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東日本大震災13年 東京 銀座 千葉 旭など関東各地で鎮魂の祈り

  • 2024年3月11日

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から3月11日で13年です。

津波などで16人が犠牲となった千葉県旭市の海岸では、早朝から足を運び当時の状況に思いをはせる人の姿が見られたほか、東京・銀座では、発生時刻に合わせて多くの人が黙とうして震災の犠牲者に祈りをささげました。

関東甲信越では、2月時点で避難生活を余儀なくされている人は1万4000人余りとなっています。

東日本大震災から13年

警察庁によりますと、関東地方では巨大地震と津波などによって61人が死亡し、3人が行方不明となっています。

死者は、茨城県で24人、千葉県で21人、東京都で7人、神奈川県と栃木県でそれぞれ4人、群馬県で1人となっているほか、行方不明者は、千葉県で2人茨城県で1人です。

死者(関東地方61人)
▼茨城県 24人
▼千葉県 21人
▼東京都 7人
▼神奈川県 4人
▼栃木県 4人
▼群馬県 1人
行方不明者(3人)
▼千葉県 2人
▼茨城県 1人

また、避難生活の中で体調が悪化し死亡するなど、いわゆる「震災関連死」として関東甲信越で認定された人は、復興庁によりますと、茨城県で42人、千葉県で4人、神奈川県と長野県でそれぞれ3人、埼玉県と東京都でそれぞれ1人のあわせて54人となっています。

「震災関連死」※(去年12月末時点)
▼茨城県 42人
▼千葉県 4人
▼神奈川県 3人
▼長野県 3人
▼埼玉県 1人
▼東京都 1人

関東甲信越で避難生活を送っている人は、復興庁の2月1日時点でのまとめでは311の自治体であわせて1万4300人となっています。

去年の同じ時期と比べ800人余り減りましたが、依然として多くの人が避難を余儀なくされています。

都県別に見ると、東京都が2646人、茨城県が2336人、埼玉県が2334人、新潟県が1834人、千葉県が1395人、神奈川県が1217人、栃木県が1159人、長野県が486人、群馬県が481人、山梨県が412人です。

千葉県旭市の海岸では…

東日本大震災で千葉県旭市には最大7.6メートルの津波が押し寄せ、災害関連死を含めて14人が亡くなり、2人が行方不明となっています。

被害が大きかった飯岡地区では、けさ(11日朝)、日の出の時間から海沿いを歩き当時の状況に思いをはせる人の姿が見られました。

夫婦で散歩をしていた80代の男性
「大きな揺れの後車で高台に避難しましたが、津波で自宅はめちゃくちゃになりました。妻は高校の同窓会に出かけていたため、避難所でしばらく会うことが出来なかったことを思い出します。13年前を教訓にいまも地震が起きたらすぐに避難することを心がけています」

近くに住む60代の男性
「あっという間の13年でした。最近、千葉県で地震が増えているので日頃から備えなければと思い水などを備蓄しています」

近くに住み、震災当時は千葉県山武市の勤め先で揺れに見舞われた男性
「自宅が心配になり帰宅する途中、津波や地震の揺れが起き町並みが変わっていたことを思い出します。13年がたって地区は空き地が目立つようになりました。安全な場所として、内陸に家を建てる人もいるので過疎化が進むのではないか」

東日本大震災から13年となる11日は、特に被害が大きかった飯岡地区にある慰霊碑に住民らが訪れ、献花台に花を手向けて手を合わせました。そして、地震が発生した午後2時46分にサイレンが鳴り響くと、黙とうして犠牲者に追悼の祈りをささげました。

祖父母の住宅が被害を受けた市内に住む50代の男性
「倒壊した家や乗り捨てられたままの車など当時見たものは目に焼きついて離れません。東北と比べると被害が少なかったことから千葉県は忘れられがちですが、絶対に風化させてはいけない。犠牲者の方々を決して忘れないという思いで手を合わせました」

旭市の米本弥一郎市長は、千葉県で2月下旬以降、地震が頻発していることに触れた上で、「東日本大震災まではこの地域は『遠浅だから津波は来ない』という間違った知識が伝わっていました。震災を教訓に正しい知識を広め、ふだんから備蓄など地震の備えを進めていきたい」と話していました。

茨城県北茨城市では…

北茨城市は東日本大震災で最大で高さおよそ7メートルの津波が押し寄せ、5人が死亡、1人が行方不明になったほか5人がいわゆる「震災関連死」で亡くなっています。

市内の磯原町で1人暮らしをしていた平塚幸男さん(当時80)は自宅が津波に流され死亡しました。

震災から13年となる11日、弟の平塚信次さん(85)は96歳の姉の久江さんらと4人で市内にある墓地を訪れ花と線香を供えて静かに手を合わせました。

久江さん
「海を見るたび悔しい気持ちになる。幸男は今も夢の中で『あんねーっ』と私を呼んでいる。みんなに来てもらって喜んでいると思う」

信次さん
「震災の日は寒かったけど、きょうは穏やかな陽気でみんなで来ることができてよかった。能登半島地震もそうだが津波が来たら高台に逃げることが大切だと感じます」

信次さんたちきょうだいは高齢になり、体調を崩すこともあるため、毎年、欠かさず行ってきた命日の墓参りをことしで最後にすることも考えているということです。

東京・銀座では…

東日本大震災の発生から13年となる3月11日、東京・銀座では発生時刻の午後2時46分にあわせて鐘が鳴り、多くの人が黙とうして震災の犠牲者に祈りをささげました。

東日本大震災で亡くなった人を追悼し記憶の風化を防ごうと毎年、東京の銀座4丁目の交差点にある時計塔では震災の発生時刻にあわせて鎮魂の鐘を鳴らしています。
 

3月11日午後2時46分には、1分間にわたって鐘が鳴らされ、街を行き交う多くの人が足を止めて黙とうし、震災の犠牲者に祈りをささげました。

当時、東京で働いていたという59歳の男性
「休憩時間中に揺れで職場の時計が落ちてきたのを思い出しました。本当に悲しい出来事で、13年もたつことになんとも言えない思いです」

当時、幼稚園に通っていて、この春に高校を卒業する18歳の女性
「13年はあっという間だと感じています。いつ地震が起きてもおかしくないのでふだんの意識をもっと高めたいと思います」

時計塔を管理する大手時計メーカーの小泉徹広報部長
「新型コロナの影響もあって訪れる人の数に毎年変化はありますが、この日は特別な1日なので、こういった活動を続けることで、震災の記憶の風化を防ぐことにつながってほしいと思います」

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