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インタビュー・地域づくりへの提言

日本をリードする知の巨人たち。社会が大きく転換しつつあるいま、時代を拓くカギは地域にあると指摘します。持続可能な未来へのビジョンを語っていただきます。

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2016年08月31日 (水)

"機能別"タテ割り社会に「ヨコ糸」を通し、縦横無尽の安心ネットを張る③【財政学者・沼尾波子さん】

②では、地域で暮らす人々を「トータルで何でもあり」という仕組みで支えていくやり方こそが、実は利便性にかなったものであること、限界を迎えつつある“機能別”に分かれた「縦割り」のシステムに替わる新たな可能性を見い出すための、ひとつの道筋になるのではないかということをお話しいただきました。

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沼尾氏 しかしこうしたものは、縦割り行政や補助金の仕組みからいって、非常に成り立ちにくいものになってしまっています。いまの機能別予算だと、限られた財源を地方に配分するときに、できるだけコストを下げて個別機能のクオリティを確保しようとなりますよね。これを“機能別”でやろうとすれば、どうしても「規模の経済」を追求し、一定程度の人口規模を確保したうえで、そこに多様な機能を配置していくという都市の論理、人口増大型の地域成長の論理を前提とした予算配分になっていく。これを人口減少が進む今の社会でやろうとすれば、地方の中核都市に人を集めて、そこに機能を集約すればいいという論理になっていくわけです。それが本当にこれからの地域づくりとか、地域の豊かさということを考えるうえで望ましいのかどうか、ということですね。
実は、「平成の合併」を行わなかった町村のなかに、非常に面白い取り組みが見られます。小回りが利くところで、トータルな施策を行政と地域住民が連携して推進できているところは、あまり合併をしてこなかった小規模町村なんです。「地域づくりアーカイブス」で紹介されている島根県の海士町、他には岩手県紫波町の「オガール」(公民連携で補助金に頼らず駅前の10.7haの町有地を中心に、図書館・カフェ・産直マルシェ・ホテル・バレーボール専用体育館などを整備したスペース。町内外から年間80万人が訪れる)もそうですね。大きな自治体だと、行政機構も縦割りで風通しが悪く、庁舎も大きくてそれぞれ“機能別”にやっていますから、情報を共有するということが、非常にやりづらいのです。

先日、紫波町役場で話をお聞きしてなるほどと思ったことがあります。紫波中央駅前の空地をどうするかという課題に対し、町では公民連携で取り組むことを決め、公民連携推進室が設置され、駅前空間「オガール」が生み出されていくことになります。当時、紫波町役場も縦割りで業務をこなしていたのですが、多様な機能と役割を兼ね備えた公共空間を、住民参加型で構築しようとすれば、いろいろな分野や立場の人たちと連携を取らなくてはいけないし、施設の整備計画を策定するために都市計画部門とも連絡をとらなくてはいけない。そこで公民連携推進室が設置されるのです。
興味深いのは、駅前の10.7haをどうするかというアイデアをつくるところから、実際に空間整備が行われるまでの間、それぞれの段階で、公民連携推進室が引っ越しを重ねたということです。「今のタイミングでは首長の近くにいて、情報伝達を密にしたほうがいい」とか、「施設整備のために図面を引くので、都市計画課の隣にいたほうがいい」などと、庁舎の中で自分たちの“島”を、転々と移動してまわったそうです。「今からは住民の意見をいっぱい聞かなきゃいけないので、庁内の奥まったところに部屋があるとダメだから、住民がいつでもコンコンって来られるところに部屋を持っていこう」と庁舎を出たこともあったそうです。そうやって、それぞれの段階での業務と役割を見極めながら、引越しをしては、その時その時に必要な人たちと密な情報共有・連携を築けるようにと、そこまでやったわけですね。



6_ogal.JPG 岩手県紫波町の公民連携施設「オガール」 多くの人々でにぎわう新しいまちの拠点に

政令指定都市のように、庁舎が巨大ビルで、別館や第2庁舎などもあって、例えば都市計画課と子育て支援課が遠いところで業務を行っているとなると、政策を一体的に考えるためには、関係者がよっぽど上手に集まれるような場を作っていかなくてはなりません。一概に組織が大きすぎるからダメだといっているわけではなく、大都市には大都市ならではの地域のつくり方とか、関係の取り結び方というものがあるということです。例えば「都市内分権」で区の単位に分けて、自治会などと連携しながら関係を取り結んでいくというやり方もあると思います。また逆にそれだけ大きい規模だからこそ、多様で多職種な民間の方もいるわけで、そこをつないでいくことで総合性を担保できるかもしれない。それぞれのやり方があっていいと思うのです。
とはいえ、いまの行財政システムは、そういう大都市型から小規模町村まで、縦割りで専門化された事務事業を担うところに、横串を入れて多様性を担保するようなシステムになっていませんから、評価自体も、特定の機能を達成したかどうかだけがチェックされ、それによって、新たに別の課題が生じるかもしれないという「合成の誤謬」はあまり問題視されません。そこを上手に評価するような仕組みを入れていかないと、数値で測るKPI(主要業績指標)一本で、特定の機能の効果をみて、例えば出生率がこれだけ上がったというようなことだけを評価されてしまうと、多様性の担保はますます難しくなってしまいます。
そういう意味で、紫波町の役場が面白いのは「デュアルシステム」になっているところです。昔からの縦割りは縦割りで残っていて、農協や農業生産者は農政課に行くし、商工会や事業所は商工課へ行き、それぞれの支援事業や助成制度などを活用する仕組みは、従前通り機能しています。ですが、先ほど紹介した公民連携推進室は、駅前をはじめとした空間をどうするかという議論に始まり、地域づくりにかかる多様な課題について、横串型で考える窓口をつくっているのです。例えば、「オガール」で農産物等の産直をやりたいという希望に対し、農業分野だけにとらわれるのではなく、駅前空間をどのように居心地の良い賑わいのある空間にしていくかという戦略と、そこに参加したいという農業生産者の希望などを踏まえて空間を作っていく。農政課にも話をつなげながらも、地域づくりという視点から、産直の機能と役割を多角的に見つめることを、公民連携推進室がおこなっているという仕組みを持っているのです。住民は、どちらのルートからでも役場に話を持っていくことができるようになっている。“デュアル”システムですね。最先端の役場だと思いました。「全部を、公民連携による横串型にすればいいってものでもないですから」という役場の方のお話が印象に残っています。

--沼尾さんは、「地域づくりアーカイブス」の動画で紹介している上越市に、番組のリポーターとして訪ねていらっしゃいます。(NPOと行政が連携する子育て先進地)上越市ではNPOと行政がうまく連携して、地域で子育てを支えることができていると感じました。

沼尾氏 そうですね。上越市の場合は、まずお母さんたちのネットワークがしっかりできています。子育ての面では行政と民間とがうまくつながっていて、NPOにもパワーとセンスがあって。いろいろな状況にあるお母さんたちが孤立しないよう、つながるためのいろいろなチャネルが用意されている。素晴らしいと思います。また、富山型の民間デイサービス「このゆびとーまれ」の惣万佳代子さんたちは(動画「共生ケアは地域を変える 富山型デイサービス」「親子じゃないけど、家族です 富山型デイサービス」)、子どもに加えて高齢者や、病気・障害のある方など、トータルに包摂していくというやり方をされています。

では国はどうでしょうか。厚労省の施策を見ていると、例えば今回の子ども子育て支援新制度では、子育て支援でいろいろなことをやる場合、かなりきっちりとした要件が定められています。国としては制度としてやるからにはしっかり責任を持って取組むということですし、子育てには子育ての専門的な部分もありますから、様々な事情を考慮した上でのこととは理解します。ただ、その一方で小規模の自治体にヒアリングをしてみると、これまで地区の中でいろいろな子育て支援をやっていこうっていうお母さんたちの独自の動きがあって、それを様々なやり方で支えていたのだけれども、今回の新制度で要件がきっちりと規定されたことから、要件に合わない取り組みに対して補助が出せなくなってしまったという事例が出てきています。



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国が望んでいるような、これだけ安全で子どもがケガしなくてといったような要件をガチガチに詰めていくと、要件に合わない取り組みに補助が出せなくなってしまう。それでつぶれてしまった地域の活動が泣きたくなるぐらいあると、地域の方々から聞かされます。確かに基準をクリアしていないかもしれないけれど、地域の中の顔の見える関係で責任もって乗り切るから地域でやらせてくれっていうのが本来の「分権」だったはずなのですけれど、残念ながら、国による画一的な基準でがっちり規定するということが起きているのです。

もちろん、一方的に国だけを責められないなと思う部分もあるのです。何か事故があったとき「これだから行政は…」というふうに、日本の場合はなるじゃないですか。以前、私がオランダに行っていた時のことですが、オランダには運河がいっぱいありますよね。ですがその運河の脇にはガードレールがないんですよ。それで夜中に歩いていると、暗い中でもう平気でちゃぽんちゃぽんって、人も車も自転車も落ちるんですよ。日本だったら、「役所は何をしているんだ!」「何でガードレールをつけないんだ!」ってなりますよね。それで人が亡くなりでもしようものなら、役所の責任がまず問われるでしょう。だけどオランダが興味深いのは、ガードレールを設置したら景観が損なわれるし、親しんでいる水辺から距離ができてしまうと。そこはそれぞれの自己責任でいくべきだと。だけど、もし間違って水の中に落ちた時に死んでしまったら困るということで、小学校4~5年生ぐらいのときに、着衣水泳の授業が義務付けられているんです。洋服を着たまま落ちても死なない泳ぎ方を、必ず全員が必修で学ぶ。そこはちゃんと公費で教育として教えるわけですね。生き延びる術を。そういう公私の分担といいますか、これは公共の責任で、ここからは自己責任ということがすごくクリアなんです。



8_netherland1.JPG8_netherland2.JPG オランダでは景観を損なわないため運河のわきにガードレールがない。
公共の責任と自己責任がクリアに区別されている

これが日本だと事情はことなります。私が知っている一例を挙げると、山道を歩いていて木が突然折れて倒れてきて、怪我された方が出た。その木は国有林で、道路は県道だった。それで、国と県のどちらに責任があるのかが問題になったりするんですよね。けれども、それは国や県だけの責任なのかってこと自体も含めて、すごく難しいところですよね。一人一人が、自分たちで考えていこうという気持ちになることも必要だと思います。
いまの日本では、行政はある意味“守り”に入っているように感じることがあります。何かあって責められたら困ると。だから国としては、「基準を定めて、基準通り全国一律公平にやっています」とすることで、自分たちとしては責任をとるということですよね。だけど、逆にその基準から外れてしまったものに対しては、補助も出ないし事業としても開かない。基準に馴染まないところは、どんどん活動のための助成がなくなるというジレンマが起きるわけです。もうちょっと地域に力があれば、そこは自分たちで維持管理しますからっていうことになっていくと思うのですが。


“機能別”タテ割り社会に「ヨコ糸」を通し、縦横無尽の安心ネットを張る④に続きます

インタビュー・地域づくりへの提言

沼尾波子さん

1967年、千葉県生まれ。日本大学経済学部教授。専攻は財政学・地方財政論。日本地方財政学会理事、総務省過疎問題懇談会委員、東京都税制調査会委員などを歴任。慶應義塾大学大学院経済学研究科後期博士課程修了。学生時代に中国河南省に留学。都市と農村との生活水準のあまりのギャップに仰天しつつ、それぞれの地域特性を踏まえ、地域に根ざした人々の暮らしを支えられるような社会経済システムのあり方について考えるようになる。多様な地域があり、多様な人々が共存できる社会経済のあり方について、先駆的な地域づくりに取り組む地域への訪問を続け、地域の社会経済構造と自治体財政のあり方について研究・提言を続ける。主な著書に「交響する都市と農山村 対流型社会が生まれる」(農山漁村文化協会)など。

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