パパだって、つらいんです

「育児をしない男を、父とは呼ばない」
1999年に当時の厚生省が打ち出したキャッチコピーだ。
それから20年。今では「イクメン」という言葉が定着し、男性の育休を進めるための政策が検討され、仕事と育児の両立は当たり前の時代になりつつある。
しかし育児に取り組む父親たちに、いま「産後うつ」のリスクが指摘されている。
(立町千明)

家に帰りたくない

「家に帰りたくなくなったんです」
そう振り返るのはアオキヨウスケさん(34)。医療機器メーカーの営業で、6歳、4歳、1歳の3人の男の子の父親だ。
6年前、長男が生後2か月の時に妻が里帰り出産から戻り、夫婦2人で子育てに取り組んだ。当時、育児休暇は5日間取得できれば良い方だったという。

子どもが生まれる前から育児書を読み、母親学級にも積極的に参加してきた。
いわゆる「イクメン」で、夫婦の食事づくりや洗濯、部屋の掃除など家事も担当した。
そんなアオキさんは、長男が生後6か月になった頃から不調を感じるようになってきたと話す。

「とにかく泣き止まないし寝ない。抱っこしても、3、4時間は泣き続け、やっと寝たと思ったら1時間半で起きる。妻も日中の子どもの相手に疲れて動けなくなっていて、家の中は散々だった。仕事から帰って、積み上がった食器や洋服を洗って、食事を作って、夜泣きに付き合って、としているうちに、どんどん家にいたくなくなった」

子どもの夜泣きには、多くの親が悩まされるものだ。アオキさんはイライラが募り、妻との喧嘩や子どもにも強くあたることもあり、気分の浮き沈みが激しくなった。残業や飲み会を入れるようになり、そのたびに「自分は何をしているのだろう」と後悔し、苦しくなっていったという。

「私の中で、家庭も仕事も地域活動も一流になりたいという理想を持っていて、自分の今のギャップにイライラしていく。自分のなりたい父親になれなくて、どんどんイライラして、爆発したら、それをまた妻にとがめられて、悪循環です」

今でも頭痛や体が重く感じることがあるアオキさんは、会社の産業医にメンタルケアを受けている。

「産後うつ」はママだけじゃない

出産直後の母親が精神的な不調を感じやすくなるのは、産後うつとして知られている。妊娠・出産で、体調やホルモンバランスが変化することに加え、育児への不安などで精神的な不調を感じやすくなるという。10人に1人の母親が産後うつになるという報告もあり、国や自治体は、助産師による家庭訪問や母親学級の開催などのサポートを充実させてきた。

出産しない父親の方はどうなのか。
海外では、父親の「産後うつ」を対象にした研究がいくつか行われている。イギリスなどの学術誌(文末参照)によると、急激な生活リズムの変化や仕事と育児のプレッシャーによって、子どもの誕生後1年以内に10~11人に1人の父親が「産後うつ」になるリスクがあると指摘している。アオキさんのように不調をきたすケースは、特殊なケースではないのだ。

パパも救え!

政治家や行政は、「父親の育児参加」を呼びかけているのに、父親を対象にした支援は未だにほとんど行っていない。父親のケアも同時に考えていかなければならないのではないか。

厚生労働省は、今年度から父親の「産後うつ」に着目した研究班を立ち上げた。母子保健の専門家や精神科医、元助産師などがメンバーとなり、父親の生活態度や健康に関する分析を進めるとともに、企業や自治体などを対象に実態調査を行って、支援策を検討するという。

研究班の代表を務める、国立成育医療研究センターの竹原健二室長は、「日本では産後の両親学級などの支援策があるが、父親が参加しても、教えているのは母子の健康に関することに限られている。本当の意味で父親を対象とした支援は十分に行われていないのが現状だ」と指摘する。

竹原室長らはことし8月末、厚生労働省の調査データを分析し、子どもが生まれて1年未満に精神的な不調を感じる父親の割合は、母親とほぼ同じ水準だったという結果を公表した。夫婦が同時にメンタルヘルスの不調のリスクがあるとされる世帯は、年間およそ3万組にのぼるという推計も打ち出した。

竹原室長は、父親への支援の必要性を訴える。

「夫婦のどちらかがメンタルヘルスの不調になると、もう一方も不調に陥る可能性が高くなる傾向がある。夫婦が同時期に不調となると、養育環境も著しく悪化しやすくなることが懸念される。そういう危機的な状況を防ぐためにも母子だけでなく、父親も支援対象とみなければならない」

仕事との板挟み

仕事と育児の板挟みで、不調に陥った父親も少なくない。

11歳と9歳の男の子2人の父親、片元彰さん(38)は、7年前にうつ病と診断された。
当時、製薬会社に勤めていて、岡山から新潟に転勤したことがきっかけの一つだったという。

「会社で初めて育休を取得するなど、自分は子育てにしっかり取り組みたいという気持ちが強かった。それが下の子どもが2歳になる前に転勤によって環境が変化し、育児に対する職場の理解を得ることが難しくなった」

上司や同僚の理解がなかなか得られず、子どものために早く帰ろうとしても直行・直帰は認められなかった。なぜか不必要な飲み会も増え、断ればどんどん社内でも孤立していったという。営業先でも、「男はそんなに育児を頑張らなくても」と言われ、価値観の違いを突きつけられた。

腹痛や不眠の症状が出始めるが、片元さんは家族と過ごす時間も無駄にしたくないと必死だったという。
「子どもから『遊ぼう』と誘われたら、疲れていても無理して遊んだ。子どもにしんどいという姿を見せたくなかった」

ついにベッドから起き上がれなくなり、片元さんは妻のすすめで会社を退職し、専業主夫になることを決めた。
「仕事と育児との狭間で今でもはっきりとした原因が何かはわからないが、『父親はこうあるべき』という思いが強かったのかもしれない」

理想の父親像とは

取材したアオキさんや片元さんはいずれも、仕事も育児もフルで取り組むのが「理想の父親像」と考えていた。

竹原室長は、この男性特有の考え方に縛られる人ほど、「産後うつ」へのリスクが高まるのではないかと注目している。
「うつになる原因の一番は多忙。休む時間がなくなること。そして、男性特有の考え方なのかもしれないが、『家庭を支えなければいけない』『子どもを養わなければいけない』『仕事をして食べさせて上げなければいけない』そういうふうに、父親を役割と捉えている男性はまだ多い」

社会の仕組みこそ変えるべき

平成29年に公表された内閣府のまとめによれば、日本の父親は、家事・育児に従事している時間が、他の先進国の父親に比べて二分の一から三分の一程度しかないと言う。

これだけを見ると、日本の父親は育児や家事をしていないように見えてしまうが、その背景には、やりたくてもできない事情があることをうかがわせるデータがある。少し古い平成23年の社会生活基本調査しかまとめられたものがないが、日本の父親は仕事の時間と通勤時間がとても長く、自由時間が短い国だとも報告されているのだ。

竹原室長は父親の「産後うつ」を根本的に解決するには、働き方の是正など、社会的な仕組みを変える必要があると話す。
「勤務時間を減らしてもらうとか、通勤時間が短くなるような仕組みはまだ社会として導入できていない。家事・育児の時間をさらに増やさなければならないとなると、父親は何の時間を削れば良いのか。それはもう自由時間と睡眠時間しか残っていない。これ以上、父親が自分の努力で家事・育児の時間を捻出するのは厳しい状況だからこそ、社会的な工夫が必要になってくる」

「単にメンタルヘルスの不調や病気のリスクを防ぐだけではなく、いかに父親が前向きに健康に楽しく日々を過ごせるようになるか。子どもとの充実した時間を過ごせるようになるか。夫婦で充実した時間を過ごせるようになるか。そのために資する研究をしたい」

研究班が設置された直後に菅内閣が発足し、内閣は基本方針として、安心して子どもを生み育てられる環境を作ることを掲げた。
その「環境」は、社会の仕組みを変えた先にあるはずだ。それを実現できるのか。
父親たちも、母親たちも、そんな社会を待っている。

(参考資料)
Rao, W. W., Zhu, X. M., Zong, Q. Q., Zhang, Q., Hall, B. J., Ungvari, G. S., & Xiang, Y. T. (2020). Prevalence of prenatal and postpartum depression in fathers: A comprehensive meta-analysis of observational surveys. J Affect Disord, 263, 491-499. doi:10.1016/j.jad.2019.10.030

政治部記者
立町 千明
2009年入局。富山局を経て政治部。子育てをしながら官邸クラブで菅内閣を取材。1歳の娘は父親を後追い中。