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Road to Rio vol.84 その指先に、あらゆる"ちから"を込めて~ボッチャBC3クラス・高橋和樹選手~

2016年05月23日(月)

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今年3月、北京で行われたボッチャの世界選手権個人戦(BC3)で、初出場で銀メダル獲得した高橋和樹選手。昨年末の「第17回 日本ボッチャ選手権大会本大会」で初出場・初優勝を成し遂げたわずか3カ月後の快挙でした。

あっという間に世界へ駆けあがっていった印象ですが、高橋選手にお話を伺ったところ、この結果は偶然のものではなく、高橋選手が積み重ねてきた人生の一枚一枚の思いで形作られていると実感しました。

 

5月7・8日に行われた、日本ボッチャ協会が主催する強化合宿を取材させていただきました。



忘れられない“柔道”、「どうしたら勝てるのか」という思いはそこから。


ボッチャのBC3クラスは、脳性まひや、四肢重度機能障害などで自分でボールを投げることのできない選手が競技を行います。高橋選手は頚椎損傷で手足が動かなくなりました。


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自分は高校の時に柔道で怪我をしたんです。

柔道は5歳から高校まで、スパルタで結構やっていました。小学校の時に県大会で優勝して、全国大会に出て、中学の時も東京大会と関東大会は優勝して全国大会に出て。全国では全然上には行けなかったんですけれど。


1001_20160519.jpg1003_20160519.jpg高橋選手は『柔道⇒障害者⇒自立生活』というタイトルの動画を作り、公開しています(上の静止画)。そこには、「障がいを持って変わった自分の生き方」としてご自分の気持ちをつづられています。ぜひ検索してご覧になってみてください。

 

小学生ぐらいの時は“オリンピック”って考えていたんですけれど、中学高校になるとそのレベルじゃないなってわかったり。ただそこを目標に、「将来は大学行くにしても社会人になるにしても柔道をやっていければ…」と考えながら柔道漬けの生活でした。そんな中で首を骨折して。

 

しばらくは高校や大学にも行きましたが、柔道だけをずっとやってきていた分、他に趣味も何も無くて。身体も当然不自由だから何かしたいことがあっても出来なくて。

ずっと自分の生き方を“模索”というか、ちょっとした習い事だとか、イベントに参加したりとか、人との交流を深める事にも参加したり。それはそれで楽しかったり刺激にはなったんですけれど、何か柔道をやっていた頃と同じような“熱い気持ち”や“勝負する気持ち”、“負けた悔しさ”とか、そういうのが味わえずにいて。

 

そして、東京パラリンピックが決まった時、「出よう」と思ったんです。

ボッチャを始めてからは、練習していく中での気持ちや、試合で負けた時の悔しさ、試合前の何とも言えない緊張感…吐き気もするし、お腹も痛くなるし。それがすごく懐かしくもあり、「ああ、この感じいいな」と思い、続けています。

今年でケガして20年経つのですが、さすがに20年前ケガをしたばかりの時には、まさか20年後にパラリンピックに出るっていう事は考えても無かったです。



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BC3のクラスでは、自分で投球ができないため、ランプと呼ばれる器具を使い、ねらいを定めることなどをアシスタントがサポートします。

――いつからボッチャを?

2年前、2014年の3月からですね。

自分の場合は、同じチーム(埼玉ボッチャクラブ)の人達が歴代の日本チャンピオンで。ケガする前の柔道の影響があるのか、負けて当然悔しくて。

柔道をやっていた時もそうだったのですが「どうしたら強くなるか」と考えるとまず練習が第一なんです。人の倍練習しないと強くならないし、人の倍、柔道だったら柔道の事を考えないと強くならない。であればボッチャも一緒で。ボッチャの経験だと当然かなわないので、人の倍練習するなり、人の倍、生活の中でボッチャの事を考えるなりしないとダメだって思って。
今はもう違いますけれど、1年前の今はまだ、何の大会も優勝した事が無かったので埼玉選手権のランキングは最下位だったんです。ちょうど5月の連休明けぐらいに、初めて横浜の大会で山下智子選手とか、昨年の日本選手権で2位の加古龍志選手とかにまぐれにも近い形で勝てて、少し、自分に自信が持てました。そのあと、7月に日本選手権の予選会があって。



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「絶対予選は突破して、本戦に出なきゃ」と思っていた頃は毎日ボッチャの事を考えていました。それこそ、そのへんに点と点が3つぐらいあったら「こうなっていたらどう攻めるだろう」とかそんな事ばかりを。あとはテレビでテニスの錦織圭選手とかの優勝インタビューなどで、「こういう風にしている」という話があると、自分に置き換えたり。

 

この1年間、多分BC3クラスの選手の中で一番ボッチャの事を常に頭に入れながら生活していたかもしれません。そういう結果が“今”に繋がっているのかなと思うんです。けれど、今は逆にその収めた結果から、みんなが自分を追いかけてきているんですよ。“追いかける人間”は強いと思うんです。自分を研究して戦ってくる人、自分と同じようなボールを探して作ったりする人がいる。逆に上にいる人間はいくらモチベーションを上げようとしてもちょっと上げずらかったり。だからこれからはどちらかというと、勝ち続けられたり、成績を残し続けられるメンタルの強化とか、そういう所もすごく大事だと思いますね。



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悔しさを味わった、世界選手権の銀メダル。


――その中で昨年12
月の全日本選手権では初出場初優勝、その後今年の3月には北京で行われた世界選手権個人戦では銀メダルと、結果を出されていますが。

“世界2位”になれた事は嬉しいですが、ただ決勝戦でまったく相手にならず負けているんです。「決勝戦で負けて帰ってきた」っていう悔しさと、自分の力の無さが最後印象的だったので、正直、喜びは無いんです。運というか、すごい恵まれた部分があって、流れが自分の方に向いたり、相手が本来試合に必要な道具を忘れてしまった事もあったんですよ。

準決勝で韓国の選手に勝ったのは、自分の実力の1つだとは思ってはいますが、本当に自分の真の実力で2位になれたかと言ったら、正直いろんな流れなどが向いた結果だと思っています。

周りからは「初出場で世界2位、すごいね」とか「今までの日本選手ではない事だよ」と言われるんですけれど、喜び以上に、次に国際大会へ出て、“世界2位”というものを背負って次にどんな戦いをしようかなとか、その相手に次にどうやったら勝てるかなとか、次に勝たないとまぐれだったねで終わるなとか、そっちのプレッシャーが大きくて正直、あんまり喜びは無いです。

 

――決勝戦はどういった試合運びだったのですか?

ボッチャって4エンドやって、3エンド目の時点で6点以上負けていたら4エンド目はほぼ負けなんですよ。相手にファウルが無いと、6つの所有ボール以上の点が取れないので。自分は3エンド目が終わって8-0ぐらいで負けて。決勝戦ですごい観客がいる中で4エンド目が意味のない試合、結果が分かっている試合だったんです。

そもそも4エンド目にいく時点で8-0という公式戦は初めての経験で、しかもその舞台が世界のトップを決める大会…観客がたくさんいる中で、何とも言えない敗北感があって。もし仮にそれがなくて、競って1点差で負けていたりしていたら、多分今ほどの気持ちじゃないでしょうね。ちょっと浮かれて「これで頑張れば世界一にもなれるな」「リオでもメダル取れるかな」って。なので、今は、自分の中ではそうではなく受け止めています。

 

――刺激になっているのですね。

ただその結果があってリオに繋がるっていう事はとても嬉しい事です。その結果を残さなければ、運でも何でも2位にならなければリオには繋がらなかったので。以前取材していただいた時に「東京パラリンピックに出場するためにボッチャを始めた」とお伝えしましたが、それが4年早く出ることがでるかもしれず、今回のリオで、もしメダルが取ることができれば、2020東京やボッチャへの注目度が一気に上がると思うので。そういう部分ではすごく嬉しいですね。

 

――課題はどのように感じられましたか。

世界選手権から感じた課題は、「ボールと道具」の違いですね。戦術が足りないとか、実力とか、そういうものよりもまずBC3というクラスはボールと道具の影響がすごいんです。決勝なんかはボールをどれだけ当てても動かない、動いた所でちょっと寄せたとしても、それをはじかれるボールを相手が持っていたり。その課題ですね。


※高橋選手を“囲む”人たちは、吉川博史コーチやランプを整備する小境清和さん、アシスタントの大西遼馬さん

 

帰国後、別の国際大会の選考会があったんですけれど、自分は2人の選手に負けたんですよ。負けた理由というのは、1人は、メンタル面や気持ちの持っていき方。あとのもう1人は明らかに、世界選手権でも感じたボールの違い、相手のボールは動かせないというのがありました。

その状況をリオまでに何とかしなければと思っていて。選考会で国際大会の話もいただいたんですけれど、結局、出場してしまうとボールや道具の調整が1ヶ月ずれこんでしまう。それだとリオに間に合わない。あくまで自分が目指しているのはリオの結果なので出場をお断りして、1番の課題、道具とかボールをまず揃えて、それに合わせた戦術とか気持ちの持っていき方や戦いになっていくのかなって。

 

――動かないボールというのがあったんですか??

ランキング上位の方と当たると“動かないボール”や、“どんなボールでも動かせる硬いボール”が出てきますね。決勝の選手が動かないボールを先に投げて置いてしまうと、自分にはそれを動かす力がないんですよ。逆に自分が同じボールを持ったとしても、相手はそれを弾く力のあるボールを持っているんです。じゃあ、他の選手と同じようにランプの傾斜とかも高くした方がいいんじゃないかとなると、それはまたその人の障害状況にもよって変わってくるんです。例えば韓国の選手だと高い所にも届くように車いすの座面をすごい下にして、クッションとかを置いて高くして。

低い所はどうしてるかというと、脳性麻痺の方とかは身体を前に倒すんです。自分の場合は頸椎損傷で前には倒れられないので。



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本当に、BC1、BC2とはボールも違うし戦い方も全然違うと思いますね。海外の選手は基本、どんなボールでもはじける傾斜と、力のあるボールとか道具を持っています。ただ、逆に細かくピタッて3メートル、4メートルの所に寄せる事は韓国の選手以外はそんなに得意じゃなくて。自分はそこを得意としているので、相手はそれをはじいたとしてもそのあとの寄せが甘くて自分がピタッとまた寄せるから結果勝つことができました。ただ、韓国の選手の場合は、はじめに寄せたボールが自分がもう動かせないもので、仮に自分が寄せたとしても楽にはじかれて、まともにベタッて寄せられるっていう…それが決勝戦でした。

 

――韓国の選手は隙が無さそうですね…。

そうですね。練習量が違うというのもありますが、結局それを言っちゃうとただ叶わないだけになるので。だから戦術の練習も同時に行って、そうしてうまく出来れば韓国の選手にも点数を取って、少しでも勝ちにつながるのかなと思っています。

 

――試合中に、どこでその戦術を出すかというのも重要ですね。

そうなんです。




改めて、リオに向けて。ボッチャの魅力とは?

 

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――アシスタントの大西遼馬さん(真ん中)とのコミュニケーションの部分についてお伺いさせてください。BC3の場合、大西さんが高橋選手の腕となり目となりという所があると思うのですが、気を付けている部分はあるのでしょうか?

練習が終わったあとなどに、アシスタントから見て自分のどこが分かりづらかったか、どういう風に言って欲しかったかを聞いています。

昨年末の日本選手権の試合で残り時間が少ない時に「30秒で急いで」と言ったんです。試合後、大西さんから「あの時急いでって言われたんですけれど、普段から急いでいるからそれ以上に急げと言われても無理です」と言われて、確かにそうだなと思ったことがあって。

自分の気持ち、焦っているから「急いで」と言う事によって、相手が急いでいるのにさらに急かそうとすることがミスに繋がったり、ファウルに繋がったりするかもしれない。「そうか。そういう時はどちらかと言うと、時間が無くても相手を落ち着かせるように言う事が必要だ」とわかりました。

なので、試合や練習が終わったあとには、お互いのフィードバックや、コミュニケーションを取るようにしていますね。



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――コミュニケーションの取り方、勉強になります…。

自分は、普段の生活で介助者を入れて一人暮らしをしています。ほぼ寝る時間以外、朝8時から夜の24時まで2交代、3交代という形で。そうすると、着替えをするにしても、そのあと洗濯をするにしても何をするにしても、先のことを考えながら、介助者にお願いしたいことを指示で出していかないといけないんです。

例えば「飲み物を持ってきて」と言って持ってきてもらったけれど、同時に「洗濯もしなきゃ」と思ったら、時間を考えたときに“先に洗濯をすること”なのか、“先にこれをすること”なのか。他にも、介助者に自分が見えないモノを伝えたい時なども。自分がベッドに横になっていて「隣の部屋の本を持ってきて」と言う時に自分からは見えない。“どういう風に介助者に言ったら伝わるか”というのは、普段の生活の中でも考えながら自然とやっています。その生活が今、13年くらいかな?そこから試合にもつながるコミュニケーションの方法が養われているのかなと思います。

 

――“普段”からたくさんできることを痛感します…。そうしていると4カ月、あっという間に過ぎていくと思うのですが、リオパラリンピックで目指すところはどういったところですか?

前にお会いした時のボッチャを始めた理由は「東京に出場する事」でしたが、今は「東京で金メダルを取るという事」が未来の目標に切り替わっています。東京で金メダルを取るにはまずリオでメダルを取らないと。リオに出たことで満足したり、予選落ちをしてしまえば「国際大会を経験した」だけであって。ボッチャの試合に出られる人が24人しかいない中で、自分がその世界の24人の中に選ばれる以上はきちんと結果を残そうと思っています。

ただ、恐らくランキング通りの組み合わせでいくと、自分は準決勝で韓国の選手に勝った人と同じ予選リーグなんですよ。3月の北京の時は、相手は「日本人で今まで勝ち上がってきた事が無いし、運もあって上がってきたのだろう」と思って自分の事をちょっとなめていたと思うのですが、今度のリオでそんな運や偶然は絶対に無いし、相手は自分以上の強い気持ちで来ると思うので、そこで返り討ちにあわないように。

きちんと力で勝ってこそ。相手に2回勝てば、それはもう大きなものなので。そのような気持ちでいます。

 

――高橋選手がリオでメダルを取る事がボッチャという競技の注目を集める方法の1つだとは思いますが、観客の人、初めてボッチャを見る人に対してのメッセージなどはありますか。

以前、そちらのブログに書いてあった事が本当にそうだなと思って。ボールが乗っかっている写真があって、「シンプルなスポーツではあるけれど、ここからどれだけ想像出来るか」って書いてあったじゃないですか。あの表現、自分で考えたんですよね?



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――はい、考えました。

すごいですよね。偉そうかもしれませんが、それが魅力だと思っていて。

1球、相手が投げます。そして1球、また投げます。そこからジャック(※)がどれだけ動いているかとか、どれだけボールが散らばっているかとかがすごい見所であって。
※ジャック:ゲームの的となる白いボール。ジャックボール。



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合宿中の様子です。真ん中はBC3クラスの新井大基コーチ。左の松永楓選手にボールの位置と残り球数から逆算した戦術などを教えていました。

 

ジャックがここにある、相手のボールも自分のボールもある、ジャックの周りに全部6球集まって終わっている試合というのは、自分としては面白くないんですよ。BC3って本当に動きがあるんです。

ただ映像だけを見ると、シンプルな寄せ合いみたいに見えますが、1つ弾くにしても、ボール6球の硬さ、弾く力、(試合前にルールとして触った)相手のボールの硬さからボールはどんな動きをするのか、そして自分のボールがどんな動きをするのかを想像したり。相手の1手2手3手先を想像していると、見る側は1球1球で見ているとなかなか分からないんですけれど、6球投げきった時に「だから2球目にそこ投げたのか!」というのがありますよ。

相手の壁とジャックがあって、壁があったら普通には寄せられないから、横に1球、わざとぽんと置く時があるんです。見方によっては「あれはミスしちゃったのかな?」と思うかもしれない。でも次のボールで当ててジャックの内側に持ってくると、「そういう事ね」って。

 

――試合を見ているとその発想にびっくりします。

初めて見る人も、見れば見るほど面白さが分かると思うスポーツだと思います。

でも、自分の場合はまだ、BC3のクラスや、ボッチャの成績からも、なかなか取り上げられるような実力では無いと思うんです。BC2の廣瀬選手がすごく活躍していますけれど、廣瀬選手は何年か活躍しているように、自分も結果を残せば必ずBC3も注目してもらえるようになると。そのためにも、東京のためにも、リオで結果を残してきちんとした戦いをしなくては。結果だけであれば予選落ちすればそのままですし。でもそこでメダルを取ることができれば注目してもらえるので、“結果が全て”だと思っています。

 

――プレッシャーをかけるわけでは無いのですが、リオの活躍をとても楽しみにしています。ありがとうございました。

 

 

 

ちょっと、読むには長かったかもしれませんが、話に引き込まれてしまいましたので伺った事をすべて掲載してしまいました。

体が動かせない、だけど、動かせるものをフル動員し、さらに「アシスタント」「ボール」「道具」「コーチ」との“接触”から生み出される高橋選手の戦い。その分、“ちから”が幾重にも重なっている感じがします。ボッチャとは、本当に奥深いスポーツです。

 

また、今回の合宿で出会った吉川博史コーチにもお話を伺いました。

ボッチャへの愛おしさ、情熱があふれるインタビュー。こちらもぜひお読みください。
Road to Rio特別編 ~パラリンピック、かかわる人々。Vol.3 埼玉ボッチャクラブ・吉川博史さん~


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◆関連情報
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