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患者に”代わって”語り継ぐイタイイタイ病

証言イタイイタイ病
  • 2023年10月31日

NHK富山アナウンサーの岩﨑果歩です。
みなさん「イタイイタイ病」についてどれくらい知っていますか?
私は富山に赴任するまでは、歴史の教科書で学んだ「四大公害病の一つ」「『痛い痛い』と患者が言っていたためこの病名がついた」という認識ほどしかありませんでした。

1968年に全国で初めて公害病に認定されたイタイイタイ病。ことしは、その認定から55年です。
しかし去年8月、イタイイタイ病患者として新たに認定された人もいるなど
いまだに苦しむ人が存在します。そしてそれと同時に記憶の風化も懸念されます。

こうしたなか、ひとりでも多くの人にイタイイタイ病患者の”本当の痛み”を知ってほしいと
患者の生前の証言を語り継いでいる女性がいます。
私岩﨑が、今の時代にイタイイタイ病の教訓をどう生かしていけばいいのか、話を聞いてきました。

放送はこちら↓(2023年10月31日放送)

イタイイタイ病とは

骨がもろくなり、激しい痛みで患者が泣き叫ぶ声から名前がついた「イタイイタイ病」。
富山県富山市の神通川流域で、この病が多く現れ始めたのは大正時代でした。
原因は、岐阜県飛騨市の神岡鉱山から川に流されたカドミウムです。
下流の神通川流域の人たちは長年、カドミウムに汚染された水を飲んだり、その水を使って育った米を食べたりして、体内にカドミウムが蓄積。はじめは腎臓障害が出て、しだいに骨がもろくなり、
耐えることができないほどの激痛に苦しめられました。

痛みに苦しむ当時の患者の姿

富山県が初めて患者を認定したのは1967年です。
2023年10月末時点で201人がイタイイタイ病患者として認定されました。
しかし、イタイイタイ病は明治末期から発生していて実際の患者はもっと多く存在します。

”ひとりがたり”をする女性

「あーいたたたたたた!まるで針で刺すようにチクチクチクチク。
体の全身が響くがですよ。」

富山県高岡市にある公民館で、イタイイタイ病患者に”代わって”公害の痛みや苦しみを語る女性がいました。

富山県入善町在住の金澤敏子さんです。
2021年からひとりがたりを始め、2023年10月までに県内30か所を巡りました。

金澤さんが語るのは、イタイイタイ病患者だった小松みよさんの人生です。
小松さんは33歳でイタイイタイ病になり、66年の生涯のうちの半分をイタイイタイ病と闘いました。そんな小松さんの生前の発言を、金澤さんが富山弁で語ります。

「これ私。私の身長ね30センチも小ちゃなったが。
くしゃみをしたり起き上がろうとしたりしたら、
体の骨がポキンと折れるがですよ。」
「冬なんかちらちらちらって雪が降ってくるでしょう。
みんな寝静まってから私、四つんばいになってはって行って玄関の戸を開けて外へ行って。
凍死しようかなって何回も何回も思いました。」

ひとりがたりの原点

金澤さんは1970年、地元民放にアナウンサーとして入社しました。

岩﨑アナ

入社当時はイタイイタイ病の動きというのはどういう状況だったのですか?

金澤さん

ちょうど裁判が始まった時だったので、局内では毎日のようにイタイイタイ病に関するニュースが流れていました。患者さんたちが声を上げて辛抱強く闘っていたことは、いつもすごいことだ、勝ってほしい勝ってほしいと思っていました。

岩﨑アナ

小松みよさんのことは、どういう方だとご覧になっていましたか?

金澤さん

とてもりんとした方で「私の病気はこういう病気なんです、こんな時にこんなことがありました」と患者さんの実態を自分の言葉で語れたというのは、小松みよさんが一番大きかったですね。

小松さんに直接会うことはできなかったと言いますが、
30代でディレクターに転身してからはイタイイタイ病の番組を制作し、退職後も研究を続けてきました。

岩﨑アナ

金澤さんは、なぜそこまでして小松さんの人生を語ろうと思ったのですか?

金澤さん

ディレクターをしている時に、知ったからには伝えたいという思いがありました。
その気持ちは今もあって、いろいろなことで被害を受けている人たちがいて、
その被害を誰にも言えなくて苦しい思いをしている人たちを知ったら、
その気持ちや痛みを知ったら私が代わりになって伝えたいというのが原点なんです。
だからみよさんのことは、私が生きている限り伝えたいと思っています。

いわれなき苦難を知ってほしい

岩﨑アナ

小松さんのどんな痛みを伝えようと思ってひとりがたりをしているんですか?

金澤さん

みよさんは若くしてイタイイタイ病になって大好きな田んぼで働くこともできなく
なった、子育てもできなくなった、人生を壊されてしまったんですよ。

金澤さん

みよさんはいつも子どもの一郎ちゃんのことを思うんですね。自分が病気になったばっかりに一郎には私の世話をさせてしまったって、本当は外へ出て友達といっぱい遊びたかったろうけども遊ぶこともできんかった。「私ら何にも悪いことしとらん」てみよさんたち患者は言うんですね。このいわれなき苦難を決して忘れないでほしい、知ってほしいと思います。

”全面解決”から10年

被害者団体と原因企業が、問題が“全面的に解決した”とする合意書に調印してからまもなく10年です。国の救済の対象となっていない腎臓に障害の出た患者に原因企業が一時金を支払うことで合意に至りました。

2022年8月に患者に認定された女性(当時91)

しかし今も、新たにイタイイタイ病患者として認定される人がいるほか、
将来イタイイタイ病になる可能性を否定できない「要観察者」と判定される人もいるなど、
いまだに苦しむ人は存在します。

10年前、合意書に調印した際の新聞記事
金澤さん

こういうふうに「イタイイタイ病 決着」と出ると、富山県民のみなさんはイタイイタイ病終わったんだと思うかもしれないですが、患者さんはいらっしゃるし、終わってはいない、だから風化させてはいけない。まだまだ語り継いでいかなければならないし、学んでいかなければならないと思いますね。

命の価値を改めて問う

岩﨑アナ

金澤さんが考える公害とは何だと思いますか?

金澤さん

公害は人間が人間を押しつぶすものなんですよ。人間じゃないっていうふうに人間らしい生活ができないんですよ。人間を押しつぶして人間でない生き方を強要するんですよ、させてしまうんですよ。

岩﨑アナ

イタイイタイ病だけではなく、例えばここ最近でも人間が人間を押しつぶしているような事例は?

いっぱいあるでしょうよ。いじめもあるでしょ、戦争もあるでしょ。
今見てくださいよ、いっぱい世界中にあるじゃないですか。
イタイイタイ病がこの富山県にあって何百人っていう人たちが苦しんできたその声を、実態を、真相を知ることから、やっぱり命って大事だよね。命ほど尊いものはないよねってことを知ってほしいと思います。

イタイイタイ病をめぐっては、再び公害が発生しないよう、今も毎年、被害者団体が原因企業への立ち入り調査を行っています。
今回金澤さんの活動に触れて、私たちもこの出来事を決して忘れず、公害によって人生を奪われる痛み、苦しみを次の世代に伝えていくことが、多くの患者さんの願いでもあるのではないかと感じました。

  • 岩﨑果歩

    アナウンサー

    岩﨑果歩

    ニュース富山人キャスター

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