけど、人のつながりっていうのを強く感じたなっていうのもあって。
みんなで支え合って震災後とても不自由な生活が続いたんですけど、
人の温かさだったりも感じた経験で、
もちろん悲しいし起こってほしくない経験でもあったんですけど、
その分その周りの方々の温かさだったり、
そういう命の大切さを知ることができた機会だったなっていうふうに思います。