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2024年1月29日(月)

ガザと“ホロコースト生還者(サバイバー)” 殺りくはなぜ止まないのか

ガザと“ホロコースト生還者(サバイバー)” 殺りくはなぜ止まないのか

ガザ地区への攻撃を続けるイスラエル。死者は2万5千人を超えました。かつて600万人が犠牲になったホロコーストを経験したユダヤ人国家は、なぜパレスチナの人道危機に目をつむるのか。「国は正しい道を進んでいないのでは…」秘めた思いを口に出来ない“ホロコースト生還者”も。イスラエルで今何が?日本でも話題となったホロコーストサバイバーのドキュメンタリーを制作した監督インタビューや現地の生の声を取材。深層に迫りました。

出演者

  • 鶴見 太郎さん (東京大学准教授・ユダヤ史専門)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

イスラエルと"ホロコースト" なぜ殺りくはなぜ止まないのか

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:

先週金曜、国際司法裁判所はイスラエルに対して住民の大量虐殺などを防ぐため、あらゆる手段を尽くすよう暫定的な措置を命じました。
一方、ネタニヤフ首相は、われわれに対する大量虐殺の告発は誤りだとしてハマスの残虐行為はホロコースト以来、最も恐ろしいものであると、ここでも"ホロコースト"という言葉を使って攻撃を続ける意思を明確にしました。

ガザ地区での死者は、2万6,000人を超えています。なぜ、この深刻な人道危機を誰も止められないのか。イスラエル社会に根深く広がる心理に迫ります。

"ホロコースト"の記憶とは

2023年12月、東京で、あるドキュメンタリー映画が公開され、広く注目を集めています。

描かれているのはイスラエルにとってトラウマとされる"ホロコースト"の記憶です。

ダニエル・ハノッホさん
「私は人間を死に追いやる―"生産ライン"を見ていたのだ」

映画の主人公、ユダヤ人のダニエル・ハノッホさんです。12歳の時、アウシュビッツ強制収容所へ連行され、死体の運搬を担わされました。

ダニエル・ハノッホさん
「来る日も来る日も、目が覚めると死体を運ぶんだ。想像してくれ」

人間性と尊厳が徹底的に奪われた"ホロコースト"。当時のユダヤ人の3分の1にあたる600万人が虐殺されました。ハノッホさんの父親も収容所で犠牲になりました。

ダニエル・ハノッホさん
「父が私のすぐ近くで殺されたのだから…私はいまだに―この感情と折り合いがつかない」

映画を製作したオーストリア人の監督です。この強烈なホロコーストの記憶が、今のイスラエルの過剰な反応につながっているのではないかと指摘します。

映画監督 フロリアン・ヴァイゲンザマーさん
「(イスラエルの人々は)とても大きなショック、トラウマを受けていることを理解する必要があります。ナチスによって民族が絶滅に追いこまれようとしてから、まだ1世紀もたっていないのです」

一方、ホロコーストの記憶がガザへの攻撃を正当化するために使われているとして強い懸念を抱いています。

映画監督 クリスティアン・クレーネスさん
「パレスチナの人々をナチスに当てはめること、それは言語道断です。いま双方のプロパガンダが過激化して、平和を目指す考え方があっても真実が完全に覆い隠されています。私たちは時代の証言者の声に耳を傾けなければいけません。歴史を忘れてはいけないのです」

ガザへの過剰ともいえる攻撃を繰り返す、イスラエル。ホロコーストを生き抜いたサバイバーは、この状況を、どう見ているのか。

92歳になる、モシェ・クラビッツさんです。ホロコーストで父親を失い、家族は離散。クラビッツさんは身寄りがないままパレスチナに渡りました。

その手には今も、アウシュビッツで刻印された囚人番号の痕が残っていました。

取材班
「今のイスラエルをどう見ていますか?」
ホロコーストサバイバー モシェ・クラビッツさん
「イスラエルの現状?国は正しい道を進んでいません。これが私が言えるすべてです」

クラビッツさんの戦後の人生は、イスラエルの歴史と重なります。1948年、イスラエル建国に反発したアラブ諸国との間で戦争が勃発。クラビッツさんはイスラエル軍に入隊し、ある任務を命じられたといいます。

モシェ・クラビッツさん
「パレスチナ人の家を破壊しろと言われました。毎朝、ダイナマイトで爆破したんです」

この戦争で土地を追われ、難民となったパレスチナ人は70万に上りました。

その後、戦争のたびに支配地域を広げ、入植を進めていったイスラエル。かつてのパレスチナの街や通りは、ユダヤの名前に変えられ、人々は、ガザやヨルダン川、西岸などに追いやられました。

モシェ・クラビッツさん
「彼らの立場になって想像してみてください。この土地で生まれたのに、そこで生きることすら許されないのです。本来、パレスチナ人がこの地を諦める理由なんてありません。ここに根ざした人間なのですから」

パレスチナの苦難の歴史に思いを寄せる、クラビッツさん。それでも、今のガザについて「これ以上コメントできない」と語りました。

取材班
「ホロコーストサバイバーとして、思うことはないですか?」
モシェ・クラビッツさん
「状況はよくないです。みんな分かっています。…でも話したくないです。政府への批判はたくさんありますが、ここでは語るべきではないのです」

ホロコーストサバイバーですら沈黙を強いられる実情。背景にあるのは、ハマスの攻撃によって呼び覚まされた恐怖心と自衛の本能です。

「いますぐ全員解放を」

攻撃を受けてから100日となるのを前に開かれた、人質の解放を求める集会。参加者が口にしたのは、国際社会からの批判に対する強い反発でした。

取材班
「イスラエルがホロコーストと同じことをしているとの批判があるが?」
家族が人質にとられていた参加者
「ばかげています。本当にホロコーストだったらガザはすでに存在しません。無差別攻撃ではなく、爆撃の前にビラで知らせています」
参加者
「私たちがホロコーストをしている?冗談じゃない」
参加者
「世界はゆがめて物事を見ている」

今もガザで奪われ続ける命。多くの市民が、その痛みに背を向けようとするのはなぜなのか。

ホロコースト研究の第一人者で、ユダヤ人のモシェ・ジメルマン教授。教育を中心とした、イスラエルの国家政策によるものだと指摘します。建国から長い間、実はホロコーストサバイバーの存在は差別や軽蔑の対象とされてきたといいます。

ヘブライ大学 モシェ・ジメルマン教授
「『ナチスにやられたのは自分の弱さのせいだ』と言われるため、サバイバーは体験を語ることができませんでした」

ところが、戦争が繰り返されると国民を統合し、士気を高めるため、政府はその記憶を利用します。

「ホロコーストを2度と経験しないために相手を攻撃することは許される」

そう国民に浸透させたのは国による教育だったとジメルマン教授は指摘します。

モシェ・ジメルマン教授
「"私たちは犠牲者だから攻撃を受けたら何をしてもいい"。和平交渉よりも武力に行使するのが国のメンタリティーになってしまっています。ホロコーストの記憶を、攻撃を正当化する道具に変えていったのです」

今回、私たちが取材で出会った、この女性。ハマスの攻撃で、かつての交際相手を失いました。

その直後、軍への入隊を志願。アウシュビッツの囚人番号を模したタトゥーには、ハマスが来襲した10月7日を刻みました。国を守る決意を込めたといいます。

入隊を志願した女性
「ホロコーストがあったから、今、私たちがここにいるんです。『ユダヤ人は世界に散らばってはいけない』『自分の国がなければ危険だ』と理解できた。今も同じ状態です。パレスチナ人に国をあげたら、われわれはどこにいけばいい?ハマスの攻撃は恐ろしいほどホロコーストと似ています」
取材班
「ホロコーストサバイバーは周りにいますか?」
入隊を志願した女性
「家族にはいません」

自衛の意識が高まる今、異論を許さない空気が急速に広がっているといいます。

公立高校の歴史教師でユダヤ人のメイール・バルヒンさん。2023年11月、突然、自宅に警察の捜査が入りました。

高校教師 メイール・バルヒンさん
「寝室に入られ、クローゼットのものがすべて出され、床やベッドに散らばりました」

きっかけは、SNSの、この投稿。ガザへの攻撃が始まった直後、戦闘をやめるよう訴えました。すると職を解雇され、テロを正当化したなどとして反逆罪で逮捕。5日間、拘留されたのです。

メイール・バルヒンさん
「政府の政策に異論を唱える人には表現の自由がなくなっています。人生が完全にひっくり返ってしまいました」

教え子たちから復帰を求める声が寄せられ、1月、裁判所の裁定で復職が認められました。しかし、私たちが取材をした、この日から9日後、復職したときのことでした。

「兵士は殺されているんだ。恥を知れ。私の兄はガザで戦っているんだ。あんたが平和に暮らせるように」

一部の生徒から執ような非難が浴びせられ、今も授業を再開できていません。

メイール・バルヒンさん
「学校から出たあとも子どもから後頭部を殴られ、つばを吐かれました。周りには大人もいましたが、誰も止めようとはしませんでした。異論を脅威だと捉え、排除するためには手段を選ばなくなっています」

ホロコーストの記憶を背景に、ガザへの攻撃を支持するイスラエル社会。イスラエルに暮らすアラブ系の人たちは不安や憤りを募らせています。

ヘブライ大学のアラブ系学生
「何をするのも不安です。家の外に出たら、よからぬことが起きるのではないか、恐怖があります」
ヘブライ大学のアラブ系学生
「今こうして話している瞬間も本音を言えないんだ。僕らは民主主義国家で生きているのに、意見を公表しただけで、仕事を解雇されていいはずがない。イスラエルは民主主義のはずなんだ」

さらに、パレスチナ、ヨルダン川西岸地区の学生からは。

ヨルダン川西岸地区の学生
「元をたどれば1948年に戦争を始めたのは彼らです。10月7日のことだけでパレスチナ人を罰するのではなく、先にイスラエルを罰してください」
ヨルダン川西岸地区の学生
「ナチスが行ったホロコーストがいかに苦しいことであっても、イスラエルがそれを理由に私たちを迫害する権利はないのです。人間として人間をあやめてはいけない」

悲劇を止めるために 国際社会は何が

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
きょうのゲストは、ユダヤ人とイスラエルの歴史に詳しい鶴見太郎さんです。

パレスチナの人たちは、かつてイスラエルに土地を追われたという苦難の歴史があると。そこに思いを寄せるイスラエルのホロコーストサバイバーの方がいましたが、口をつぐんでしまうと。
鶴見さんは何度もイスラエルに足を運んでいますけど、今の異論を唱えにくい社会の空気、どう映っていますか。

スタジオゲスト
鶴見 太郎さん (東京大学准教授・ユダヤ史専門)
ユダヤ人とイスラエルの歴史に詳しい

鶴見さん:
私が最初に長期的にイスラエルに滞在したのが2006年なんですけれども、その数年前まで連日のようにテロですね、いわゆる起きるということがあって、パレスチナ人との関係は悪くなっていたのですが、それでもイスラエル政府の政策を批判することで逮捕されるということはなかったですし、それなりには自由に物を言える雰囲気はあったと思いますので、今回はかなり違うなという感覚を受けています。

桑子:
なぜ、ここまでの事態になってしまっているのだと思いますか。

鶴見さん:
端的に言うと「被害者スイッチ」というものが入ってしまったということで。冒頭から"ホロコースト"というのがキーワードになっていますが、実はイスラエルを建国する源泉となった、力となった"シオニズム"という思想です。

これは19世紀の末から始まっていまして、"ポグロム"と呼ばれるユダヤ人に対する虐殺ですね。この事件が契機となっています。その後もポグロムは繰り返され、規模を拡大して1920年代に初めて、この武力紛争が、ここの地域で顕在化するのですけれども、その時にすでにポグロムが起こったとユダヤ人は言っているんですね。

桑子:
その時から被害者という意識が相当高まっていた。つまり、ホロコーストの前から高まってきているということですよね。

このホロコーストの記憶というのは、イスラエルの歴史の中で意味合いを変えて利用されてきたと、今回取材したヘブライ大学ジメルマン教授はおっしゃっていました。

具体的に言いますと、そもそもイスラエル建国の契機になったホロコーストというのは、当初は弱さの表れであるとして「軽蔑の対象」だったのです。
それが、アラブ諸国との戦争が繰り返される中で「国民を統合する」、まとめるために利用され、ひいては「攻撃を正当化する」ためにも利用され、それが今にもつながっているということです。

VTRでは腕にタトゥーを入れて国を守るんだと、強い決意を表す女性が出てきましたけれども、直接ホロコーストを経験してない若い世代でも、ここまで強く危機感を広く共有している。どうしてなのでしょうか。

鶴見さん:
3つぐらいありまして、兵役と教育と、あと世代の違いというのも関係してくると思います。
まず、兵役に関しては、イスラエルでは建国の時から女性でも2年間、兵役が課されていまして、そこで国を自分たちの力で守るという意識をたたき込まれる。
教育に関しても、流れの中で80年代から教育のカリキュラムとしてもホロコーストを体系的に教えるということが始まっています。
3つ目に、先ほどのサバイバーの世代では、イスラエルの建国の経緯、その過程でパレスチナ人が苦しんだということも一応知ってはいると。しかたない状況だったんだという言い方をする人が多いですが、ところが若い世代は、そこのことはあまり知らず、ホロコーストという被害の記憶だけが受け継がれてしまっているので、そこばかりを想起してしまうというところがあると思います。

桑子:
こう見ていますと、本当に当事者間だけでの問題解決というのは難しいのだろうと思うんですね。
となると、国際社会が役割を果たすべきですけど、なかなか手を打てていないと。これはどうしてだと見ていますか。

鶴見さん:
やはり負い目というのがあるかと思います。ホロコーストにしても、ポグロムにしても、その当事者であったヨーロッパの国々が、なかなか踏み込んで、この話題にいけないと。ユダヤ人の問題を、いわば中東に輸出したという形になっているわけです。

国の中には、例えばポーランドでは「ホロコーストにポーランド政府が関与した」ということを言っただけで、処罰されるという法律が最近作られるということもあるぐらい、ホロコーストに対する向かい方もかなり中途半端であったりするところがあります。
(※その後 2018年6月に法律が改正され最高3年の禁錮を科すなどとする罰則規制はなくなりました)

桑子:
どう悲劇を食い止めていけばいいでしょうか。

鶴見さん:
今回、改めて明らかになったのが「歴史的トラウマ」とでも言えるような、ことの重大さだと思います。
これは、ユダヤ人がずっと迫害をされてきた。ところが、その時も助けてもらえなかったし、その後もポグロムに関しては、ほとんどなかったことにされているわけです。ホロコーストに関しても、先ほど申し上げたような状況で非常に中途半端にしか対応されていない。
そういう中で、国際社会に対する不信感というのが非常に強いということで、なかなか国際社会の言うことを聞いてくれないということが根本にあるかと思います。

桑子:
それをまずはケアをしていくと同時に、パレスチナの人へのケアというのも必要ではないでしょうか。

鶴見さん:
今回、ガザの人々、その前からずっと長年にわたって苦しめられてきている、まさに歴史的トラウマが、そちらにも発生している状況をいかに補償していくか、ケアしていくかということが重要になってきます。
日本政府が、これまで支援をしてきたものをいったん止める決断を今回してしまいましたが、それはパレスチナ人をさらに孤立させることになりかねないということかと思います。

桑子:
ありがとうございます。歴史的トラウマという言葉もありましたが、今、過去のトラウマが新たなトラウマを生み出しています。これは止めなければいけません。最後は、ホロコーストを生き延びた映画の主人公、ハノッホさんからの問いかけです。

ホロコースト生還者 私たちへの"問いかけ"

映画の中で、ハノッホさんは、こう訴えかけています。

ダニエル・ハノッホさん
「残虐な行為は自ら止めるべきだ。自らを戒める機能が人間にはないのか。"俺は何をしてるんだ?"、"子どもや老人を殺すなんて"、"こんなことをして何になる?"と」
映画監督 フロリアン・ヴァイゲンザマーさん
「この言葉は、人間がいつか変わってほしいという、ハノッホさんが私たちに託した希望なのかもしれません」

ダニエル・ハノッホさん(91)は、イスラエルで健在でした。今もホロコーストの傷痕が刻まれています。

命をつないだことで、2人の子ども、5人の孫に恵まれました。体調が優れないない中、取材に応じたハノッホさん。繰り返し口にした言葉がありました。

取材班
「いま願うことは何ですか?」
ダニエル・ハノッホさん
「平和です。どんなことがあっても平和です」
見逃し配信はこちらから ※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

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