国際機関に日本人を送り込め!

中国の存在感が、国際機関でも急速に高まっている。
国連のほか、WHO(世界保健機関)やWTO(世界貿易機関)など、数多く存在する国際機関。
その幹部ポストに、中国人が占める割合が急拡大しているのだ。
「民主主義」と「権威主義」の対立が先鋭化する中、政府・自民党は「世界のルールが改変されかねない」と日本人スタッフの増加に本腰を入れ始めた。
国際機関で日本の存在感が高まる日は来るのだろうか。
(長谷川実)

ミャンマーで奮闘する日本人職員

軍によるクーデターが発生したミャンマー。

2か月以上がたっても事態は悪化するばかりだ。
現地の人権団体のまとめでは、治安部隊による発砲などで犠牲者は4月19日までに700人を超えている。
クーデターに反発する市民に加勢している少数民族への空爆も行われ、避難民が続出している。

「急激に支援のニーズが増えています」

こう話すのは、国連WFP=世界食糧計画のミャンマー事務所に勤める藤原実紀さんだ。

世界最大の人道支援機関、WFPは去年ノーベル平和賞を受賞したことでも知られる。

ミャンマーはいま、新型コロナウイルスやクーデターの影響で人道的危機を迎えている。激化する市民への弾圧や避難民の増加に加え、食料や燃料の価格上昇、家計収入の激減で都市部の貧困層が大きな打撃を受けている。
WFPミャンマー事務所は急きょ、こうした貧困層への支援を開始した。

「WFPはミャンマーで36万人以上の人たちに人道支援を行っていますが、クーデターなどにより、今後6か月で都市部を中心におよそ340万人が食料不安に陥ると推定しています。この厳しい状況下で、WFPは大規模な支援拡大を予定しています」

採用の高い壁

WFPの活動は各国政府や民間からの拠出金に支えられている。
藤原さんは、最大都市ヤンゴンで各国の大使館などと交渉しながら活動資金の調達などにあたる部署の責任者を務めている。
重責だが、まだ正式な職員ではない。

JPO制度(Junior Professional Officer)という、各国政府の費用負担を条件に国際機関が若手人材を受け入れる制度に合格し、2年間の任期で働いている。
正規採用を目指す人は2年の間に実績を積み、組織から高い評価を得る必要があるが、藤原さんはつい先日「タレントプール」と呼ばれる、優先的に正規採用される人材リストに記載されることが決まったという。

JPO合格への壁は高い。
応募資格は、①35歳以下、②関連分野の修士号、③関連分野で2年以上の職務経験、④英語で職務遂行可能など。
これらの条件をすべて満たさなければならない。

藤原さんの場合、大学卒業後、外資系航空会社の客室乗務員として働いたあと、イギリスの大学院で貧困・開発学を修め、国連ボランティアやUNDP(国連開発計画)東京事務所での無給のインターン、外務省の非正規職員、青年海外協力隊などを経て、ようやくJPOの応募資格を得た。

「JPOに受かるのは大変」
こうしたイメージもあってか、一時は1000人以上を数えた応募者も、ここ数年は300人台で頭打ちとなっている。

「日本人、挑戦を!」

藤原さんは小さいころ、引っ込み思案でつらい思いをしたという。その時の体験も交えながら、日本人にもっと国際機関の扉をたたいてほしいと語った。

「小学2年生で岐阜から東京に引っ越した時、東京が怖くて、小学校を卒業するまで人前でほぼひと言も話せなくなってしまって、ずっとすごく悩んでいました。そうした時に『世界がもし100人の村だったら』という絵本に出会い、世界には1日3食食べられない子どもがたくさんいるんだなと。わたしは恵まれているんだなと気付いて」

「ミャンマーでは、クーデターの発生後、多くの命が奪われていて、無力感を感じることも多々あります。一方で、ミャンマーで最もぜい弱な人々への支援に関わっていることに大きな責任とやりがいを感じています。わたしは帰国子女でもなく、熱意と周りの人に恵まれたことでここまで来られたと思っています。目標がクリアで、モチベーションを高く持てば、国際機関で活躍するチャンスはあると思います」

高まる中国の存在感

WFPをはじめ、世界には国連に関係する国際機関が数多く存在する。
経済、社会、文化、教育、保健、人権などあらゆる領域をカバーし、1つの国では対応できない課題の解決や各国の利害調整にあたる。

国益が衝突する場でもある国際機関。
その国際機関でも、いま中国の存在感が急速に高まっている。

よく知られるのが国連分担金だ。
10年前の2011年、1位はアメリカ(22%)、2位に日本(12.5%)、中国は7位(3.2%)だった。
それがことし2021年は、
1位がアメリカ(22%)、2位に中国(12%)、日本は3位(8.6%)となっていて、日本は中国に追い抜かれている。

そして、国際機関の職員数。
国連の統計では、2009年にアメリカが2738人、日本は771人に対し、中国484人。
それが10年後の2019年には、アメリカは3414人、日本の1021人に対し、中国829人。中国は10年間で2倍近くに伸ばした。

さらに、注目されるのが幹部ポストの状況だ。
国連はトップから事務総長、副事務総長と続く。そして国連本部を含めた関係機関で事務次長相当の職を務めているのはアメリカ9人、日本3人に対し、中国は6人を占めている。

また国連から独立した予算と執行体制を持ち、選挙や互選でトップポストを選ぶ15の「国連専門機関」で中国は4つのトップを確保している。
FAO(国連食糧農業機関)、ICAO(国際民間航空機関)、ITU(国際電気通信連合)、UNIDO(国連工業開発機関)と、いずれも実業に関わる機関だ。
国際ルールや国際標準を議論するところでもある。
ちなみに、国連専門機関で日本人トップはいない。

危機感を強める自民党

「なんとしても国際機関の中国化を防がなければならない」

そう力を込めるのは、自民党の中山展宏衆議院議員だ。
去年まで外務省の政務官を務め、いまは党に戻り、日本の新たな国際戦略を検討する議員連盟の事務局長として活動している。
そのことばには、中国に対する危機感がにじんでいた。

「国際社会では、いま、自由・民主主義といった価値観と、権威主義・全体主義の価値観が対峙しています。その構図の中で、公平で公正、透明性の高い国際機関を、権威主義・全体主義という新しい秩序のもとで作り直していこうという動きが顕著になっています」

公平・公正であるべき国際機関が中国によってゆがめられ、自国に有利な国際ルールや秩序がつくられてしまうおそれがあるというのだ。

「中国は、産業や実業に近いところに人を配置し、国際ルールや国際標準を自国に有利な形に変えようとしています。例えばISO(国際標準化機構)の幹部ポストに多くの人材を送り込み、ISOが新しいインターネットの規則を作ろうとする際に、中国で使われているシステムが使われるような提案をしています。採用されてしまうと、中国のシステムに従って日本企業が参入しなければならなくなる」

中山さんによると、中国は、途上国への援助などを通じた影響力を背景に、国際機関のトップポストの選挙で支持を得たり、自国に近い人物を幹部に据えたりしているという。

中国が国際機関の判断をゆがめたのではないかと疑念を持たれた例として、記憶に新しいのは、WHO=世界保健機関をめぐる混乱だろう。

新型コロナウイルスへの対応をめぐって、去年、アメリカのトランプ前政権は、WHOのテドロス事務局長が中国に配慮したために初動対応が遅れたと指摘し、資金の拠出停止や脱退の表明に踏みきった。
トランプ前大統領は「WHOは中国の操り人形だ」などと厳しく批判。
その後、WHOが設置した独立委員会は、中国をはじめ各国とWHOの対応に問題があったという認識を示している。

自民党が狙うのは…

日本の影響力を高める上で、まず狙いを定めるのは幹部ポストだ。

国際機関の幹部を目指す人材に課される条件は年々、ハードルが高くなっている。
能力が高く、語学力に秀でていることはもちろんのこと、目指す国際機関に関係する分野に精通して知名度が高く、さらにポストによっては、自国での閣僚経験を有していることなども求められるという。
そんな人材をどのように輩出していくのか。

「われわれが外務省の担当者に『あそこのポストを取りに行こう』と言っても『ふさわしい候補者がいないんです』と。有為な人材に活躍していただくためには、政府として一元的に育成する環境が必要です。われわれ政治の側も、事務局長選挙など『ここぞ』という時には閣僚経験者を出していきたい」

オールジャパンで

官の側もこれまで策を講じていなかったわけではないが、根付かなかった。
それには「霞が関」や日本社会特有の事情があるからだ。
よく言う「一括採用」「終身雇用」いわゆる、日本型雇用制度の中では、それぞれの組織のそれぞれの部署で優秀な人材を抱え込みがちで循環は少ない。組織の中に人材がいても、役所や会社と国際機関の間を行ったり来たりしながら階段を上っていく仕組みはなじまないというわけだ。

しかし政府はようやく重い腰を上げた。
ことし2月、NSS=国家安全保障局と外務省を中心に、内閣人事局も参加して18の省庁などの担当者による連絡会議を発足させ、政府全体で戦略的に人材の発掘・育成に取り組むことにしたのだ。

関係者によると、いまは2つの議論がぶつかりあっているという。
「各省庁に『国際機関幹部候補コース』のような新たな人事の枠を設けるべきだ」という主張に対し、「既存の人事制度の中で人材を養成すればいい」という反論だ。
取り組みが具体化するのは少し先になりそうだ。

国際機関幹部が求める人材とは

こうした日本政府や自民党の取り組みを、国際機関の側はどう見ているのか。
日本人職員の最高位、国連の中満泉事務次長に話を聞いてみた。

中満さんは「日本の取り組み自体は非常に歓迎する」と評価する一方、国際機関は厳しい競争社会だと指摘した。

「わたしがいる国連の軍縮部で2年前、中堅レベルの職員を公募したところ、1つのポストに600人の応募がありました。国際機関はものすごく競争が激しいところなんですね。日本は、その競争を勝ち残って、きちんと国際機関に入れる人材を中長期的に育てていく戦略が必要だと思います」

内情に詳しい国際機関の関係者によると、中国が狙っているのは、いまのところ、選挙で獲得できる幹部ポストが中心だという。内部で昇進していくだけの人材はまだそろっていないからだというのがその理由だ。幹部ともなれば、各国の厳しい評価の目にさらされる。実力がなければ、すぐに評価を下げてしまうそうだ。

国際機関の幹部を目指すうえで何が必要か。
あるとき中満さんは、国際機関のトップがどういう経歴なのか、インターンに指示して経歴を取り寄せ、すべて調べてみたという。
そこで1つ、大事なポイントに気がついた。

「非常に明確に分かったのは、いろいろなことを経験している人たちがほとんどということでした。日本の省庁出身者でも、いろいろなところに出向し、現場経験も積んで、という人がほとんど。閣僚レベルのポストを経験した人も、国際機関でも働いたことがあり、それを辞めて政治家になって閣僚にもなり、また国際機関の幹部として戻ってくる。人事の流動性というのが非常に重要なポイントになっているんだな、ということがよくわかりました」

「人事の流動性」は、まさにこれまで日本政府が不得手としてきたところだ。
さらに中満さんは厳しく指摘した。

「国際機関では、いわゆる『クリティカルシンキング(批判的思考)』が必要で、国際機関にしっかりと食い込んで人材を増やすなら、詰め込み型教育を見直す必要があるのではないでしょうか。組織文化もそう。いわゆる年功序列制度というのは、ほとんど限られた国にしか存在しないシステムで、国連では考えられない。日本の組織のカルチャー自体が変わっていくことが大切なのかなと思います。変わらないと、日本はなくなってしまうので」

“多様性”の大切さ

さまざまな国籍の人が働く国際機関。
中満さんは「『ダイバーシティー(多様性)』そのもの」だと言う。
国連は2028年までに男女比を半々にする目標を掲げている。

一方の日本はどうだろうか。
例えば、先月発表された社会進出をめぐる世界各地の男女格差に関する調査で、日本は、政治参加や経済の分野で大きな格差があるとして156か国中120位にとどまった。

中満さんはインタビューの最後「日本は変わらなければ、なくなってしまう」と警告のようなことばを発した。
多様性を大切にする社会にしなければ、変化の激しい国際社会では生き残っていけないという意味だろう。
国際機関で影響力を高めるには、日本型の人事制度や慣習を見直していく必要がある。
その取り組みは緒に就いたばかりだ。

政治部記者
長谷川 実
1998年入局。徳島局を経て政治部。自民党、民主党、防衛省などを取材。仙台局でデスクも。現在、外務省担当キャップ。