原発被災地
どう進める住民の帰還

東京電力福島第一原子力発電所の事故から6年が過ぎたこの春、福島の復興政策は1つの節目を迎えました。4月1日までに、県内11の市町村に出されていた避難指示が、福島第一原発が立地する大熊町と双葉町、そして放射線量が比較的高く、原則として立ち入りが禁止されている帰還困難区域を除いて、すべて解除されました。これにより避難指示の対象となる住民は、区域を設定した時の8万人余りから、およそ2万4500人と3割ほどまで減りました。しかし避難指示を解除しても、住民の帰還が進むかどうかは不透明で、まちが再生する見通しはたっていません。住民の帰還をどう進めていけばいいのか、福島復興の陣頭指揮にあたってきた復興庁の前事務次官と、福島の現状を現場で見つめてきた学識経験者に話を聞きました。

福島復興のキーマン

復興庁の前事務次官、岡本全勝氏。2012年の復興庁発足に伴ってナンバー2の「統括官」に就任し、おととしからの1年余りは事務次官として復興政策を指揮した、政府のキーマンの1人です。総務省出身で、麻生総理大臣の時代には、筆頭格の事務の秘書官に抜てきされました。関西弁とトレードマークのつば広帽子、時には政治家にも物申す仕事ぶりで知られています。

去年6月に退官した後も、福島復興はみずからの使命だとして、復興庁の福島復興再生総局の事務局長を引き受けた岡本さんに、まずは今回の避難指示の解除について率直な感想を聞きました。「お待ちいただいた方は、『非常に長かった』と思われるでしょうけども、誤解をおそれずに言うと、私の立場からはすごく早かったなと。すごくというか思っていたよりも早かった

岡本さんは、帰還の見通しを示そうにも示せなかった原発事故の発生直後のことを振り返ります。「住民から『そんな危ないところに誰が帰るんだ』と言われて、当時の平野大臣と議論しながら帰ったのを覚えている。あの頃の政府のメッセージは、『いつ帰還できるかわからないが諦めずに取り組む』というものだった」

ただ避難指示の解除に向けて、岡本さんは、「よい方向の誤算があった」と語りました。「雨や風で、放射線量が物理的に推測される半減期よりも早く減っている。それから除染がこんなに効果があるとは思わなかった。家の屋根や水たまりの掃除で、かなり放射線量が減って、今、帰れるようになった」

見通せない帰還

一方、避難指示を解除しても住民の帰還が進むかどうかは極めて不透明です。おととし9月に避難指示が解除された楢葉町で、先月の時点で帰還した住民の割合は11.1%。去年6月に解除された葛尾村も先月の時点でわずか8.8%にとどまっています。

さらに今回、避難指示が解除された4町村で、復興庁などが昨年度行ったアンケート調査では、「帰還しない」と答えた人が、富岡町では57.6%、浪江町で52.6%と半数を超えているほか、川俣町で31.1%、飯舘村では30.8%となっています。

こうした状況について、岡本さんは、「大きく分ければ3つあって、『帰りたい』という人、『私は帰りません』という人。それから『迷ってます』という人。政府の方針は、帰りたい人は1人でも多くの人を帰したいというものであり、帰りたくない人に帰ってもらおうというわけではない。避難指示の解除をめぐって時期尚早論や反対論があったが僕はあれはおかしいと思ってる。というのは『帰れ』、『帰らない』という議論じゃなくて、『帰りたい人は帰しましょう』という議論であり、帰りたくない人に強制してるわけじゃない」と述べました。

避難者への支援・賠償

政府や東京電力は、これまで原発事故によって避難したすべての人たちに対し、一定の支援や賠償を行ってきました。このうち避難指示が出された地域の住民に対して、東京電力は、慰謝料や宅地や建物に対する賠償、新たな住居の確保に向けた費用などを個別のケースの応じて支払っています。東京電力によりますと、その金額は帰還困難区域に住んでいた4人家族で見た場合、去年までの実績ベースで平均2億円近くになるということです。東京電力が支払う賠償額の総額は、農業分野などの補償も含めて7兆9000億円にのぼる見通しです。

また政府と福島県は、避難指示区域外から避難した、いわゆる自主避難者に対して、仮設住宅や民間のアパートなどいわゆる「みなし仮設」の提供を行い、政府がその費用を負担してきました。政府関係者を取材していると、「政府も東電も、財政的に“手厚い”賠償や支援を行っている」という声が聞かれます。

「帰還しない人」「迷っている人」への対応は

ただ、こうした支援の状況は変わりつつあります。東京電力は、避難指示が出された地域に住んでいた住民1人当たり月10万円の慰謝料を支払ってきましたが、避難指示が解除された地域の住民への慰謝料は来年3月に打ち切る予定です。また政府と福島県は、避難指示が出されたため仮設住宅などに住んでいた住民に対して、家賃が発生する災害公営住宅への移転を促しています。福島県は、仮設住宅の提供は来年3月までは継続するとする一方、それ以降は「状況を見て判断する」としています。

さらに、政府と福島県が、いわゆる自主避難者に対して行ってきた、仮設住宅などの無償提供は先月末に打ち切られました。帰還しない人や迷っている人を今後どう支援していくのでしょうか。

岡本さんは、「政府としては、仮設住宅という不安定な状況から、避難先に新しい住居を見つけてほしい。見つからなければ、公営住宅を用意しているので、そちらに移っていただく。そのためには戸別訪問をして、時間をかけてそれぞれの相談に乗っていく。その中で『働けない』という人には、生活保護などの社会保障を行っていく。避難というステージから、定住または社会保障のステージに、少しずつ入っていかないといけない。迷っている人も、相談に乗ってあげるしかない。迷っている理由が何かを聞かないとしかたがない。そのときの1番の決め手はやっぱりどこで働いてどこで子育てするかだと思う」

地域再生どう進める

住民の帰還に向けては、なりわいをどう再生させていくかも重要です。復興庁の去年のまとめでは、避難指示が出された地域の事業者の半数近くが「休業」もしくは「廃業」していて、地元で事業を再開しているのは2割ほどにとどまっています。

基幹産業の農業も、風評被害などもあり、再生の見通しは立っていません。「いわゆる企業城下町的なところだった地域で、原発がなくなり、主たる産業がなくなったときに、代わりの産業というのは簡単ではない。今、経済産業省を中心に、2つのベクトルで必死にやっている。1つは福島イノベーションコースト構想のように、廃炉のためのロボットなどの最先端の技術を持ってきて、新たにロボット産業を進めること。もう一つは、避難している人に各戸訪問して事情を聞きながら、農業を含む地元産業の復旧を行っていくことだ」。岡本さんはこう話します。

帰還困難区域は

政府は、今年度から、放射線量が比較的高く、原則として立ち入りが禁止されている帰還困難区域の一部で、国費を投じてインフラ整備や除染を行い、5年後をメドに住民が居住できるようにする特定復興再生拠点区域の整備を始めます。

岡本さんに、なぜこうした事業を行うことにしたのか聞きました。「1つには、『赤い区域(帰還困難区域)は帰れへん』と政府が宣言したが、特に原発が立地する双葉町、大熊町からすると、『それだと町がなくなるから、一部でもいいから拠点整備したい』という要望が寄せられた。われわれとしても、要望全部は無理だが、『帰れそうなところにコンパクトにまとめた拠点をつくってほしい』という話に乗った。やはり『帰りたい』という人が1人でもおられる。それから政府は、やはり事故を起こして避難指示を出した責任者である。いわゆる加害者であるという負い目の立場。その2つがあるからではないかな

「今から思うと2つの方法があったと思う。今、僕らが進めている、『帰りたい』という人のために、なるべく早く帰れるように努力すること。もう一つは、『赤い区域』は政府が『もう帰還困難』と宣言したんだから、全損賠償して、国あるいは東電が買い上げて立ち入り禁止にするという道もあったと思う。それも一つの方法だった」

特定復興再生拠点区域は、現実的には廃炉作業員の居住地となるのではないかという指摘もあることについて、岡本さんは、「最初の起爆剤としてはいいのではないか。少しいびつな形ではあるが、にぎわいが戻ってきて、商店が戻り、お医者さんも戻り、それに合わせて人が戻ってくる。もといた住民のコミュニティーと相いれるかというのは、これからの課題だが、一つ一つ乗り越えていくしかない

復興政策の課題

岡本さんへのインタビューで浮き彫りになったのは、政府の2つの明確な姿勢です。それは、避難指示が出されていた地域では、「帰還したい」人が帰還できるよう、生活環境の整備などを進めていくということ。そして、「帰還しない」人については、新しい場所での生活再建を求める考え方です。

福島に詳しい有識者は

政府が推進する復興政策について、もう1人、話を聞きました。震災の現場に詳しく、「福島県復興ビジョン検討委員会」の座長として、福島県の復興計画の策定に携わった福島大学名誉教授の鈴木浩氏です。

鈴木さんは、帰還する、しないの二者択一的な対応ではなく、「帰還できない人」にも丁寧に向き合い、そうした人たちの考えを政策に反映すべきだと指摘しました。

「政府は、『さて3月で避難指示は解除なので帰りましょう』と言うが、ものすごく単線型のシナリオで、被災者の本当に生身の声というか、それに寄り添っていない。『帰らない』という選択をした人は、来年の3月で、賠償も仮設住宅も打ち切りとなる。自主避難の人たちはこの3月で打ち切り。どこが寄り添っているんだろう

「例えば農業をしていた人は、相変わらず風評被害にあっていて、避難指示が解除されて戻っても、以前のように農業ができるとは誰も思っていない。戻ったところで、自分たちの生活をどう立て直すか見通しが立たない。『避難指示解除、帰還』というけれども、それよりももっといろいろな選択肢を考えていく必要がある。そのためには、時間をかけて丁寧に自分たちの行く末を、被災者にも当事者になって考えてもらう。そういう場面が必要なのではないか」

多様な選択肢を

鈴木さんは、政府は復興を急ぎすぎているのではないかなどとして、より長期の時間軸の中で、それぞれの事情に考慮した選択肢をつくっていくべきだと訴えます。

「『とにかく早く復興』って言って、5年刻みで復興創生期間とか言うが、『5年でできるわけないだろう』と思っている。時間をかけて丁寧に自分たちの町の行く末を被災者も当事者になって復興計画に関わる。そういう場面をつくったら、『避難指示をしたから帰ろう』というだけでない複線型のシナリオができる

帰還困難区域も柔軟対応で

帰還困難区域にある自宅に一時帰宅した住民(浪江町)

さらに、鈴木さんは、帰還困難区域での特定復興再生拠点区域の整備についても、より柔軟な対応が必要だと提唱しています。

「今も、帰還困難区域の住民は、1か月に1度くらい、自宅に戻って、家の掃除やお墓参りなどをしている。『ふるさととつながっていたい』という気持ちからだ。拠点を整備したら、『さあもう大丈夫、帰ってきてください』というのではなく、拠点の中に復興住宅を作り、1週間、1か月滞在しながら、自分の家と今よりも頻繁に行き来ができる。避難先との2地域居住をしばらく認めるという形の暫定処置が必要ではないか

“住民の痛み”理解し今後の支援考える

政府は、東日本大震災からの復興を内閣の最重要課題と位置づけ、「復興の加速化」を掲げてきました。その結果、除染やインフラ整備が進み、岡本前事務次官が、「6年前はいつになるかわからなかった」という住民の帰還が、実現し始めています。

一方、今村復興大臣が今月4日の記者会見で、自主避難者の帰還について、自己責任だなどという認識を示し、メディアでも大きく取り上げられています。その後、今村大臣は国会などで陳謝し、発言を撤回しましたが、避難者らによる抗議活動が行われました。

また、原発事故後、子どもたちが避難先の学校でいじめにあっていたケースが全国で明らかになっています。中には「賠償金があるだろう」などと言いがかりをつけられた例もあるといいます。その背景には、「“特別扱い”を受けている人たちなのだ」という誤った認識があるようにも感じます。

東京で取材していると、これまで支払われてきた賠償が多額に上ることや、いつまで支援を続けていくべきかを問う声を聞くことがよくあります。もちろん、多額の費用が投じられている以上、賠償や支援の在り方を議論することは避けては通れないと思います。

ただ、帰還をする人、避難を続ける人、それぞれが、原発事故によって生じた課題や事情を抱え、痛みを感じ続けていることは間違いありません。私たちは、こうした現状をよく理解したうえで、福島の復興や今後の支援の在り方を考えていく必要があると感じます。

政治部記者
谷井 実穂子
平成20年入局。和歌山局、熊本局、千葉局を経て政治部。現在、文部科学省を担当。