宮崎 鉄道 廃止寸前の奇跡|“入妻”キップと百恵ちゃん
- 2022年11月14日
百恵ちゃん効果で大バズり!!
昭和59年に廃止となった旧国鉄・妻線。
宮崎県を走る全長わずか19.3kmを走るローカル線が、
全国から注目を集めるようになったのは、このキップがキッカケです。
これは妻線・妻駅(西都市)の入場券。
「妻に入る=入妻」ということで、昭和55年に結婚した歌手の山口百恵さんに
地元のファンがプレゼントしたところ、歌番組で紹介され一躍有名に!
「キップを送って欲しい」という全国からの注文が、
月1万件も届いたのだそうです。
当時のことを鮮明に覚えている人がいます。
駆け出しの車掌として妻線で乗務していた上村浩一さんです。
妻駅には現金と返信用封筒の入った封書がコンテナいっぱい山積みされて、
駅員たちが「ひぃひぃ」言いながら対応に追われていた。
「ご飯を食べる暇もない!」と、かわいそうなぐらい忙しそうだった。
当時の妻線はどんな様子だったんですか?
昼は乗客がほとんどいませんでしたが、
朝夕は通勤通学でものすごく混雑していました。
かき分けかき分けして車内をまわったのを覚えています。
乗客との交流はありましたか?
私も若かったので仕事に精一杯でそんな余裕はありませんでした。
ただ、車内をまわる中でいろんな話が聞こえてきました。
彼氏の話とか、友達とケンカしたことなどなど・・・。
聞いてるだけでも楽しかったですね。
変わりゆく鉄道 変わらない車掌魂
当時、新米車掌だった上村さんも現在65歳。
赤字路線の廃止や、国鉄民営化など、鉄道を取り巻く環境が様変わりする中で、
車掌一筋のキャリアを歩んできました。
現在は、宮崎県で唯一の『指導車掌』として、後輩たちの育成に励んでいます。
今でも車掌としてのポリシーは妻線に乗っていた頃と変わらないといいます。
乗客を【安全に、快適に、目的地までお運びする】それに尽きます。
列車を降りるときに「無事に着きました」、「ありがとう」という言葉をもらえると、本当にこの仕事をやっていてよかった!と思います。
何歳まで続けるんですか?
車掌は私の天職です。会社から「もういい」と言われるまで
使命としてやり続けたいと思っています!
車掌の仕事に人生を捧げる上村さん。実は、父親も車掌で息子は運転士という
親子3代の鉄道一家。孫にもぜひ鉄道マンになってもらいたいと、
最近では敬礼の練習をするようにお願いしているそうです。
ちなみに、上村さんは大の焼酎好きらしいのですが、
仕事の前日は一滴も飲まないとのこと。約40年の車掌人生で、
朝寝坊や遅刻は一度もないそうです。
また、普段は冗談も話す気さくな人柄なのですが、仕事が始まると表情が一変。
言葉遣いや仕草などすべてが凛として、とてもかっこよかったです!
そのプロ魂に職種は違うけど憧れを抱きました。