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黒柳徹子さん 42年ぶりのメッセージ

  • 2023年10月11日

黒柳徹子さんのベストセラー小説『窓ぎわのトットちゃん』の続編が42年ぶりに刊行されました。
本に込めた思い、戦争と平和について…そして、あの戦後の大スターとの思い出も!
今年90歳、テレビの第一線70年間活躍している黒柳さんにお話を伺いました。

(ひるまえほっと/リポーター 小村弥生)

左:「窓ぎわのトットちゃん」(黒柳徹子 著/講談社 刊)
右:「続 窓ぎわのトットちゃん」(黒柳徹子 著/講談社 刊)

『窓ぎわのトットちゃん』は、黒柳さんが自身の小学生時代を記した自伝的小説。
1981年に発売されて以降、20以上の言語に翻訳され、発行部数は国内外で合わせて2500万部以上です。その続編『続 窓ぎわのトットちゃん』を書こうと思ったきっかけについて、黒柳さんは、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を挙げました。

黒柳徹子さん
「続編を書いてほしいっていう、お話は、前からありました。でも、書くことないしな、と思っていたんですけど。一番大きい問題は、やっぱりウクライナの問題でしょうかね。子どもたちはどうしているんだろう。一番書きたかったのはそのことです」

続編を書いたきっかけ ウクライナ侵攻と子どもたち

小村
リポーター

ウクライナの子どもたちのことを考えたことが、続編を書くきっかけになったそうですが、詳しく伺えますか?

黒柳さん

ウクライナのことがあったとき、子どもたちはどうしているのだろう、ウクライナの子どもたちは…と思った時、ふと、あっそうだ!書いた方がいいかなと思って。

いろいろなことは書いたのだけど、疎開していた時の事は書いてない。それから、戦争の時どんなだったか、父が出征した時、あのときの事は書いてないなと思って。

太平洋戦争が始まった1941年、黒柳さんは8歳。
親や兄弟と暮らしていましたが、やがて父は出征していきます。
その後、東京大空襲で、家も通っていた小学校も焼け、青森に疎開することになりました。

古谷
アナウンサー

ウクライナの子どもたちのニュースを見て、黒柳さんご自身の子どもの時の戦争体験は、オーバーラップする事がありますか?

 

それは、あります。まず食べ物はあるだろうか。それから、みんな家族がばらばらになってやしないだろうか、お父さんは戦争に行ってないだろうか。本人が、弾が飛んだりしてるような所にはいないだろうかと、子どもがね。

黒柳さんが特に伝えたかったのは、子どもにとって自由がないことの辛さだと言います。

 

何をやってもいけないって言われて、逃げ惑ったあの戦争中のこと思い出すのも嫌だったんですけど。子どもにとって、何が一番嫌かといえば、やっぱり自由じゃないっていうことだと思うんですね。

本に込めた思い ~将来への迷い~

黒柳さんは、疎開先の青森で終戦を迎えました。
東京に戻り、戦後の混乱の中をたくましく成長していきます。

【オペラ歌手を夢見るも挫折】

 

音楽学校に入りまして、卒業したら、オペラ歌手になろうって思っていたんですけど。どうも歌詞が覚えられない。
どういう訳だか、ここに1,000セリフがあって、覚えろって言われれば、もし1日あれば覚えられる。そういうのはできるんですけど、なぜメロディーが付くと覚えられないのか、分からないんですけど。
それで結局、オペラ歌手になるという夢はしばらくは、持っていたんですけど、ある日突然、駄目かもしれない。

 

【お見合いもしましたが…】

 

どうしようかな、結婚か、ですよね。女の人は。ないしは何か仕事する。どっちかしかないって。その時、結婚しようって思って。お見合いも、してみたりとかもしたんですよ、私!!お見合いすると、いろんなおいしいごはんも食べられるし。

 

そっちですか。そっち?

 

そっち!!それで、いいなって思ったんですけど、どうもそこんとこもうまくいかないで…

 

【上手に本を読んであげる いいお母さんになりたい】

 

でも、最終的には、本を読んであげるいいお母さんになろう、と思ったんです。
本を読むのを教えてくれるのはどこだろうと思って、母に「そういうのはどこで教えてくれるの?」って聞いたら、母が「新聞に出てんじゃないの」って言ったんですよ。あとで考えたら、いい加減だな、と思いましたけれど。

 

随分おおざっぱですよね。

 

ところが、それはもう本当に、運ですね。
それで、その日の新聞開いたんですよ。
ちょうど真ん中に、NHKが、テレビを始めるのにあたって俳優を募集するっていうのが出てたんですよ!!

 

ええ!!新聞に?

 

新聞に。「若干名」って書いてあったんですよ。
私、「わかぼしめい」って読みましてね。

 

読めないこともないですね。

 

それで、父に「わかぼしめい」って、何って聞いたら…「若干名のことだろう」と父が言って(笑)

テレビ創成期の思い出 ~失敗が多かった新人時代~

放送劇団時代(右:黒柳徹子さん)

黒柳さんは、応募総数6,000人の中から13人のうちの一人に選ばれ、テレビ放送が始まった1953年、NHK専属テレビ女優第1号になりました。
最初のテレビの仕事は、今話題、あの戦後の大スターとでした!

 

NHKで朝の連続テレビ小説「ブギウギ」っていう、笠置シヅ子さんのドラマが始まって。

 

あら~!!!!!

 

まさに、最初の仕事が?

 

そう、笠置さんと。私、出させていただきたいぐらいよ!!

 

出てくださいよ!!

 

笠置さんの後ろを通るおばさんでも、何でもいいから。

 

当時、本当に、そういうお役だったんですって?

 

私はまだ、NHKに入ったばっかりだから、何も演技なんかできないわけですよね。「ガヤガヤ」っていうんですけど。

 

エキストラ?

 

笠置さんが「東京ブギウギ」ってやっていらっしゃる時に、後ろを通る、少女みたいな役。 それで、そこを、通ったんですよ。

 

徹子さんが通行人のお役で。

 

そうしたら、すごい勢いで、スピーカーで「今通ったやつ、そんな速くちゃ、テレビの画面はちっちゃいんだから、映ったか映らないか分かんないよ。駄目だよ、そんな速く歩いちゃ!!」って言われて。
スーっと通ったんですけれど、スーっと通っちゃいけないんだと思って。

次は、ゆっくりゆっくり通って…
そうしたら、「忍者じゃないんだから、何だその歩き方は!!」って言われて(笑)

その度に、笠置さんは「東京ブギウギ」ってやっていらっしゃる。何度も、何度も。
そうしたら、笠置さんが後ろを向いてね「大変でんな」っておっしゃったんですよ。
私、こんないい方はいらっしゃらないわと思って。こんな下っぱが、そんな事をやって。

 

何度もNG出して…

 

あの方、その度に「東京ブギウギ」っていうのを歌ってらっしゃるんですよ。何回も。悪いじゃないですか、申し訳なくて。

黒柳さん「東京ブギウギ」

小村・古谷アナ「東京ブギウギ」

自信を失いかけていた時救ってくれた言葉 ~君の個性は大事です~

女優を始めたころは、黒柳さんの早口でマイペースな振る舞いは、受け入れられないこともありました。そんな黒柳さんを救ってくれたのは、劇作家の飯沢匡さんだと言います。
当時人気だった子供向け番組に、飯沢さんが黒柳さんを抜てきしたのです。

 

「個性が邪魔だから帰れ」とか、いろいろな事を言われている時、飯沢先生が「君の個性は大事です。それをなくしてはいけません。ずっと、そのまんまでいて、そのまんまでいいんですよ」っておっしゃってくださった。
そのことが、私をNHKにとどまらせてくれて、NHKを辞めずに、そのままずっといることになって。今日まで来たっていう事になると思います。

その後の活躍は目覚ましく、数多くの番組を掛け持ちで担当。当時最年少で『紅白歌合戦』の司会も務めました。それから70年に渡り、テレビの第一線で活躍しています。
黒柳さんの支えとなったのは、昔から変わらず持ち続けきた信念だったと言います。

テレビは平和をもたらすもの

 

テレビの仕事を一生懸命やろうと思ったのは、テレビの何か可能性を感じて頑張ろうと思ったんでしょうか?

 

これからテレビが始まるという時に、アメリカのNBCのプロデューサーの方が、指導にいらっしゃって。
その方が「これからテレビっていうものが始まって、多分今世紀最大の大きなメディアになると思う。そしてこれからは、よその国のごはん食べているところも、結婚式も、何も全部テレビによって見ることができるだろう。そして運が良ければ、それで平和をもたらすことができるかもしれない」って、おっしゃったんです。

永久の平和を、テレビによってもたらすことができるかもしれないと聞いて、私テレビで仕事しよう、って思ったんです。私がテレビで仕事したら、平和が来るかもしれないからね。

平和で、そして自由な暮らしができる子どもたちが一人でも増えるように。
1984年から「ユニセフ親善大使」として、のべ39か国を訪れ、飢餓や戦争で苦しむ子どもたちの支援を訴えてきました。

 

徹子さんが、テレビは平和をもたらすものだと信じてきたテレビ70年です。今年。

 

そうですね。

 

でも、戦争がおきてしまうっていうのは、何なんですかね。

 

本当にね。みんなが早く気が付けば、いいのにね。
戦争がどんなに大変なものかというのはよく分かっていたんで、ああいうことに絶対にならないでほしいと、心から祈って。
今度のウクライナのことを聞くと、みんなどうしてるんだろうと思って…
テレビによって、食べ物がなくなってしまっているところが映って、「かわいそう、なんとかしてあげなくちゃ」って思って。
みんなが、その人たちを、応援して、その飢えを何とかしのいでさし上げるようにするとか。

 

テレビを通じてそれを知るわけですよね。

 

そうです。みんなが知ってね。それで、それによってこれだけの物が集まったってことが映れば、もっといいでしょ。そうしたことで、やっぱりテレビがする仕事は、いっぱいあると思いますよね。

 

まだまだ、ありますか?

 

まだまだありますよ。

 

【編集後記】
子どものころ夢中になって読んだ「窓ぎわのトットちゃん」。
その作者でもあり、大尊敬する黒柳徹子さんにインタビューができるなんて!
嬉しい気持ちと、緊張が一気に押し寄せてきました。
黒柳さんは、インタビューの直前、そんな私に優しく「きれいなスカート」と声を掛けてくださいました。テレビで見ている通りの、気さくで、明るく、笑顔がとっても素敵な方でした。
番組では最後に、若い世代へのメッセージを頂きました。
「体を大事にして、病気になったりしないように」とおっしゃいました。
その時の優しいまなざしと、その言葉を、これからも大切にしていきたいと思います。

リポーター 小村弥生

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