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徳島 殺人事件遺族 被害者支援の意志つなぐ文庫

  • 2023年07月31日

    穏やかに微笑む女性。松本千鶴さんです。
    2011年、殺人事件で36歳の若さで命を奪われました。
    徳島の被害者支援センターには千鶴さんの名前がついた本棚があります。 
    そこに込められた思いを取材しました。 
    (徳島放送局・記者 北城奏子)

    支援センターの一角にある本棚

    徳島市にある被害者支援センター。その一角に本棚はあります。 

    名前は『千の風文庫』。
    被害者や加害者の心理、それに裁判の手続きなどに関する専門書や小説およそ160冊が並んでいて、犯罪の被害に遭った人や被害者支援に関わる人たちのために利用されています。

     この本棚を設置したのが、徳島市に住む清家政明さん(75)です。

    12年前の事件 

    清家さんの長女の千鶴さん(当時36)は、12年前の2011年・3月、薬剤師として勤務していた京都市の薬局で、同僚に刃物で刺され殺害されました。
    千鶴さんは徳島県内の高校を卒業後、進学で京都へ。事件当時は関西で薬剤師としてのキャリアを着実に積んでいた時期でした。

    千鶴さんの夫から連絡を受けて急いで京都に向かい、地元の警察署の刑事課長から事件の詳細を知らされました。
    信じられない思いで事実を受け止める一方、“なぜ、娘が命を奪われたのか?” 強い思いが芽生えたといいます。 

    (清家政明さん)
    「なぜ殺されなくてはいけないのか。部下をいじめるような性格の人間でもないし、よく気がついていろいろ世話する人間だったから、どうしてか、よく分からないというのが疑問符ですよね」

    事件が起きたのは3月12日、東日本大震災の翌日でした。
    この日の朝も、千鶴さんから、県外に出かける予定の父を心配するメールが送られていました。 

    事件についてまとめた手記より

    (千鶴さんから送られたメール)
    『出来たら日を改められませんか?ばあちゃんや母上も心配するよ。もちろん私も。頼みます』

     同じく薬剤師だった夫と一緒に、薬を集めて被災地へボランティアに行く計画も立てていました。 

    娘がなぜ・・・

    学生時代の千鶴さん

     家族思いで、周囲への気遣いも忘れなかった千鶴さん。

     同僚の被告は「恨みがあったわけではない、誰でもよかった」と逮捕後の調べで供述したといいます。

     なぜ娘は殺害されたのか。
     事件から5か月後、祈るような思いで待ち望んでいた被告の起訴が決まりました。
     清家さんは、『被害者参加制度』を使って被告に裁判で直接たずね、裁判員に思いを伝えることにしました。
     裁判に向けて「刑事裁判」や「犯罪被害者」など、関係しそうな言葉が入った書籍をインターネットで検索したり、出張で都市部に行った時に大きな書店を訪れ、片っ端からタイトルを見たりしながら1冊でも多くの本を集め、読み込んだといいます。 それは、娘の無念を晴らすための、父親としての闘いでした。

    (清家政明さん)
    「(自分は)当時60歳そこそこですから、自分の人生がそれ(事件)で潰れてしまっていいのかという気はありました。娘のことを思ってどう生きるか。もう潰れてしまうのか、なにくそで頑張るか、どっちに行きたいのか。それだったらどうにかして、いろいろ勉強して分かってやらないといかんなっていう気のほうが強かったですね。自分の性格としては潰れてしまうほうの人間だろうなと思っていたんですけれど、これだけは外を向いて頑張るんやという気ができた。
    娘の無念を晴らすのがやっぱりメインですから。とことん追及しないといけないのではないかと」

    裁判では清家さんの妻が、「犯人を絶対に許すことができない」という思いを伝え、厳罰を求めました。

    そして事件から1年、被告に無期懲役が言い渡されました。 

    心境の変化

    被害者参加制度で娘の裁判に関わった清家さん。
    裁判を終え、ある心境の変化がありました。
    自分が必死に集めた本を、被害者支援センターに寄付することを決めました。

    (清家政明さん)
    「被害者支援センターに置かせてもらえたら、また役に立つ場面もあるかなと。やっぱり一からデータを集めるというのは大変ですから。誰かまた目を通す人が、必要のある人が出てくるかも分からない。相談しに来た人たちに、『こんなよく似たものがありますよ』とか『そもそも被害者はこれぐらいのことはやれるんですよ』という話の資料として使えるんじゃないかということで、センターにお預けしました 」

    そして5年前の2018年。
    千鶴さんの名前から文字をとった、「千の風文庫」ができました。

    支援の思いは未来の担い手へ

     いま、本を読んでいるのは、将来、被害者支援に携わる可能性がある臨床心理を学ぶ学生たちです。 

    この日、支援センターを訪れた清家さんは、遺族の思いを学生に伝えました。

    (清家さん)
    「なにくそと、娘のためにと、裁判に向かっていかなくてはいけない。どうにかして極刑に、死刑を求刑してもらえませんかみたいなやり取りがあったりしました。被害者としたらやっぱり、やった以上は自分も同じ目になってほしいなという気はありますね。被害者遺族であればやっぱり元に戻して欲しいというのがベースにある。(娘は)当時30歳半ばだったのが今だったら50歳前で、その後の人生を見られたか見られないかというのは大きい」

    清家さんの話は学生たちの胸にも強く響きました。 

    (大学生)
    「自分が想像していたよりも清家さんのいろいろな思いがあって、この『千の風文庫』が出来たんだなとすごく感じられました」

    (大学院生)
    「犯罪の被害者の支援に携わりたいと思っています。被害者になった人に会うこと自体が初めてで、現場に出てからどういう知識が必要で、被害者がどういう立場なのかを理解するには(文庫は)すごく役に立つと思います」

    清家さんは、被害者や遺族の思いが少しでも伝わってほしいと願っています。

    (清家さん)
    「被害者支援がごく普通のことであるという認識を皆さんが持ってもらえれば、被害者というのは特別な人間ではなく誰でもなり得る可能性がある。だから、もっと被害者のことを分かってあげないといけないし、自分がもしもなったときは、どうすればいいかという心構えも作って欲しい。 
    『千の風文庫』が冷たい風を出すのか、暖かい風を出すのか楽しみです。文庫を見た結果、どういうことが自分の中で芽生えてきたか、人それぞれとは思いますが、これがいい方向へ風が吹いてくれればいい。台風みたいな強い風ではなく、心地よいそよ風になってくれたら、それが一番いいんじゃないかと思います」

    娘を失った遺族と未来の被害者支援の担い手。
    託した思いは、この文庫を通して少しずつ広がっています。

    【取材後記】
     『千の風文庫』の設置から5年、清家さんの思いを知って新たに本の寄贈を申し出る人もいます。清家さんは「娘の裁判から10年以上がたつなか、新しい本も加えて文庫が続いていってほしい」と取材中に話していました。 
     最愛の娘の命を理不尽に奪われた遺族の悲しみを完全に理解することはできないかもしれません。しかし、少しでも清家さんの思いが広がり、犯罪の被害者が1人でも減ることを願いながら今後も被害者支援について取材していきたいと思います。

      • 北城奏子

        徳島放送局・記者

        北城奏子

        2018年入局
        徳島局では警察や裁判取材を長く担当

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