子どもに“厳しいしつけ”は必要?変わる保育観
私は6歳になる双子を育てながら、ディレクターとして働いてきました。ここまでの育児を支えてくれたのが保育園です。子どもを毎朝笑顔で迎えてくれた保育士さんたちには、とても感謝しています。
ただ私が住む地域の保育施設では、「吐くまで嫌いな給食を食べさせた」「4時間給食を食べさせ、トイレに行けず失禁させた」という信じられないような不適切保育が相次いで起きました。
いったいなぜ…?調べてみると、「保育士が足りない」 「待遇が低い」といった労働環境の問題だけでなく、「子どもには厳しいしつけが必要だ」といった“保育観”が根強く残っていることが見えてきたのです。
村上 裕子(名古屋放送局 ディレクター)
不適切保育の陰に「古い保育観」が?
全国の保育施設で園児への暴行や虐待が相次いだことを受けて、こども家庭庁は全国調査を行いました。
2022年4月から12月の間に、保育所、認定こども園などを含めた保育施設全体で1316件の「不適切な保育」が確認されたと明らかにしました。
私も、余裕がないときに子どもにイライラしてしまうことは当然あります。しかし、保育のプロである保育士が、なぜそうした言動をするのか、ずっと疑問に思ってきました。そうしたきっかけで取材を進めて目にしたのが「保育観」というキーワードです。
愛知県東郷町の民間の園では、1歳児クラスの保育士たちが「こないで、こっちにもう」 「ほんとうに嫌、どいつもこいつも」などと会話していたことが、不適切保育と認定されました。
第三者委員会がまず指摘したのが、当時、保育者の人数が退職や異動などで当初予定していたよりも少なく、園からの補充も十分ではなかったことでした。そして、もうひとつ報告書でくり返されていたのが、「保育観」の問題です。
子ども一人一人を尊厳ある存在として捉え、それぞれの個性と気持ちを尊重しながら日々保育をする、という保育観が不足していたように思われる。保育者の人数が限られている中で、防災訓練や様々な行事において、1歳児の子ども達を1階から2階へ移動させたり、炎天下でもその場で待機させるなどいうことが日常的に行われていた。日々のこうした「会」や「行事」などをこなしていくために、現場の保育者も、子ども達に対して画一的な保育をせざるを得なかったのではないかと思われる。
(第三者委員会 報告書より)
※マーカーと太字は筆者
保護者へのアンケートにも、そうした「保育観」の実例が表れていました。
「教室に入るときにおじぎを出来ない子に手で頭を押さえて無理矢理させている」
「お漏らしや失敗を恐れるようになってしまった。聞くと『先生に怒られるから言えない』と言っていた」
(第三者委員会 報告書より)
第三者委員会の委員長をつとめた川口創弁護士は、今回の不適切保育の背景の一つにあるのが、一人一人の子どもの発達や個性に合わせるのではなく、みんなが一定の水準に達することを目標とするような「画一的な保育観」だったのではないかと指摘しています。
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愛知県東郷町 第三者委員会 川口創 弁護士
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「20人の子どもがいて、全員に『これをしなさい』というのはまさに支配的で画一的ですよね。子どもの気持ちを無視して、『あれしなさい、これしなさい』と言うことが、不適切な発言や不適切な保育につながってきかねない。この園だけの問題ではなく、どの園でも自分たちの保育観はどうなのかなということから見つめ直していただかないといけないと思います」
近年アップデートされてきた保育観
では、いま求められる「保育観」とはどんなものなのか。幼児教育の専門家である大豆生田啓友さんは、社会の体罰やしつけに対する考え方の変化とともに、目指すべき保育のあり方もアップデートされてきたといいます。
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玉川大学教育学部乳幼児発達学科 大豆生田啓友 教授
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「保育観は、子どもやその発達をどう見るか、子どもを育てるために何を大切にするかという視点です。現在、国がガイドラインとして示している保育所保育指針等では、子どもの主体性を尊重することを大切にしています。以前は、年齢ごとの発達の目安などが示されていましたが、いまはもっと一人一人の発達の状況や、個性や意志を尊重してかかわることを大切にする方向性が強調されています。さらに、こども家庭庁ができて、こども基本法が制定されるなど、子どもの権利や人権がより尊重されることが求められています」
大豆生田さんは、給食を例にあげてくれました。かつての“保育観”では、「給食は完食することが望ましい」という考えが根強くありました。そのため、保育士や教師は「完食」指導をする傾向になりがちだったのです。
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玉川大学教育学部乳幼児発達学科 大豆生田啓友 教授
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「好き嫌いなく完食させることができる保育士がよいと思う方もいるかもしれません。しかし、子どもは一人一人多様です。もともと好き嫌いが多い子もいればそうでない子もいます。大切なことは、食を楽しむことです。ですから、いまの考えでは、食べることが楽しいと感じられることを保育では大切にします。もちろん、嫌いなものも好きになることも大切なので、その子が嫌いなものも自分から食べたくなるようなかかわりも保育士は大切にしています。それが子どもの主体性を尊重した保育観です」
“保育観”のギャップに戸惑う若い世代
ただ「保育観」が変化しているといっても、長年続いてきた保育のあり方を見直すことは簡単ではないようです。
取材で出会った若い保育士や、保育士を目指す学生たちは、「自分が学んできた保育と、現場で行われていることのギャップ」に、大きな戸惑いを抱いていました。
名古屋市の保育施設では、ある保育士が給食を食べるのを嫌がって泣く園児の頭を押さえて、無理やり口にスプーンを入れていました。
この行為を、名古屋市は虐待と認定しました。市に通報したのは、働き始めてまだ数年の保育士でした。
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虐待を通報した保育士
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「学校では、子どもが食べたくないと言っているものを無理に食べさせない方がいいと習いました。無理矢理食べさせたら食べること自体が嫌いになると思うので、絶対にしてはいけないことだと思います。虐待をしたのは上司だったので、その場で止めることはできませんでした。子どもを守れなくて、子どもにも保護者にも申し訳ないと思っています。このまま保育士を続けて、もし自分もあんなことしてしまったらと思うと怖いので、もう保育士としては働かないと思います」
保育士を養成する大学に通う学生たちも、実際の保育現場での実習で衝撃的な場面を目撃していました。
「子どもをテラスに出して扉の鍵を閉めた。その子どもが泣きながらガラスをたたいて入れてと言っても、室内から仁王立ちで見ていた」
「においなどでオムツが汚れていると分かっていても、子どもがオムツをかえてほしいと言うまで、みんな気づかないふりをして、そのまま放置していた」
学生たちは、保育士が抱える業務の多さも目の当たりにしていて、「不適切保育をしてしまう気持ちもわかる。自分のイライラを子どもに当ててしまうのかも」という不安の声も聞かれました。
この大学の教員で、不適切保育についても詳しい大西薫准教授は、こうした学生たちの発言にショックを受け、「社会全体で新しい保育観を根付かせることが大切」と話しました。
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岐阜聖徳大学短期大学部 幼児教育学科 大西薫 准教授
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「現場の保育士があまりにも忙しすぎて、学生が“自分もしてしまうかもしれない”と発言していたのが衝撃的でした。不適切保育をした個人を責めるだけでは限界だと思います。若い世代だけでは、園の長年続いてきた保育の慣習を変えることはできないです。問題提起を若い世代だけに任せず、保育現場の問題を社会全体で考えるきっかけにしてもらわないと、保育士になりたい若者がいなくなってしまいます」
保育観をアップデート① まずは園全体で話し合う
では、どうしたら「保育観」をアップデートし、不適切保育をなくしていくことができるのでしょうか。
「まずは園全体でコミュニケーションを深める」という工夫をしているという保育園があります。
「きょうのごはんはなに?」「肉団子だよ」
子どもたちが楽しみにしていた給食の時間です。愛知県西尾市にある「くさの実保育園」では、何をどのくらい食べるかを子どもたち一人一人に聞きながら職員がその子に合わせて盛り付けていきます。
中には肉団子を3つ食べる子もいれば、ゆっくり1つを食べる子もいます。園では一人一人の主体性を大事にするよう、手助けをしています。特に0~1歳児は誤えんなどに気を配る必要があり、丁寧な声かけをしながら楽しい食事の時間になるように、多めに保育士を配置する工夫をしています。
そのために大事にしているのが、徹底的な「話し合い」です。定期的に開く職員全体、リーダーごと、クラスごと、新人、パートごとといった会議だけでなく、日々変わる保育現場の中で、顔を合わせてそれぞれの状況について伝え合うことを大切にしています。
限りある保育士たちをどのクラスのどの時間帯に配置すればいいかを職員全体で話し合い、きめ細かい対応を心がけています。ときには園全体で相談して、特別に対応することもあります。
この保育園に通う、5歳の彩良ちゃんです。今はのびのび成長していますが、3歳で転園してきたとき給食も食べずにほぼ一日中泣いていました。「さみしかった」といいます。
そのときも職員全員で情報を共有し、担任を持たないフリーの保育士が彩良ちゃんに付き添い、不安な時にはそっと手を握ったり、1対1で外に行き気分転換をしたりして安心できる時間を持てるようにしました。
母親の真梨さんは「“もう泣かないで”、“がんばって”とかじゃなくて、“彩良ちゃんのペースで、そのままでいいんだよ”というふうに受け止めてくれたことがありがたかった」と当時を振り返っています。
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古居千裕 園長
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「みんなで手のかかるところをカバーしあうことで、保育士が余裕を持ち、不適切保育を防ぐことにもつながると思います。でも本当は、ギリギリの人数でやりくりするのではなく、いつも複数の保育士で子どもたちを見つめ、困ったことがあればすぐに寄り添ってあげられるような配置基準を早く実現してほしいと思います」
保育観をアップデート② 他園の保育を見て学び合う
他園の保育を見て学ぶことで、保育の質をアップデートしていこうとする取り組みも始まっています。
横浜市では2023年から行政が中心となって、「Yサポ」という他園の園内研修・公開保育をサポートするコーディネーターの育成を行っています。
※「公開保育」 日常の保育を公開し、その後参加者で議論。専門的知識・技術の習得を目指す研修
去年12月、市内の保育園では「子どもの関心から主体的な遊びを展開する」というテーマで公開保育が行われました。部屋を横断するようにつくられた線路などで思い思いに楽しむ子どもたちの様子を動画で配信しました。
横浜市内の20以上の園で視聴され、保育の内容について議論を行いました。
「Yサポ」としてこの公開保育をコーディネートした保育士は「他の保育士からの新たな視点が入ることで、保育者自身も環境を変えていくことにワクワクし、保育が楽しくなっていくことにつながるのではないか」と話していました。
実は、保育施設は私立も多く、その場合、定期的な職員の異動もなく、他の施設ではどんな保育をしているのか知る機会が少ないのです。こうした取り組みは、いま広島市、鹿児島市の保育施設などにも広がっています。
大豆生田さんは、これからの保育観で大事なことは「安心」と「あそび」の循環だといいます。
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玉川大学教育学部乳幼児発達学科 大豆生田啓友 教授
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「乳幼児期に大切なことは、一斉画一的に同じようにできることや厳しいしつけよりも、子どもの主体性が尊重されるような安心感や信頼感です。何かを「させねば」「させるべき」という強い意識が子どもに無理をさせる不適切な保育を生み出す背景があります。子どもは自分らしさが尊重され、安心感が持てることで、みずから育つ力を発揮できるのです。そして、もう一つ大切なのが主体的な遊びです。子どもは夢中になって遊び込むことを通して、様々な挑戦が生まれ、心と身体と、知的な興味を広げていきます。だから、プロの保育者は個々に応じながら、子どもが遊びを豊かに発展できるような環境を構成していくことを大切にしているのです。最近では、そうした安心と遊びを通した挑戦の循環の中で育つ、やりぬく力や自己コントロールなど非認知的なスキルがその後にもつながる大切な育ちとして注目されています。それは、小学校以降の学びの意欲にもつながっていくと考えられているのです」
取材を通して、保育観とは何か、乳幼児期の育ちに何が必要か、とても大切な基本を学びました。本当は保育園を選ぶ前に知っておけばよかった…とも感じています。
これまでは待機児童問題が深刻で、保育施設をじっくり選ぶことは難しいのが現実でした。
今後は、保育者が保育観をアップデートしていくと同時に、私たち保護者も「子どもの主体性を尊重する」ことを学び、保育にもっと関わっていくことで、少しずつ保育現場を変えていく力になるのではないかと感じました。