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東京大空襲 肉筆原稿から何を感じるか 戦災資料センターで企画展

  • 2023年3月13日

78年前の3月10日、東京で何が起きたかわかりますか?

東京大空襲です。
東京は火の海となって焼け野原となり、およそ10万人が犠牲になりました。
被害を受けた人たちがつづった肉筆の原稿は今も残されていて、今、学生や専門家たちの手によって、あらためて読み込む研究が進められています。
今を生きる若者は、空襲を伝える原稿から何を感じ取ったのでしょうか。
(首都圏局/記者 鵜澤正貴)

空襲の生々しい記録

東京・江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」で3月4日から開催されている企画展。空襲を生々しく伝える原稿の一部が展示されています。

『紅蓮の炎に揺らぐ恐怖の表情』
『私が無理やり父のもとに行かせたことが妹を死に追いやったのだ』

「戦災誌」刊行から50年 元の原稿をひもとく

401人が記した東京大空襲の体験記は、空襲の28年後、今からちょうど50年前に刊行された「東京大空襲・戦災誌」の第1巻にまとめられました。今回、展示されているのは、このうちの6人分。4人は肉筆で、2人は体験を語った口述筆記の原稿です。

「戦災誌」の編集メンバーの中心となったのは、作家で、去年、90歳で亡くなるまで、東京大空襲を伝え続けた早乙女勝元さんでした。体験記は当初の予定よりも多く集まったとされ、分量の都合上、泣く泣くカットせざるをえなかった部分は少なくありませんでした。

元となった原稿の多くは、長らく「戦災資料センター」に保管されてきましたが、4年前から、研究者が学生などとともに、あらためて読み込み、データベース化を進めてきました。

法政大学 山本唯人准教授(兼 東京大空襲・戦災資料センター主任研究員)
「東京大空襲を体験した世代の方たちがだんだんと減っていく中で、これまでは話して伝える、体験を聞いて、そこから学ぶということができましたが、残念ながら、これからはそれが難しくなっていきます。そのため、書かれた記録からその体験を読み取っていくことができないかと考え、この体験記の研究を始めました」

戦争の歴史に関心ない若い世代が参加

山本さんたちは、若い世代にも研究に参加してほしいと考え、さまざまな縁をたどってメンバーを集めました。

集まった人のうち、学生など20代は8人。
専修大学大学院で日本文学を学んでいる阿部翔真さん(26)もその1人です。北海道出身で、大学進学で上京。ふだんの研究テーマは万葉集で、当初、戦争の歴史にはあまり関心はありませんでした。

阿部翔真さん
「歴史の教科書を見ても、本当に自分の国であったことなのかなと思うくらい、遠いことのように感じていました。身近ではないんですよね。ただ、文学は、こういう風な考え方もあるのかと共感できるので、興味があって、万葉集も素敵だなと思って研究してきました」

森川寿美子さんの原稿

阿部さんが向き合った原稿の題名は『敦子よ涼子よ輝一よ』。
東京大空襲で火の海となった東京で3人の幼い子どもを失い、17年前にこの世を去った森川寿美子さんの原稿です。

多くの日本文学に接してきた阿部さんですが、肉筆の原稿だからこそ感じるものがあると言います。

『不気味な空襲警報のサイレンの響きにはっと飛び起きた』
『まもなく遠くの空が真っ赤になった。ああやはり火事になった所もあるのだ。どうしよう。体がカチカチふるえてきた』

阿部翔真さん
「空襲が少しずつ少しずつ近づいてくるという、その描写と切迫感は、やはり生の原稿でないとわからないと思いました。想像もできないような範疇の出来事ですが、それでも胸に迫るものがありました」

カットされていた“動機”

戦災誌でカットされていた部分から発見できたこともありました。
そこには、森川さんがつらい体験を思い起こし、後世に伝えたいと考えた強い思いが記されていたのです。

『この呪わしい日のことを、私はいつか日本に本当の平和が来た時、こうした苦しみの中に命を失った人たちの死を、無意味に終わらせないようありのままを記しておこう』

戦災誌の編集当時は、多くの人の被害を記録すること自体に重点が置かれていました。分量の都合などから、やむなくカットせざるを得なかったとみられます。

阿部翔真さん
「苦しいもの、つらいもの、嫌なことにはふたをして、忘れてしまいたいというのが人間の心理なので、ありのまま記しておこうというのは驚きでした。本当に身を削る思いだったと思います。いろいろなことをそのまま残しておいて、あとは読んだ人がどう受け止めるか、考えてほしかったのかなと感じました」

肉筆の原稿が伝えてくれること

それから78年がたち、平和が訪れた3月10日の東京。
多くの人が会場を訪れ、原稿に見入っていました。

見学した
中学3年生

ものすごく心が痛くなりました。戦争で自分の家族が亡くなってしまうのは、自分の身に置き換えても苦しいことだし、当時、体験した人はどんな気持ちだったのだろうと考えさせられます。筆跡から気持ちが伝わってきました。

見学した
中学3年生

今から考えたら、本当に耐えられないことだと思います。体験した方が残された原稿を読んだりして、これからも家族やみんなに伝えていきたいなと思いました。

 

 

空襲で父親を亡くした86歳男性
「非常につらいことを全部、体験記に書かれて、それぞれの方がこれを残してほしいと願って残されたと思うんですね。ウクライナの戦争もですが、現代でも起こりうることなんです。私自身は東京大空襲で九死に一生を得ましたが、父親を亡くしました。体の中に原体験として染み込んでいます。若い人たちに継承していって、こういう悲惨なことは起きてはいけないと伝えていっていただきたいと思います」

阿部翔真さん
「世界では21世紀になっても、まだ戦争が行われていて、多くの人が亡くなっています。こういう原稿を見て、痛みとか苦しみとか、こういった市井の中でも突然起こりうることなのだなということは、忌避しないで、避けないで考え続けていくことがとても大事だと思います」

一夜にして首都が焼き尽くされ、およそ10万人が亡くなったとされる東京大空襲。
78年という年月がたち、体験を語れる人が減る中、書き残された肉筆の原稿は、今を生きる私たちに、平和だからこそ忘れがちになる大切なことを伝えてくれます。

法政大学 山本唯人准教授(兼 東京大空襲・戦災資料センター主任研究員)
「我々が東京大空襲と呼んでいる出来事や、戦争と呼んでいる出来事は、一人ひとりのどのような体験がどのように積み重なって起きているのか。それを、個人が残した記録を見ていくことによって、実感を持って知ることができます。今、世界で起きている戦争においても、爆撃の下で何が起きているのか、想像することが重要です。原稿を目で追って読みながら、そこにあったことを思い起こす、追体験するということがとても大事なことなのではないでしょうか」

この企画展は、5月7日まで東京・江東区の「東京大空襲・戦災資料センター」で開かれています。(月曜日休館)

  • 鵜澤正貴

    首都圏局 記者

    鵜澤正貴

    2008年(平成20年)入局。 秋田局、広島局、横浜局、報道局選挙プロジェクトを経て首都圏局。

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