メインコンテンツへ移動

ミャンマー代表選手「亡命」の真実

「国に帰れば、殺される」

サッカーのミャンマー代表、ピエ・リアン・アウン選手が語ったことばです。彼は5月に来日したあと、軍への抗議の意思を示し、帰国を拒否しました。
日本に残るという大きな決断をしたのは、帰国便のチケットを受け取り、離陸が2時間後に迫ったギリギリのタイミング。
抗議と引き換えに、重い代償を背負うことになった1人の選手の、深い葛藤を追いました。

耳を疑った「情報」

「日本戦で、ミャンマー代表選手の1人が軍に抗議する」

5月27日、サッカーワールドカップアジア2次予選の日本対ミャンマー戦の前日。取材先から寄せられた情報に、私たちは耳を疑いました。

ミャンマーではことし2月のクーデター以降、軍による市民への弾圧が続いています。デモ隊に対して重火器を使ったケースもあり、現地の人権団体によると犠牲になった市民は900人近くに上ります。

こうした状況の中で代表選手が抗議すれば、身の危険は避けられない。実際に抗議するのか半信半疑だったものの、すぐに取材を始めました。

そして、翌日の試合開始前。

千葉市のスタジアムの外では、在日ミャンマー人たちが集会を開いていました。

「選手たちも、国民と一緒の立場に立ってほしい!」

訴えは、ミャンマー代表が試合をすることに反対するという内容でした。大勢の市民が犠牲になっている中、国際試合を行うことは軍の弾圧を黙認することになるという理由からです。

それでも、午後7時すぎ。
試合が無観客で始まり、キックオフの笛がスタジアムの外にも聞こえました。集会の参加者たちが解散し始めたそのとき、ミャンマー人の1人がスマートフォンを見せながら教えてくれました。

「1人の選手が3本指を立てた!」

スマートフォンに写っていたのは国歌斉唱の際、1人の選手が軍への抗議を示す3本の指を立てる画像。その選手こそが、前日に情報提供があった、控えゴールキーパーのピエ・リアン・アウン選手(27)だったのです。

試合後SNSで拡散した抗議のポーズ

スタジアム内で取材していたNHKのカメラクルーも、その瞬間を捉えていました。撮影したカメラマンによると、手を挙げる前からずっと震えているのが分かり、緊張が伝わってきたと言います。

“いまは大丈夫です”

試合は、10対0で日本が大勝。
その試合結果とともに、ピエ・リアン・アウン選手の抗議についてもニュースで放送すると、視聴者からは「彼は今後、大丈夫なのか」と心配する声が相次ぎました。

抗議の映像は、SNS上でも拡散。在日ミャンマー人、特に1988年のクーデターとその後の軍政を経験した人たちの間では「軍は彼を許すまい。早く助けなければ」と、彼の身の上を案じる声が広がりました。

試合翌日、私たちは選手への連絡を試みました。SNSを通じて「大丈夫ですか?」と。

驚いたことに、すぐに「いまは大丈夫です」と返事が来ました。
それ以来、選手の身の上に危害が及んでいないか、強制的に帰国させられないかなどを確認するのが私たちの日課となりました。込み入った話は支援者に通訳してもらいながら取材することにしました。

かいま見えた「覚悟」

みずからの行動について、どう思っているのか。

ミャンマー代表が次の試合のため大阪に移動してからも、ピエ・リアン・アウン選手とのやり取りは続けていたものの、ことばの壁もあり、本心はなかなか見えてきません。

すると、日本戦からおよそ1週間後の6月3日。正式にインタビューを受けたいと、支援者を通じて連絡が来ました。抗議のニュースが母国や日本でも大きく伝えられる中、自分の気持ちをきちんと語らなければならないと感じたということでした。

翌日、オンラインのインタビューで、私たちは尋ねました。

なぜ身の危険を冒してまで、抗議に踏み切ったのか?

ピエ・リアン・アウン選手
ピエ・リアン・アウン選手
「軍は多くの国民を殺していて、国民は不当な迫害を受けています。しかし、今の状況では、目の前で誰かが殺されても、どこに通報したらいいか分からない。こうした状況を世界中の人に知ってもらいたかった」

彼自身もこれまで抗議デモに参加し、放水や催涙ガスを浴びたということでした。ワールドカップ予選に招集されたとき、軍に反対する気持ちから拒否する意向だったものの、ミャンマーサッカー連盟に説得され「チームに迷惑をかけられない」と、やむをえず参加を決めたと言います。。

選手は市民らと共にヤンゴンで抗議デモに参加していた(後列)

そして、自分たちに対し「軍によって派遣されたチーム」という批判が寄せられる中、市民との連帯をなんとか示したいと、来日前から軍に抗議することを決めていたと明かしました。

抗議のメッセージを確実に届けるための工夫もしていました。

ピエ・リアン・アウン選手
「会場に向かう途中で、立てる3本の指にメッセージを書くことを考えつきました。コーチたちに見つからないようボールペンを靴下の中に入れ、トイレの中で『WE NEED JUSTICE(われわれには正義が必要だ)』と書きました。不安でしたが、日本戦は高い注目を集めていたので、こんなチャンスは二度と来ないと思いました」
「チームメートや友達、そして家族に被害が及ばないかだけが心配ですが、自分がやったことは自分で責任を負うと決めています」

伝わってきたのは、抗議が衝動的な行動ではなく、強い覚悟に基づいたものだったということでした。

真に受けていいのか

たった1人の抗議は、チーム内でどう受け止められたのか。

ピエ・リアン・アウン選手は試合後、代表チームの幹部に呼ばれたものの、非難や叱責されることはなかったと言います。代わりにかけられたのは「何も心配せず、日本での残り2試合に集中するように」ということば。

ただ、それをどこまで真に受けていいのか。

私たちが感じた不安を、彼も口にしました。

ピエ・リアン・アウン選手
「ミャンマーに帰国したら、軍は私を空港で逮捕することもできます。その場で逮捕しなくても猶予を与え、1~2週間してから逮捕しに来ることもありうる」

では今後、どうするつもりなのか?

「今は試合のことだけに集中しています。残りの試合が終わってから決めたい」

まずは代表チームの一員としての義務を、最優先させたい。そう強調する彼の身の上を案じながら、その日のインタビューは終わりました。

固まった「亡命」の決意

それから10日がたった6月14日。
日本での最後の試合を翌日に控え、「もう一度時間をもらえませんか」とピエ・リアン・アウン選手から突然連絡があり、2回目のインタビューが慌ただしく始まりました。

その中で、ミャンマーに帰国することへの危機感が高まったのを私たちは感じました。軍の影が迫っていたのです。

ピエ・リアン・アウン選手
「数日前に軍が私の実家まで調査にやってきたそうです。彼らは目的を言いませんでしたが、今のミャンマーでは、どれだけの保証があっても逮捕される可能性があります」

母国のサッカー連盟やチームのコーチからは「安全は保証する」と、ミャンマーに帰国するよう、連日にわたって説得されているということでした。

それでも、私たちが今後の希望について尋ねると、彼は日本に残りたいという意思をはっきり示しました。決意を促したのは、母国にいる知人だったと言います。

「知人から電話があり『絶対帰ってくるな、帰ってきたら死ぬぞ』と言われました。帰国すれば逮捕されるだろうと思っていましたが、今のミャンマーでは逮捕された人が翌日に遺体で見つかることもある。殺されると分かっていて帰国するのは、勇気があるというより、愚かではないでしょうか」

タイムリミットは24時間

6月15日。
ミャンマー代表の、日本での最終戦となったタジキスタンとの試合。会場内で撮影をしていたカメラマンから、ピエ・リアン・アウン選手のグローブに何か書かれていると、写真が送られてきました。

そこに写っていたのは「Pray For Myanmar(ミャンマーのために祈りを)」の文字。

これ以上の抗議活動はしないようにというチームの忠告を振り切り、再び無言の訴えを起こしたことで、チームから離脱するのは間違いないと、私たちは確信しました。

ミャンマー代表の帰国便は翌16日の午後11時50分。行動を起こすとしたら、試合が終わってからの24時間余りです。私たちはチームが宿泊している、大阪市内のホテルに向かいました。

午後11時前、試合を終えた選手たちがバスに乗って戻ってきました。ただホテルの周りには、新型コロナウイルスの感染対策としてチームが外部と接触しないよう、警備員など数十人が配置され、抜け出すのは極めて厳しい状況でした。

ピエ・リアン・アウン選手はこの夜、ホテルから逃げ出そうと試みましたが、コーチなどの監視が厳しく、断念。部屋から出るのも難しくなってしまいました。

そして、翌日も脱出の試みが再び失敗に終わったことで、このままチームと帰国しようと、諦めの気持ちに転じていました。

ピエ・リアン・アウン選手
「ホテルから脱出しようと試みましたが警備の人に捕まってしまい、支援者にも帰国することにしたと連絡しました。捕まったことがチームメートにも伝わりショックで、緊張して体じゅうが震えました」

出国直前の「翻意」

帰国当日の6月16日午後8時ごろ。
選手を乗せたバスが関西空港に向けて出発しました。ホテルの外では「彼から『帰国する』と連絡があった」と、在日ミャンマー人の支援者が悔しげな表情を浮かべていました。

それでも、空港の出国審査で帰国したくないと伝えれば、帰国を拒否できる可能性があるとのこと。私たちはバスを追って、急いで空港に向かいました。

空港に着くと、ピエ・リアン・アウン選手がちょうど出発ロビーに入るところでした。彼はここで、支援者に向かって手を合わせ、頭を下げるようなしぐさをしました。

そして、私たちの携帯に届いたメッセージには「i can not do anything(私にはなにもできない)」という文字。

さらに、「I’m very tired(とても疲れました)」と続き、彼がこのまま帰国するのは確実と見られました。

選手から届いたメッセージ

ミャンマー代表の選手たちが全員、手荷物検査場に入ったのを見届け、出発ロビーでぼう然としていたときでした。一緒にいた支援者のもとに「選手が出国審査で帰国を拒否した」という連絡が。

私たちは慌てて、彼を待ち受けました。

そして、日付が替わった午前0時すぎ。1人、通用口から出てきたピエ・リアン・アウン選手が、支援者と抱擁を交わしました。

それにしても、なぜ出国直前で「翻意」したのか。彼は次のように胸の内を明かしました。

ピエ・リアン・アウン選手
「空港でバスを降りたときは、自分も諦めていました。でも、荷物を預けてチケットをもらったあと、携帯電話で近しい人や多くの支援者から励ましのことばをもらい、『最後の最後まで頑張ろう』という気持ちになりました。出国審査のときに勇気を出して、英語で『ミャンマーに帰りたくない』という意思表示をしました」
選手が出国審査で見せた、帰国を拒むメッセージ。支援者が3か国語とローマ字で送った

日本から、祖国の力に

以来、ピエ・リアン・アウン選手は大阪の支援者のもとに身を寄せています。

そして6月22日、大阪出入国在留管理局に難民認定を申請。日本政府は、帰国すれば迫害を受けるおそれがあるとして難民に認定する方針で、具体的な手続きを進めています。
申請の直後、彼に話を聞くと、日本を拠点に、祖国の力になりたいという思いを明かしました。

選手が書き上げた難民認定申請書 「本国に戻ると軍に迫害を受けるおそれがある」と書いた
ピエ・リアン・アウン選手
「申請が終わってほっとしています。ただ、人の世話になってばかりではいられないので、申請が認められたら、サッカーができなかったとしても仕事がしたいです」
「ミャンマーは恋しいけれど、日本での生活もことばや文化の違いなどがあって大変です。これから努力して日本語も勉強して、またミャンマーの状況を発信していきたい」

ミャンマーでは、いまも厳しい状況が続いています。

大阪で難民認定を申請した同じ日、彼の故郷マンダレーでは軍の統治に抵抗した市民少なくとも2人が命を落としました。

対照的に、ひとまず安全地帯に逃げ込んだ形となったことに、ピエ・リアン・アウン選手は「申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と、罪悪感を口にしました。

本来、誇りを持って国を代表するはずの若く有望な選手が、なぜ祖国を捨てる形をとらなければならなかったのでしょうか。

抗議をせず、帰国することもできたはずです。ただ、毎日のように市民が軍に殺されるのを見てきた彼にとって、その選択こそが「祖国を捨てる」ことにほかならなかったのかもしれません。

日本はミャンマーに、欧米諸国にはない政治的な「独自のパイプ」を持つとされ、経済的には多くの日系企業が進出しています。現地の人たちも親日的なことで知られますが、ピエ・リアン・アウン選手は「日本の人たちにも、ミャンマーに関心を持ってほしい」と呼びかけています。

これは決して、どこか遠くの国で起きている、私たちには関係のない出来事ではないはずです。

NHKでは連日のニュースを始め、NHKスペシャル『混迷ミャンマー 軍弾圧の闇に迫る』などの特集番組で現地の実態を伝えてきました。私たちは映像や情報の収集を続け、これからもクーデター後のミャンマー情勢について発信していきます。ミャンマーで今、何が起きているのか、下記のリンク先までぜひお寄せください。

情報提供はこちら

NHKではミャンマーの市民が撮影した映像や情報を募集し、クーデター後の弾圧の実態や市民たちの死の真相究明につなげていきます。(情報提供者や撮影者の安全に最大限配慮します)