東日本震災13年 3.11ラジオで伝えたメッセージ
- 2024年03月18日
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から13年。福島県から山形県米沢市に避難し、ラジオ局でパーソナリティーを務めている大矢真実さん。パーソナリティーとして3.11に伝えたメッセージとは。
時刻は、お昼の12時を回りました。今日のメッセージテーマ「雑誌あれこれ」としております。
山形県置賜地域のラジオ番組でパーソナリティーを務めている大矢真実さんです。
週3日、午前11時から3時間、地域の情報などを伝えています。
大矢さんは福島県郡山市に住んでいました。
震災による大きな被害はありませんでしたが、当時、妊娠6か月でした。
当時おなかに子どももいて、何も情報源がない。どうしたらいいっていうのがなかったので、私はずっと原発事故のことが不安でしょうがなかった。
震災の4か月後、男の子を出産。
そして、大矢さんは米沢市に避難することを決意しました。
避難した時、夫が仕事の都合で郡山市に残ったため大矢さんは1人で子育てをすることになりました。
知り合いもいない見知らぬ土地。
大矢さんは “孤独” を感じていました。
やっぱり家族で一緒にいられないっていうのは、夫婦で思ったようなコミュニケーションが図れないというのがすごくあったので、それはちょっとつらいところでした。
子どもが小学校に入学したとき、ラジオパーソナリティーという仕事に出会いました。
すごく面白そうだなと思って応募させていただいて、アシスタントをさせていただいたあとに、パーソナリティーの面接を受けてみませんかというふうに、だいぶたってからお声がけをいただいた。
震災から13年、ことしの3月11日 。
大矢さんにとっては特別な日の放送です。
テーマは “伝える3.11”。
さて皆さんからもメッセージ続々と届いております。こちらご紹介しましょう。
13年前に起きた大震災と原発事故について、忘れることと無関心が一番怖いです。自然の破壊力はすごいですが、人間の再生力も強いところも見せつけましょう。
そうですね。人間の手を取り合う力っていうのを見せつけていきたいですよね。
番組の最後。
大矢さんが “伝えたい3.11” とは “孤独ではない” というメッセージでした。
私自身、原発の事故から逃れるように米沢へ母子避難をしたものの、津波の被害を受けたわけでもない。また、家屋が倒壊したわけでもない。そんな自分が地震のことを語るのはどうなのかなとどこか思っていましたが、それぞれの場所でそれぞれに受けた被害、また当時の心の内などを教訓として、子どもたちに次の世代に伝えていくということが大切なのだと思い始めました。きっと私のように自分なんかが語っちゃいけないんじゃないかなと思ってる方いらっしゃるかもしれません。東日本大震災から13年がたった今、みなさんもご家族やお友達同士でまず当時の気持ちなどをシェアしてみてはいかがでしょうか。
放送を終えた大矢さんは地域の追悼行事に初めて参加しました。
もう一歩踏み出そうという思いからでした。
ふるさとを離れる葛藤、そして、孤独を抱えた日々。
大矢さんは “多くの人に寄り添うような番組を作っていきたい” と誓いました。
今振り返ると当時、どんな思いで個人で避難してきたかとか、思い出すと泣いてしまうんですけど、やっぱりつらいことは忘れたいみたいなところがすごくあった。でも一人だけじゃなくて、たくさんの人とともに黙とうをささげられたっていうことは、何だかちょっと、気持ちが楽になった。震災だけじゃなくて、心が傷ついてるというか、重荷を持ってる方ってたくさんいると思うんですね。避難をしてきた当時の私もそういったところがあったなと、今振り返ると思います。そういう方たちの心にちょっとでも明るさを差し込めるような、明かりをともせるような、そんなラジオパーソナリティーになって、仕事をしていければなと思っています。
【放送後記】
県内の避難者の人数は2月1日時点で1214人。
避難してきている人のうち
▼福島県からが1123人と最も多く、
▼宮城県からが86人、
▼岩手県からが2人などとなっています。
受け入れている市町村別では
▽山形市が400人、
▽米沢市が314人、
▽鶴岡市が85人などとなっています。
米沢市には震災直後におよそ4000人が避難してきましたが、避難元に戻ったり米沢市に定住を決めるなどして、10分の1以下になりました。
米沢市の避難者支援センターは今も相談員が避難者を訪ね、暮らしの状況などを確認しているということです。
13年という時間がたった今も、大矢さんのように孤独感を抱えている人や心に重荷を背負っている人がいます。今後も地域の支援をどのように継続していくか、考えていく必要があると感じました。
【動画はこちら】