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徳島とウクライナをつなぐ阿波和紙 祈りの物語

  • 2023年06月16日

徳島県で作られる「阿波和紙」が今年、ウクライナに渡った。西部の町、リビウにある公文書館へ無償で寄贈されたのだ。戦争で国のアイデンティティーが脅かされる中、急務となっている古文書の修復に使われる。

和紙工場 工場長
「平和じゃないと使われない和紙が
ウクライナで使われる」

公文書館 館長
「この古文書を守らなければ、
私たちは過去にも未来にも
存在しないものになってしまう」

遠く離れたふたつの地をつなぐ、祈りの物語を追った。

阿波和紙の起源は1300年前

阿波和紙の里、吉野川市山川町。紙すきを生業とする家が最盛期には200を数えた。その起源はおよそ1300年前にさかのぼる。

朝廷に仕えた忌部族(いんべぞく)がこの地に原料のコウゾや麻を植えたのだ。人々はそこに〝共存共栄〟の願いを込めたとされている。

1300年前に生まれた伝統を今に残すのは、たった一軒の工場だ。

職人の手で生み出される 世界に2つとない紙

阿波和紙を生むのは、コウゾの皮を煮詰めて取り出す細長く丈夫な繊維。人の手で1本1本、細かな不純物をとりのぞいていく。

熟練の手さばきで繊維を薄く均質に延ばし、紙に仕上げる。最も薄いものだとわずか0.02ミリ。この地で受け継がれる技が、世界に二つとない紙を生む。

アメリカがつないだ 徳島とウクライナの縁

アメリカでは、阿波和紙が質の高い印刷用紙として大人気だ。

ワシントン在住のローガンさん。趣味の写真で阿波和紙の存在を知り、ウクライナの公文書館とつないだ人物だ。

私は学者としてウクライナの公文書館とつきあいがあるんです。阿波和紙はアメリカでは代表的なブランド品なんですよ。

ローガンさんから静岡県立大学の特任教授らを通じて届いた、ウクライナからの依頼。工場長の中島茂之(なかしま・しげゆき)さんはそのつながりから、和紙のあり方を見つめ直したいと考えていた。

去年7月、外務省を介して届いた注文。1年分の修復作業に必要な8500枚を、無償でウクライナに提供した。額にして260万円。徳島県と分担し、半額以上を工場が負担した。

阿波和紙工場 工場長 中島茂之さん

二つ返事で何か協力させてくださいと。和紙がウクライナで古文書の修復に使われるんという驚きと、ちょっと皮肉な思いがありました。

和紙は本当に 必要な存在なのか

工場長を務めて3年。中島さんには頭を悩ませていることがあった。
和紙づくりの魅力を次の世代にどう伝えていくかだ。

工場には伝統産業に興味を抱き、県外から飛び込む若者も少なくない。しかし、その多くがすぐに離職。定着するのはごく一部だけ。中島さんは若者たちに積極的に声をかける。

一人暮らしが一番大変なんちゃう?

そうですね、移住してきてやっとそっちの生活にも仕事にもなれたかなって。

楽しく感じてもらってるかなっていうのって、ぼくも全然まだまだやし、気になるんですよね。

そして、中島さん自らもある葛藤を抱えていた。

和紙って必要なんだろうかって。何か役に立つことがあるのかなって考えたら、あんまり役に立たないだろうなと。

葛藤を抱くようになったきっかけは、工場を継いだ直後に起きた新型コロナのパンデミック。国内外からの注文が一切途絶えた。

それまで社会情勢に影響されることは一度もなかった和紙工場。初めての危機に、従業員を休業させるなどして耐えながら、和紙にできることを必死に探した。

せめて〝平和を祈る〟力になりたい。

折り鶴作品で有名な美術家と共に阿波和紙で鶴を折り、コロナの収束を願う活動を始めた。去年の仕事初めには、従業員全員で折り鶴に祈りを込めた。――――しかし、待っていたのは、パンデミックの中で始まった戦争だった。

自分の仕事の価値、世の中に提供できる価値って何かなと。困ったなって、何もできません、そういうふうに思いましたね。

戦地から届いた声

阿波和紙を求める声がウクライナ西部の街リビウから届いたのは、そんな時だった。

リビウは激戦地からは遠いが、空襲警報は数日おきに鳴り響く。3月には近郊にミサイルが落ち、複数の死傷者が出た。そんな街にあるのが、ウクライナで最も歴史の古い公文書館。100万点以上におよぶ歴史資料、900年にわたる国の歩みが残されている。

12世紀初頭の手紙
1596年、ウクライナの地に東方カトリック教会が生まれるきっかけになった資料

私たち公文書館スタッフの肩には、戦争前よりもはるかに大きな責任がかかっているのです。

戦時下で急がれるのが、傷みが進む古文書の修復。市民から貸し出しの希望や歴史の問合せが増えたという。しかし、従来使っていた紙は、戦争で入手できなくなった。

そんなとき、知人であるアメリカ人の学者に紹介されたのが「阿波和紙」だった。

こんな上質な紙を見たのは初めて。

リビウにこんな紙を持っている人は誰もいない。ウクライナ中を探してもいないと思う。

従来使っていた紙よりも薄くて丈夫な阿波和紙によって、修復の仕上がりも向上したという。補強のため、液体のりを塗って紙を貼る工程で、阿波和紙は水に強く形が崩れないからだ。

古文書はウクライナ人の過去・現在・未来をつなぐもの。これらを守らなければ私たちは過去にも未来にも存在しないものになってしまう。

徳島とウクライナ 両者をつなぐ心の交流

2023年4月。徳島の和紙工場とウクライナの公文書館を直接つないで意見交換を初めて行うことになった。中島さんは若手たちを同席させた。

私たちって何の役に立つんだろうって本当に考えたことがあって。

やっぱり平和じゃなかったら、世界も僕らも生活的にも回らない。

爆弾がとんでくるような時代なんて、なかなか想像を絶するもんやろうと。

僕らが送った和紙っていうのはなんかちょっと違って使いづらくないですか?

和紙を使うことで修復にかかる時間が大幅に短縮され、仕上がりも格段によくなりました。

上質な和紙を使うことで、仕事の楽しみが増えました。

私たちはこの和紙を、単なる紙ではなく、日本の何世紀にも及ぶ伝統文化を贈っていただいたと感じています。

和紙がどのように作られているのか、映像はありませんか?

これが今皆さんが使っていただいている和紙の原料となる「コウゾ」です。

当初予定していた1時間を大幅に超え、ミーティングは続いた。

いまウクライナでは大変な状況にあると思うんですが、その中でどういう使命感でお仕事をされているのでしょうか。

もう1年以上、ストレスを受け続けながら生活しています。民間人は誰ひとり、こんな戦争が起きるなんて思っていませんでした。頭の上にミサイルが飛んでくるのは、とても恐ろしいです。この恐怖を私たちは何度も味わってきました。

日本人が昔からずっと続けていることで、紙を使って平和を祈るっていう文化があります。それが折り紙で鶴を折るこの折り鶴です。

どうもありがとうございます。私たちは強く決して壊れない国です。ウクライナに栄光あれ。

公文書を直さなきゃいけない、守らなきゃいけないっていう熱意が伝わってきて、そこまで自分の使命を持って仕事ができるといいなと。

伝統のものを未来に受け継ぐっていうのは、ちょっと似通っている部分があるのかな。

未来へ 和紙で平和を伝えていく

中島さんには父親になって初めて実感したことがある。娘が阿波和紙と共に、平和な未来を生きてほしいという願いだ。

何か自分中心の未来から、子どもの未来を考えるみたいに変わりました。

コロナ禍からの3年は仕事の意味を見失うばかりの日々。それでも娘は、和紙で遊ぶのが大好きな子に育っていた。

必要がなくなれば、和紙なんてこの世の中からなくなっちゃう。祈ったり願ったりすることはなにかにつながるんですよね。

一方、公文書館の館長、ステファニクさんにも未来への願いがある。

リビウはとても美しい街です。私の子ども時代、青春時代の街です。ここ以外での人生は想像できません。この聖堂で、私の結婚式をあげたんですよ。戦争が終わったら日本の新たな友人たちをリビウに招待して、この美しい街をみてもらいたい。

ウクライナから届く声は阿波和紙職人たちの未来への道しるべとなっている。

公文書館との打合せに参加した伊藤智子さんは、新たな挑戦を始めた。阿波和紙を藍に染める伝統の技、その数少ない職人に弟子入りしたのである。

ウクライナの公文書館の方たちから、自分たちが歴史を守らなければいけないという強い意志を感じた。大事な伝統は残していかないといけない。自分も熱意持って仕事に取り組んでいきたい。

コロナ禍が収束に向かい、工場に再び活気が戻ってきた。

工場を訪ねる県外からの商談客も増え始めた。

日本人のアイデンティティーだと思うんですよね、和紙で平和を伝える。このアイデンティティーは形として残していくっていうのが、僕ら仕事をしている1つの使命かなって。

     ※より詳しく記載するため、内容の一部を7月17日に修正しました。

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