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オンラインでつかんだ光―難病アニメーター・大脇真由香さん

  • 2024年01月23日

難病・全身性エリテマトーデス
自分の免疫が自身の身体を攻撃してしまう免疫疾患です。
大脇真由香さん(36)は、今もその病を抱えながらアニメーターとして活躍しています。
体調が悪化し、ほとんど家から出られない時期もあったという大脇さん。
ターニングポイント、そして将来へのおもいについて、インタビューしました。
そのようすを全文掲載します。
(聞き手:アナウンサー 堀井優太)

インタビューは大脇さんの自宅兼仕事場で行った

難病 大脇さんのくらし

(堀井)
リビングも作業場もカーテンも閉め切ってるんですけど、
これはご自身の病気も関係していらっしゃいますか。
(大脇)※以下敬称略
紫外線に当たると、
疲れやすかったり病気が悪化してしまったりするので、
疲れ方が半端ないというか、
寝込んでしまうくらい疲れてしまうんです。
なので紫外線には当たらないよう、私がいるときはカーテンを閉めてやっています。

(堀井)
全身性エリテマトーデス、どんなところが大変ですか。
(大脇)
症状でいうと、痛みがあるときが一番つらいですね。
関節痛とか、頭痛とか。筋肉痛とかも時々出たりします。
あと、薬の副作用で骨が壊死しているので、
脚、股関節と膝に痛みが出ることもあって。
脚の痛みが一番辛いです。

(堀井)
今、仕事はどんな調子でできていますか。
(大脇)
体がだるいときもあるんですけど、
仕事をしていると前に比べて、
痛みとかしんどさ、
倦怠感が出ることが少なくなってきた気がします。
精神的にも良くなってきて。
人と関わることももちろんなんですけど、
アニメーターの方のお仕事も、やりがいがあります。
描いている動画の動きが、
バシッと綺麗に決まると達成感があって。
動きが難しいものを
時間かかってでも出来たときの達成感とか、
そういう今まで経験したことない色々な気持ちが、
たくさん経験出来てとても楽しいです。
働いたことが無かったので。

服用している薬
朝だけで飲む数は10錠ほどだという

つらかった過去

6歳の頃の写真
頬に赤い湿疹ができ、病院にかかった際病気が判明した

(堀井)
大脇さんが今の病気を発症したのは6歳ですよね。
学生の頃、病気で周りの人と同じことが出来ない苦しさや苦労はありましたか。
(大脇)
物心ついたときから病気なので、
病気が当たり前というか。
苦労は私自身は感じていなかったんですね、
親の方が苦労していたんじゃないかと思います。

(堀井)
どういうときに親の苦労を感じましたか。
(大脇)
体調がすごく悪くなったときとか入院したときとか、
大変だったと思います。
小さい時は付き添いとかしてもらったりして・・・
体調悪いときとかもそばで励ましてくれたりとか。
私が出来ないことも手伝ってくれたりしていました。
私、調子悪いときはネガティブになってしまうので。
「私なんかが生きていてごめんなさい」じゃないけど、
そういう気持ちになることもあったりして。
自分が苦労しているというよりは、親に苦労かけていたなと思っていましたね。

(堀井)
振り返ってみて、一番つらかったのは何年前でしたか。
(大脇)
山口に引っ越してきた5年くらい前、だと思います。

何が原因だったかちょっとわからないんですけど、
エリテマトーデスが悪くなったというよりは精神的にきてしまって。
お食事がとれなくなって、
段々メンタルが落ち込んできて
ほぼ寝たきりになってしまって。
体重もすごく減ってましたね、あのときは。

引っ越しの関係で元々の仕事※をやめて、
その後仕事を探しつつ、
家事とかもお手伝いしつつ生活していて、
段々調子悪くなってきたなって感じで。
※元々大脇さんは、一般企業で働くことが難しいという人向けの職場「A型事業所」で
Tシャツを折りたたんで袋に入れたりする仕事などをしていた。

(堀井)
当時も働きたいって気持ちはあったんですか?
(大脇)
働きたい気持ちはありました。
家にいるだけだとだめだって思ったので。
年齢もどんどん重ねていって、
いつまでも働かないままで親に助けてもらうんじゃいけないなと思いつつも、
やっぱり仕事みつからなくて・・・
という葛藤みたいなものが当時はありましたかね。
自分でそれがプレッシャーとははっきり自覚はしていなかったですが、
心のどこかでそれがプレッシャーと思っていたかもしれないですね。
(堀井)
一番つらかった時期というのは、
働きたいのに働けない状況も辛かったですか。
(大脇)
そうですね。
動けないし、
思考もネガティブになっているので
悪いことばかり考えてしまって。
もうとにかく苦しかった。
食べないと元気も出ないと思うんですけど、
食べられないから余計元気が出なくて、
ネガティブになっていって、
どんどん深みにはまっていく悪循環でした。

身体の辛さでいうと、
とにかく頭がずっと痛かったですね。
栄養が足りてなかったのもあると思うんですけど。
ほぼほぼ毎日頭痛くて。
ずっと「うー」とうなって過ごしていましたね。

(堀井)
アニメを観ることは当時中々出来ない状況でしたか。
(大脇)
アニメをみるのはずっと好きで、
アニメをみるとか漫画読んだりしていたんですけど、
調子悪いときはそれすらも出来なかったです。
相当・・・落ち込んでいましたね。
これは終わるのかなとか。元気になるのかなとか。
そういう風なことを考えていました。

人生を変えた オンラインアニメ塾との出会い

辛かった大脇さんの人生を変えたのが、アニメ塾。
アニメが出来るまでの工程を学ぶ講義から、動画を自分で作る実践まで、
全てオンラインで学び、卒業後はプロになることを目指す場所です。
入塾のきっかけは、2年ほど前に、宮崎時代の友人から届いたメッセージでした。

アニメ塾のポスター(一部)

「こういうの(アニメ塾)始まるらしいよ、やってみない?」と連絡をもらったんですね。
その子は私とずっと連絡をとっていて。
体調が悪いこともずっと知っていたし、
働かなきゃって思っていても働けなかった時期のことを
知ってくれている子でした。
その子が、「オンラインならできるんじゃないか」と思ってくれていたみたいです。

正直、本当は入ろうか悩んでいました。
出来るかなこの体調でっていうのが大きかったんですけど、
やっぱり・・・
やらないと変わらないし。
最初から在宅でできる仕事って中々地方だと少なくて。
チャンスないだろうなっていう気持ちも大きくて、
これはやらねば、と思ってやりました。
またなんか、直感じゃないですけど、
そういうのもあったし。絵をかくのも好きだったし。
一歩踏み出してやってみよう
チャレンジしてみようって思えましたね。

(堀井)
実際に入ってみてどうでした?
(大脇)
楽しかったですね。
アニメ塾は授業を受けるだけじゃなくて、日々の課題があって、
その課題の中でやり方がわからないときは、
一緒に雑談しながら練習しようっていう場
(※オンラインの部屋)もあるので、
楽しく、学んでいました。

(堀井)
収穫というのはどんなことがありましたか。
(大脇)
アニメ塾って他にもいっぱい受講生いるんですけど、
仕事をしながら学んでいる方も
たくさんいらっしゃるんです。
子育て中のママさんとか、
私が経験したことのない仕事をされているので、
そういう話とかも聞けたりして。
色んな職種の話を聞けるっていうのは楽しい、面白いと感じました。

仕事がやりがいに 前向きな人生

現在はアニメ塾で講師として指導も行っている

(堀井)
大脇さんは塾の終了後、
アニメーターとしての仕事を始めて、
今は原画と原画の間をつなぐ、動画を担当しているんですよね。
国民的アニメの「ドラえもん」ですとか、
色々な作品を担当していますけど、
仕事を始めるのに不安はなかったですか。
(大脇)
最初、始めたときは、
「仕事してね」みたいな感じで言われて、
「えっ」みたいな。
「私仕事するの!?」みたいな感じで。
最初は不安はたくさんありました。
出来ているのかなとか。

(堀井)
体調面での不安はどうでしたか。
(大脇)
その頃は段々よくなってきていたので、特に何か心配するっていうことはあまりなかったかな。
悪くなったら相談できるって安心感もあったので、
そこまで不安には思っていなかったですね。

(堀井)
自分の中で変わったことはありましたか。
(大脇)
病気との向き合い方っていうのは一番大きく変わりましたね。
どのくらい働いたら体調が悪くなるのかとか、どのくらい働けるのかとか、未知数だったので。
最初はおそるおそるちょっとずつ試しながら、
悪くなっちゃうと下手すると入院になってしまうので、
そうならないように気を付けながらでした。
ちょっとでも異変があったら
(お医者さんに)相談したりして、
仕事をセーブしたりとか。
1年とか2年やっているとペースもつかめてきたし、体力もついてきたので、
ちょっとペースもあげたりとかも出来たり、
無茶しても大丈夫なようになりました。

(堀井)
オンラインという形は自分に合っていたと思いますか。
(大脇)
そうですね、とても合っていたと思います。
紫外線のこともあって、外に出ることも難しかったり、
冬は冬で寒かったりすると痛みも出やすいので、
季節の変わり目になると体調崩したりするので年中注意が必要なんです。
だから外に出ずに働けるというのは、すごく私に合っている仕事だなと思います。
オンラインにとても救われています。

会議もリモートで行っている

(堀井)
病気と向き合いながらの仕事ですが、
自分の中でどういう風に身体と向き合っていますか。
(大脇)
そうですね。体調が悪くならないようにというのを、
より気を付けるようになったというか。
今まで何も仕事していないときは、
体調悪くてもどうにでもなっていたことが、
働くことによって、そうはいかなくなる。
関節痛が手にいってしまうと、
ペンも握れなかったりします。

でも効く痛み止めってどうしても強くて、
副作用で眠気が出たりとかするんですよね。
なので、お薬を飲むこと以外の代替案をみつけて、作業しています。
飲んじゃうと仕事にならないなってときは、温めたりすると、やわらいだりすることもあるし。

(堀井)
体調良くなって、こんなことできるようになって嬉しかったことはありますか。
(大脇)
夏の終わりに、東京に出張に行ったんです。
出張っていうのも初めてだったし、
東京に行ったのも初めてだったし。
そこで打ち上げに参加したんですけど、
それも働いたことが無かったから初めてだったし、
いろんなことが初めて尽くしで、そういう経験が出来たのが嬉しかったです。
楽しかったです。

(堀井)
今までアニメーターとして活動してきて、一番うれしかった瞬間っていつですか。
(大脇)
やっぱり、エンディングに自分の名前がテロップで流れたときが、一番うれしかったです。
なんだろう、信じられない気持ちと、「名前載ってる!」みたいな気持ちと。
色んな人に言いました、親とかにも見せて。
親も喜んでくれたし、
周りの人も私以上に喜んでくれたというか。
それも嬉しかったですね。

右が大脇さんのお母さん
大脇さんの調子が上向きになってからは、
週1・2回一緒にスーパーへ買い物に出かけるように

大脇さんの伝えたいこと

(堀井)
大脇さんが
こうやって前向きに頑張れる原動力は何でしょうか。
(大脇)
自分のためっていうのはあるんですけど、
今まで、迷惑かけてきたじゃないけど、
自分のために色々やってくれた家族に対しての恩返しの気持ちも強くあって。
アニメ塾に誘ってくれた友人も
すごく心配してくれていたりとか、
周りの私に関わって色々心配してくれたり
手助けしてくれたりした人の気持ちにこたえるために
頑張ろうって、思いますね。

(堀井)
今病気じゃなくてもやりたいことが出来なかったりして、
悩んでいる方ってたくさんいらっしゃると思うんですけど、どんなことをメッセージとして伝えたいですか。
(大脇)
諦めずに、とくに自分のやりたい事とか好きなことに対してのチャンスが巡ってきたなら、
そこに関してはとりあえずやってみるって気持ちが大切
なんじゃないかなって思います。

チャレンジしたからって、失敗したからって、
死ぬわけじゃないし、爆発するわけでもないので。
とにかくやって、ダメだったらダメだった、
じゃあ次またこれやってみようとか、
別の方法でやってみようとか、
色々、模索しながらやっていったら
いつかうまくいくと思うので、
自分には無理だっておもわずに、自分を信じてみて、
やっていってもらえたらいいのではないかと思います。

インタビューを終えて・・・

現在大脇さんは、講師として、
アニメ塾で、ソフトの使い方など基礎的な部分の指導にもあたっているほか、
スタッフのスケジュールを管理する業務にも挑戦し始め、仕事の幅も広げているそうです。

お話を伺ってみて私が感じたのは、
大脇さんのお話する言葉のパワーです。
大脇さんの未来を語る言葉が前向きだからでしょうか。
ゆっくり、淡々とした語り口で発せられる
一つひとつの言葉から、希望を感じました。
病気を抱えながらすごい、と感じてしまいますが、
大脇さんにとっては、
「病気は幼い頃からだから大変というよりは、当たり前」だといいます。

「病気でないと出会えない人もいた。
 病気でよかったとさえ思います」と語る大脇さん。
これからも、ずっと、その前向きさ、そして強さで
世界にアニメを届け続けてほしい、
そう感じました。

インタビュー終了後の1枚
  • 堀井優太

    アナウンサー

    堀井優太

    実は小学生の頃の夢は
    漫画家でした。
    ペンタブ買って練習してたけど、そこまで上達しなかったな・・・。

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