アナウンサーの情報をくわしく みなさんの元へ

NHKアナウンサー新人研修 講師の横顔に迫る① 「ニュース7」キャスターもつとめた瀧川剛史アナウンサーが見せた意外な一面

声とことばで命を守りたい
  • 2024年5月19日
  • 瀬田 宙大
  • アナウンス室/「ハートネットTV」担当

ことしのアナウンサー専門研修をひっぱるのは、昨年度まで「NHKニュース7」キャスターだった瀧川剛史アナウンサー。緊急報道や選挙報道を中心に担当しています。

研修初日。
緊張気味だった新人アナウンサーに向け、瀧川アナはこのようにあいさつをはじめました。

僕は2004年入局。もう、20年前になりますか。みなさんとまったく同じ教室で、同じように机を並べ、緊張しながら講師の話を聞いていました

そう言われて気づいた共通点に、新人らが笑顔を見せます。
そして、いつものおだやかな声で、このように続けました。

わたしたちの経験は、これまでの経験でしかありません。これからの時代を支える皆さんには、わたしたちがお伝えする内容をベースにして、新しいアナウンスメントを築いていってほしいと考えています。一方で、何十年と変わらぬ基礎やスキルもありますので、そのあたりもじっくりお伝えしますね。

新たな時代の伝え手への期待と、歴代のNHKアナウンサーが失敗や反省を繰り返しながら積み上げ、受け継いできたものへの敬意がこめられた言葉に、ふたたび新人アナウンサーの表情が引き締まりました。

話すのが苦手だった

瀧川アナはこの日、意外な一面を明かしました。

もともと人と話すのが苦手だった

きっかけは中学・高校時代、周囲から声が小さいと言われたこと。

「そうだったんだ」と、驚く講師陣

では、なぜアナウンサーになったのか?

きっかけは大学時代。ふるさと奈良をはなれ、東京の大学へ進学。コンプレックスを克服したいと、アナウンスメントに関するサークルに入ります。そこで、コミュニケーションに自信をつけ、ことばへの興味も深めていったといいます。

『その後はあれよあれよという間にNHKアナウンサーになった』と本人は言っていましたが、詳しく説明しなかったその「あれよという間」に、人に見せない努力があったのだろうなぁ、と勝手に思いを巡らせた私。先輩の生き方の一端に触れた思いがしました。

失敗も多かった初任地・京都
人の話を聞きに行くのに熱中

新人時代の瀧川アナ

NHKでの初任地は京都局。
関西地域の放送では、中継リポートを関西弁で行うこともある一方、ニュースは共通語。頭の切り替えは大変だったと振り返りました。

たくさん失敗もしたそうです。
ニュースのマイクをオンにするのを忘れ、無音でパクパクする姿が映し出されたこと。お祭りの中継で、そのにぎわいを「大混乱です」と思わず表現してしまい、局に帰ると、いつも一番優しい先輩から『君が一番大混乱だったね』ときびしいツッコミを受けたこと。今からは想像できないような思い出が紹介されました。

また、伝統産業や地域経済に関心が強く、取材に没頭。過疎の問題を取材していた際には、遠く、いくつもの県に足を運び、局を離れることも多かったといいます。

京都局時代ディレクターとしてロケに参加する瀧川アナ

≪NHKアナウンサーあるある≫

「テレビに出ていない時は何をしているんですか?」と視聴者や取材先のみなさんからよく聞かれますが、瀧川アナが紹介したように自ら取材し、中継やリポート、番組などの企画書を制作。提案が採択されれば放送に向けてロケや編集を。また、放送でお伝えする内容をしっかりと理解するための下調べや取材、放送で使用する資料づくりなどを行っています。こうした取材を行うことが、NHKのアナウンサーの仕事の基本でもあるんです。

「田んぼに足を入れる冷たさ」
感覚にまで思いを寄せて

瀧川アナはその後、2007年に沖縄へ異動。
当時、先輩のアナウンサーに、よくニュースを読む特訓をつけてもらっていたといいます。

ある日、石垣島で子どもたちが行った田植えのニュースの原稿について、こんなアドバイスがありました。

瀧川は、田んぼに足を入れる冷たさを感じながら読んでいるか?

この言葉に、ハッとしたといいます。
感覚にまで思いを至らせてこそ、聞く人に届くニュースになるのかと。

ひとつひとつのニュースを的確に伝えるためには、背景を理解することはもちろん、思いや感覚にもしっかりと心を寄せることが重要だと学んだといいます。

命を守るために

東京に異動したのは2011年、東日本大震災が起きる少し前のことでした。

みなさんの命を守るためには、もっと力をつけなければ…

当時、自分の力量を冷静に見つめ、もっと研さんを積まなければいけないと感じたといいます。

ことしの新人の中にも、東日本大震災がきっかけのひとつとなってアナウンサーを目指したという人がいます。その自己紹介を聞いていた瀧川アナウンサー、質問を重ねます。

瀧川剛史アナ

東日本大震災の時は小学生くらいですか?

中林彩乃アナ

そうですね。私は当時、東京の家で一人で留守番をしている時に地震が起きました。

そのとき、アナウンサーにどんな印象を覚えたんですか?

わたしは避難訓練で習ったように、机の下にもぐり、情報が欲しいと思ってテレビをつけました。とても心細かったんですが、アナウンサーが画面に映し出されているだけでまず一人じゃないと感じられました。その時の呼びかけ、強い言葉ではありましたが心配しているからこその声の強さに、不安が和らいだのを覚えています。

私も中学生の時に起きた阪神・淡路大震災でテレビを見て、すごく安心した経験があり、アナウンサーっていいなと思ったので、同じような体験ですね。緊急報道の研修もたくさんあるので、大切な生命を守るために一緒に頑張りましょう。

NHKは災害対策基本法で報道機関として唯一、指定公共機関に定められています。防災・減災報道はわたしたちの最大の使命の一つです。この会話を静かに聞いていた新人アナウンサーたち。自分が選んだ仕事の意義について、改めてかみしめているようでした。

瀧川アナから
新人アナウンサーへ

東日本大震災の経験から、NHKのアナウンサーは「命を守る呼びかけ」などを考え続けてきました。
新人の皆さんには、いざというときにこそ頼りにされるアナウンサーに育ってほしい。
いまそれぞれが抱く志を大切に、プロとしての第一歩を踏み出してもらいたいと思います。
全力で応援していきます!

次回は廣瀬アナ!

講師陣の横顔を紹介するシリーズ。
次回は、「研修中に同期のタッキーのすきをみつけたい」と話す廣瀬智美アナウンサーと新人アナウンサーのやりとりをご紹介します。

瀬田 宙大

アナウンス室/「ハートネットTV」担当

●2006年入局
【長崎→静岡→東京→北海道→東京】
●「あさイチ」リポーター、「ほっとニュース北海道」キャスターなどを経て、現在は「ハートネットTV」月間特集や私のリカバリー(月~水 Eテレ夜8時)や、「家族になろうよ~犬と猫と私たちの未来~」の≪司会≫などを担当しています
●ホームページ編集部としてNHKアナウンサーの情報をみなさまにお届けします

ほかのおすすめ記事

      ページトップに戻る