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  • 2023年10月5日

渡辺謙の原点 東京・八幡山(世田谷区・杉並区)下積みから朝ドラ出演まで駆け抜けた8年

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大河ドラマ『べらぼう』(2025年放送)で田沼意次役を演じることが発表された俳優・渡辺謙さん。世界を舞台に活躍する渡辺さんの原点となった街が、19歳から8年間を過ごした東京・八幡山(世田谷区・杉並区)です。

劇団に所属しながら、生活のためにアルバイトをしていた下積み時代。俳優人生を歩まなかったかもしれないという意外なエピソードや、背水の陣で臨んだ舞台『ピサロ』での驚きの役作りなど、下積みから朝ドラ出演まで駆け抜けた八幡山での8年間についてうかがいました。

アルバイトをしながら劇団に通った日々

新宿から電車でおよそ15分。世田谷区と杉並区の間に位置する八幡山駅です。

渡辺さんはふるさとの新潟から上京しておよそ8年間をこの街で過ごしました。

八幡山に住んでいたころの渡辺さん

渡辺謙さん 
「19歳から住んでいました。本当に自分がまだ何者でもないというか、俳優の養成所に通っていますといっても全然俳優にはなってない状況から、朝ドラ(はね駒)に出演するぐらいまでの、非常にステップを登っていく段階をそこで過ごしたので、やっぱり思い出に残る街ですね」

八幡山に住むことを決めた理由には、自然に囲まれたふるさとでの暮らしが関係していました。

「僕、新潟の本当すごい田舎のほうの出身なので、やっぱり都会って結構ね、ドキドキするんですよ。

今から30~40年前ですから、八幡山はまだもっと田園風景というか、畑や空き地があったり、近くに芦花公園もあったりしたので、そういう意味では気後れしないで住めるというか。劇団の稽古場も新宿で、交通の便もすごくよかったので。

物件を探していて、お風呂があるかどうかは僕にとって大事なことだったんですね。帰ってくる時間がいろいろなので、銭湯に行くよりはやっぱりお風呂がないとだめってことで。

そしたら八幡山にいい物件があったんです。結構安くて。本当にワンルームの手狭なところだったんですけど、お風呂がついていました」

当時は主に劇団員として活動していた渡辺さん。決して生活は楽ではありませんでした。

「基本的には生活費を全部自分で出していたので、やっぱりその辺は結構シビアで。 
米だけは田舎から送ってくるんですよ、米とそうめんかな。米は炊いて、おにぎり握って劇団の養成所に持って行くんですよ。

すると、東京出身のやつって実家から通っているんで、金もっているんですよね。アルバイトした金が全部入るんで。で、そいつがおかずを買ってくれて、僕がおにぎりを2個渡して、トレードして食べるみたいな時期もありましたね。

お金がないので、バイトをずっとしていましたね。料理を作るのが好きだったので、喫茶店だったりとか、バーの調理場だったりとか、そういうところでバイトをしていました。

そういう意味では俳優になったというよりも、それ以外のことがいっぱいあったので、すごく時間もなかったし充足感もありましたよね」

より時給が高いアルバイトを求めて、都心の喫茶店やバーなどに働きに出ていた渡辺さん。店主に見込まれ、役者人生を左右しかねない意外な誘いを受けたこともあったといいます。

「赤坂のバーというかスナックの調理場をずっとやらせてもらって、そこのおやじさんがね、『ボルネオでホテルを任されるかもしれないから、お前一緒についてこないか』って言われて、うーん、そういう生き方も悪くないのかなって、ちょっと思っていて。

その時にたまたま山崎努さんに誘われて、『ピサロ』という芝居をやったんですね。

そのお芝居をやって、自分の中ですごく確かな、『あっ、これで俳優として生きていきたいな』っていう存在価値みたいな物を見いだせなかったら、ボルネオに行っていたかもしれないですね」

俳優人生をかけて臨んだ『ピサロ』

1985年、渡辺さんが25歳のとき、大きなチャンスが回ってきました。舞台『ピサロ』。16世紀にインカ帝国を征服した、スペインの将軍ピサロの物語です。渡辺さんは、ピサロに攻め滅ぼされるインカ帝国の王を演じました。

当時、「役者としてやっていく確信が持てなかった」渡辺さんにとって、俳優人生をかけて臨んだ作品でした。

1985年『ピサロ』PARCO劇場(左が渡辺さん)

「背水の陣みたいな、『これが駄目だったらやめてもいいかな』みたいな、その分、かけるものがあったというか、覚悟してやったというのがありました。

それで、かもしれないけれど、自分の中の可能性みたいなものを革新させるような、俳優としての生き方みたいなものをすごく教えていただいたような気がするんですね。

自分の中の核みたいなものがそこにできたので、よし、じゃあ次に来るものに対して自分は何ができるんだろうと。やっていく上での覚悟の持ち方みたいなのは明らかに変わりました」

渡辺さんにとって、そのころの特に思い出に残っている場所が駅から15分ほどのところにある「蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)」です。

「芦花公園」の愛称で知られ、園内では四季を通じてさまざまな植物を見ることができるほか、アスレチックやドッグランなどの施設もあります。

渡辺さんが芦花公園を訪れたのは、一風変わった理由からでした。

「『ピサロ』のお芝居をやったときに、当時まだ日焼けサロンとかそんなになかったんですよ。僕はインカの王様の役をやらなきゃいけなくて、肌の色をもうちょっと小麦色にしたいなというのがあって。

舞台上で着替えがあるんですよ、ふんどし一丁になって、要するに皇帝なので、自分では何もせず周りの人に着替えさせてもらうシーンがあったので。

こりゃ全身焼かにゃいかんのかと思って、芦花公園にいってパンツ1丁で焼いていたら、ちょっと変な人だと思われたみたいで、そんな思い出がありましたね」

役作りの工夫はほかにも…

「足の毛を全部そりました。毛があるときれいに見えないんですよ。当時は渋谷の劇場に通っていたんですけど、井の頭線に乗るときに、短パンをはいていたら、隣の人に見られて『こいつ、なんでつるつるなんだ』って言われました」

多忙な日々 八幡山に救われた

『ピサロ』での演技が高く評価された渡辺さん。26歳のとき、NHKの朝ドラ(連続テレビ小説)『はね駒(こんま)』に、斉藤由貴さんが演じるヒロインの夫の役どころで出演。さらに翌年には、大河ドラマ『独眼竜政宗』で主役の伊達政宗を演じ、俳優としての階段を駆け上がっていくことになります。

仕事が多忙になる中で、渡辺さんにとってリフレッシュの場になったのも八幡山でした。

「ラグビーが好きで、明治大学のラグビー場に、練習をよく見に行っていました。明治は今も強いんですけど、面白いラグビーをしていたので。

上の子どもが生まれていたので、芦花公園にも散歩に行きました。自然がいっぱいある場所だったので、そういう意味ではすごく救われましたね。 

電車に乗って20分すれば新宿もでられますし、都心までそんなに時間もかからないので東京の感覚ってあったんですけど、そこにいる分にはそんなにプレッシャーかからなかったんでしょうね。 だから家に戻ってくればなんとなくおだやかなっていう、そんな感じでしたね」

若手時代を支えた、八幡山。今や世界で活躍する俳優・渡辺謙さんにとって躍進のきっかけとなった街でした。

「八幡山にいて、最終的に朝ドラ、大河とつながっていくので、すごくこう弓をずっと引いていくみたいな、そういう時間だったような気がします。

かなり僕は駆け抜けちゃった感じはしますね。8年もいたので土地勘もあるし、たまに行くと、ああこんなになっているんだと思うんですけれど、やっぱりすごい駆け抜けた、疾走感がありましたよね。

ロケットの発射台みたいなものですよ、だから。バーンってロケット飛んで行くじゃないですか。僕にとってのそんな場所なのかもしれないですね」

俳優・渡辺謙さんの仕事の流儀をたっぷり紹介する番組が放送されます。 
大河ドラマ『独眼竜政宗』の裏話、ハリウッド映画での経験、人生最大の挑戦だったというブロードウェイなど、俳優人生を語り尽くします。ぜひご覧ください!

『役者道 ~渡辺謙があなたに語る仕事と人生~』 
総合 10月9日(月・祝) 後1時5分 放送予定

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