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  • 2023年9月22日

保護犬を「セラピードッグ」に〜痛みを知っているから 寄り添える〜

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2739匹。これは、人に捨てられるなどして保護されたものの、引き取り手がなかったために処分された犬の数だ(2021年度)。処分されてしまう犬を少しでも減らそうと、保護された犬を「セラピードッグ」として訓練し、再び人との絆を、活躍の機会を作る場を見つけようとする団体がある。人の心に寄り添う、元「捨て犬」たちの活動を取材した。

(科学・文化部/記者 有竹沙羅)

お年寄りの生活を豊かにする「セラピードッグ」

東京・中央区の高齢者福祉施設。ふだんは静かなこの施設に、大きな明るい声が響く日がある。月に2回のセラピードッグの訪問だ。  
犬たちがハンドラー(犬を訓練する人)の指示で小さな椅子の上に飛び上がると、待ち受けていたお年寄りたちの顔がいちどきに緩む。椅子に乗るのは、お年寄りがひざや腰を曲げてかがまずにセラピードッグと同じ目線でふれあえるようにするための配慮だ。名前を呼ばれたり、なでられたりしている犬たちも、安らかな表情を浮かべているようにも見える。 

「セラピードッグ」 
外出が難しかったり、施設で暮らしていたりする高齢者や障害者、病気の人などのもとを訪れて交流することで、生活の質を高めて療養を助けたり、心の健康を支えたりする犬たちのことだ。刑務所を訪問して受刑者と交流し、更生や再犯防止を支援するセラピードッグもいる。 

この施設では、セラピードッグが歩行のリハビリをしている高齢者と一緒に歩いて、リハビリの意欲も高める役割を担っている。 

およそ10年以上前からこの施設を利用している山野井裕章さん(73)。病気で足が不自由なため、ふだんの移動には車いすを使っている。再び歩けるようになろうと、医療機関でのリハビリを続けてきたが、この施設でセラピードッグと歩行訓練をするようになってから、「つらい」と感じていたリハビリが楽しみになったという。いまでは毎月のセラピードッグの訪問に合わせて、施設の利用日を決めるほどだ。つえをつかずにセラピードッグと歩ける距離を伸ばしたいという思いで懸命にリハビリに取り組んでいる。

山野井裕章さん 
「大学病院でリハビリをした時と比べて、ワンちゃんと歩くのは気分が全然違います。病室がずらっと並んで、人が誰も通っていない大学病院の廊下を歩くのは寂しいですよ。ワンちゃんと話しながら歩くほうが楽しいです」

施設長の関口ゆかりさんも、セラピードッグが施設の利用者に前向きな変化を起こしているという。 

シルヴァーウィング施設長 関口ゆかりさん  
「セラピードッグと一緒に歩きたいっていうお気持ちがすごく前面に出て、かなり歩けるようになりましたね。最初いらっしゃったときからするともう奇跡のような感じです」

「捨て犬」をセラピードッグに

この施設を訪れているセラピードッグ、もとは飼い主に捨てられるなどして各地の保健所などに引き取られ、処分を待っていた保護犬たちだ。

ブルースシンガーの大木トオルさんが立ち上げたこの団体は、処分される犬の数を少しでも減らそうと、保護犬を引き取ってセラピードッグとして訓練する活動を続け、これまでに100匹以上のセラピードッグを社会に送り出してきた。 

活動の原点は、大木さんの幼少期の経験にある。

子どものころ、犬を飼っていた大木さん。当時、きつ音をからかわれて学校になじめず、いじめられていたという大木さんにとって、犬は心の支えだったという。しかし、12歳のとき父親が経営していた工務店が倒産し、一家はばらばらになってしまう。このとき、飼っていた犬も手放さざるをえなかった。 
犬を手放す時、祖父は大木さんに「いい人に引き取られるから心配しなくていいんだよ」と話していたが、新しい飼い主のもとに行ったのか、それとも置き去りにされ処分されてしまったのか、本当のことはわからないままだった。大木さんはこの時の罪悪感を抱いたまま、大人になったという。

大木トオルさん  
「犬は私にとって本当に唯一の友達でした。捨てられた犬に対してね、自分の経験からの後悔があるから救いたいと思っています。これがやっぱり活動の原点です」

その後、音楽の道に進みブルースシンガーとなり、活動の拠点をアメリカに移した大木さん。そこで目にしたのが、セラピードッグだ。訪問先の高齢者施設でセラピードッグの活動をつぶさに見た大木さん。その姿が、かつて手放さざるを得なかった自分の犬に重なった。 
捨てられた犬、人と暮らせない犬をセラピードッグとして育てて、命を失う犬を減らすことはできないだろうか。大木さんの人生に新たな目標が生まれた。 

大木さん  
「施設にいるのはがんの延命治療を受けている方や認知症の方とかです。そこで犬たちがそういう人たちを救っている姿を見て、『ああ犬はすばらしい、やっぱり犬の力っていうのは大きいな』と。捨て犬たちがセラピードッグになれるチャンスがあるんじゃないかと思いました」

活動を始めた当時は、保健所から犬を外部の団体が引き取ること自体が一般には行われておらず、大木さんが犬を引き取ろうとしても、施設に入れてもらうことすらできなかったという。 
何度断られても粘り強く職員と話を続けるうちに、徐々に引き取りに協力してくれる保健所も出てきた。さらに、セラピードッグの活動も知られるようになり、派遣を希望する高齢者福祉施設なども増えてきた。 

処分寸前で助けられたゆきのすけ

いま、大木さんの団体で活動するセラピードッグのエースが、福島県の保健所で保護された「ゆきのすけ」だ。訓練のときは先頭に立って仲間のセラピードッグをリードしている。 

保護された当時の動画(映像提供:国際セラピードッグ協会)

「殺処分されそうな犬を、救出してもらえませんか」  
東日本大震災から2年経った2013年の春、福島県の動物愛護に携わるボランティアの人から大木さんに連絡があった。福島県二本松市で野良犬として保護されたが、なかなか人に慣れず、吠えたり暴れたりするのをやめない。保健所は新しい飼い主を探すのをあきらめていた。  
保健所を訪れた大木さんが見たのは、保健所のケージの隅にうずくまり不安そうな目をするゆきのすけだった。

かねてから被災地に取り残されている犬たちが気にかかっていた大木さん。ゆきのすけが再び人を信頼し、セラピードッグとして活躍できる機会を作りたいと思い、引き取ることを決めた。

生後6か月ほどだったゆきのすけは、大木さんの元に来たあとも、警戒を解かなかった。えさをあげても、人の姿が見えている間は手をつけない。食べ終わるとすぐに部屋の隅に隠れていた。 
そんなゆきのすけに、大木さんは無理に訓練をさせず、ほかのセラピードッグが人と訓練をしている様子をゆきのすけに見せることにした。人が犬を大事にしている姿を実際に見ることで警戒心をなくし、信頼関係を築いてから訓練に取り組もうと考えたのだ。 

大木さん  
「ものすごく厳しい思いをした子ですから。人間に対しての不安不信ですよね。恐怖心ももちろんあったし。だから、一緒に寝たりしました。それから徐々に近寄ってきたり触らせてくれたりするようになりました。一歩一歩ですよね」

そして半年後、ゆきのすけは体を触らせてくれるようになり、首輪をつけることにも抵抗しなくなった。人を信頼することを覚えたゆきのすけは、訓練に立ち向かう。 

時間がかかったゆきのすけの訓練

セラピードッグとして活動するには、すぐにほえたり、逃げたりしない冷静さを身につけるだけでなく、歩行が不自由な人の不規則な歩き方に対応した訓練や、寝たきりで動くのが難しい高齢者とふれあうためにベッドに乗る訓練など、さまざまな行動を訓練しなくてはならない。 
大木さんの団体では、セラピードッグとして活動を開始するまでの、およそ2年をかけて、45の項目をマスターさせるようにしている。  
しかし、人に慣れていないゆきのすけの訓練には時間がかかった。 

ゆきのすけがつえを使った訓練をしている様子(映像提供:国際セラピードッグ協会)

特に時間がかかったのは、つえを使った訓練だ。セラピードッグが高齢者とともに過ごす時、音に驚いて吠えたり逃げたりしないようにするための訓練だが、ゆきのすけは始めてすぐの間は、つえが落ちる音が小さくても、すぐに驚いて逃げてしまったという。 
しかし、訓練を繰り返し、徐々につえを落とす音を大きくしていった結果、高い位置からつえが落ちても驚かずに、落ち着いてその場にとどまれるようになった。 

大木さん  
「つえが急に落ちても、ゆきのすけがきちっと平常心でいられる。時間はかかるんですけど。立派になりますよね」

人を信頼せず、激しい気性だったゆきのすけ。今ではすっかり人なつっこく甘えん坊な性格になり、施設の人からも愛されている。 

保護犬のいま

保護犬をめぐる現状にも変化が起きている。環境省によると、2004年度には、保護された犬のうちおよそ15万5千匹が処分されていた。その後、小型犬のブームで室内飼育が主流になり、迷い犬や野良犬が減ったことや、動物愛護管理法が改正され、都道府県などに対し、新たな飼い主への譲渡に努める義務が設けられたほか、民間でも里親を探す活動なども活発になったことで処分される犬の数は減少し、2021年度にはおよそ2800匹となっている。  
しかし、大木さんはこの現状にまだ満足はしていない。目標は処分される犬の数をゼロにすることだ。

活動には課題も

保護犬を救おうと活動を続けてきた大木さんだが、直面しているのは活動をまかなう資金の問題だ。

大木さんたちはセラピードッグを引退した犬たちも死ぬまで世話を続けているが、高齢の犬にかかる高額な医療費が大きな負担になっている。活動資金は、大木さんの音楽活動の売り上げや著書の印税、講演、チャリティーコンサートや寄付などに頼ってきたが、コロナでイベントが中止されたことなどで収入が減少。活動資金を増やすために、大木さんの大切な商売道具である楽器を売るなどして資金を確保してきた。今後もセラピードッグの育成を続けるためには、大木さん個人の活動だけではなく、より多くの人から資金や物資の協力を得ていく必要がある。

大木さん  
「本当なら保健所にいる犬を全部助けたいけれど、経済的な体力がないから助けられない。犬を引き取って施設を出て行くときに、引き取れずに残さざるを得なかった犬を見ると自分の無力さを感じます。助けた犬がセラピードッグとして活躍する姿を見せることで、処分される犬たちがいることを知ってもらい、活動に協力してくれる人を増やしたい」

“保護された犬だからこそ痛みがわかる”

実際にセラピードッグとお年寄りとの交流の現場を取材すると、犬が人に与える喜びの尊さを目にすることが何度もあった。

静かで会話も少なかったお年寄りが、犬を見てあげる大きな歓声や、犬をなでながら見せる子どものような無邪気な表情は、犬と人との深い絆があるからこそ得られるものではないだろうか。 

人との絆を一度は失いながらも、再び人に喜びを与えるために活動する保護犬たち。大木さんは、保護された犬だからこそ、セラピードッグとして人とより深い絆を結べると考えている。 

大木トオルさん  
「(保護犬は)痛みを知っているわけですよね。だから目の前にいる病んだ人とか苦しんだ人とかそういうことが分かる。おじいちゃんおばあちゃんが笑顔になって、自分が頑張って助けているっていう気持ちになりますから。全国どこでも依頼があれば、行ける時に頑張っていきたい」

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