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舞踊団でひとまわり大きく 13歳少女 奮闘の冬 千葉・市原

  • 2023年12月14日

千葉県市原市に、土日や祝日のたびに、地域の福祉施設やおまつりで創作舞踊をボランティアで披露する子どもたちのグループがあります。このグループに所属する引っ込み思案な13歳の少女が、後輩を育てようと奮闘する姿を取材しました。

(千葉放送局記者・金子ひとみ)

観客を巻き込みながら子どもたちが創作舞踊 

11月26日、市原市の辰巳台公民館で開かれた「たつみこども・おとなフェスタ」。「こころ舞踊団 ぷっちんべりんず」というグループの子どもたちが、創作舞踊を披露しました。

サインを送り合って即興で振り付けの組み合わせを決め、目の前の観客に合わせたステージを作り上げていきます。ベリーダンスやフラダンス、日本舞踊を融合させた、独自の舞踊スタイルです。

高齢者施設や病院、地域の催しなどからの出演依頼が相次ぎ、来年まで予定が入っている人気グループです。

観客

すごくきれいだなあって思ったし、いっしょに踊って楽しかった。

観客

元気をもらえるような、すてきなダンスだったと思います、きょうは寒いですが、気持ちがあったかくなりました。

“月謝なし”に込められた先生の思い

「こころ舞踊団 ぷっちんべりんず」が生まれたのは、2011年。東日本大震災の直後、看護師で3人の子どもの母、柳橋貴子さん(48)が立ち上げました。「暗くなった世の中を子どもたちの踊りで元気にしたい」というのが結成のねらいでした。

福島県いわき市の仮設住宅を訪問(2013年)
柳橋貴子さん

震災のあと、我慢を強いられている生活の中で、みんなに元気を届けたいと思いました。私は病棟に看護師として勤めていた時だったので、子どもたちのダンス、子どもたちの笑顔で病院や施設にいる人たちに元気を届けたいというのがきっかけで始めました。

3歳から日本舞踊やバレエなどを習ってきたという柳橋さん。高校時代に両親を亡くし、友人家族らに支えられてきたといいます。

幼いころの柳橋貴子さん(上)

レッスンの月謝は受け取っておらず、難病や障害などさまざまな事情を抱えた子どもも受け入れています。

高校時代、親友のお母さんが、分け隔てなく、私のような居場所がない子たちを家に迎えてくれました。『おかえり』『きょうのおかずはおでんね』という感じで接してくれて、『ただいま』と帰ることのできる場所があったんです。私にとってはすごく大切な場所でした。知らず知らずのうちに、あの当時、自分を支えてくれた大人と同じことをしている気がします。

不登校を乗り越え “舞踊団が居場所”

メンバーのひとり、中学2年生の島永優姫さん(13)です。幼いころから周りとコミュニケーションを取るのが苦手で、控えめな性格。小学校の時は、不登校気味でした。

島永優姫さん(13)
島永優姫さん

小学校高学年になるにつれて、周りについていけなかったり、ひとりになることが多かったりして、つらかったです。学校に行ってもずっと席に座っていて、そこから動かないという感じでした。

中学校入学後は、少しずつ話せるようになって、登校できていますが、前に出ることはないといいます。

授業中、手は絶対あげないです。間違ったらいやなんで。やっぱり人と話すのは苦手ですが、今のクラスは雰囲気もよくて、楽しいなって思うことも多いです。お母さんと『ダンス行くために学校行く』と約束しているので、ダンスに行くのを楽しみに毎日登校している感じです。

そんな優姫さんの大好きな場所が、ことばではなく、舞で自分を表現できる「こころ舞踊団」。9年前、4歳のときに入りました。練習スタジオに行くと、柳橋さんやメンバーが「おかえり」と迎えてくれます。

ここに来ると自然に笑顔になれて、楽しいなって一番感じられる場所。ここでも最初は全然話せなかったけど、勇気を出して話してみたら、みんなが聞いてくれて、「大丈夫なんだな」って安心しました。学校だけが自分の居場所じゃないんだなあって気づきました

優姫さんの挑戦 “後輩の初ステージをサポート”

ステージ経験が豊富な優姫さん。今回、後輩のサポートという新たな役割を任されることになりました。

ことし1月、仲間入りした小学2年生の小出莉央(8)さんです。

小出莉央さん(8)

12月、高齢者施設の訪問に最年少メンバーとして初めて参加する莉央さんを、優姫さんが指導することになったのです。11月、訪問前のメンバーどうしの話し合いでは…

莉央さんが質問

莉央さん「2年生ひとりで不安なんですけど、どうしたらいいですか?」

答える優姫さん

優姫さん「2年生ひとりだけだけど、周りにみんないるし、サポートするから、笑顔で楽しんでほしい」
柳橋さん「優姫ちゃんもね、昔はね、全然笑顔にもなれなかったし、いつもお姉さんたちの後ろにいたんだよ」

莉央さんの不安を和らげようとする優姫さんの姿がありました。

苦手な“自己紹介”を乗り越えるために

莉央さんの課題は、ダンスではなく、ステージの最初に行う自己紹介の部分でした。緊張から、小声で早口になってしまう莉央さんの練習に、優姫さんたちは根気強くつきあいます。

莉央さんの課題は自己紹介
島永優姫さん

最初の施設訪問って、不安と緊張とかいっぱいあるんですよね。莉央ちゃんを見ながら、自分は最初の訪問のときに泣いちゃったことを思い出しました。説明が苦手ですが、莉央ちゃんのサポートをしっかりできるようにしたいです。

迎えた本番 寄り添う優姫さん

そして、12月9日、ステージ本番の日。控え室では、自己紹介の練習を繰り返す2人の姿がありました。

島永優姫さん

実は私自身が、慣れない役割を任されて、すごく不安で、顔がひきつっていたんです。でもそれよりも、莉央ちゃんを不安にさせないことが一番だ、ひとりにさせちゃうと不安で押しつぶされちゃうから、誰かがいつも近くにいなきゃって考えていました。

午後1時半、クリスマスソングでの登場後、さっそく、課題だった莉央さんの自己紹介です。

莉央さんあいさつ「小学2年生の莉央です。きょうは笑顔を届けるために来たので、楽しんでください」

小出莉央さん

ドキドキしたけど、ゆっくり話すことができたと思います。隣に優姫さんが来てくれて、うまくできる気がしました。優姫さんに「ありがとうございました」ってお礼を言いたいです。

会場が一体感に包まれたステージ

1時間のステージは大成功に。

施設の利用者

とにかく楽しかったです、すごくかわいくて。つい一緒にからだを動かしてしまいました。また必ず来てほしいです。

施設の利用者

ステージの流れがすごくよかったです。感動しましたよ。彼女たちと約束したの、またお会いしましょうって。それまで私生きてますからって言ったの。

こころ舞踊団代表 柳橋貴子さん

「今回、莉央ちゃんの初めての施設訪問のサポートを、優姫ちゃんに任せたけれど、すごくよかったです。優姫ちゃんが緊張しているの、すごく伝わってきたけれど、不器用な優姫ちゃんなりに莉央ちゃんのことをよく考えていることがわかりました。いい勉強になったと思います」

これまで苦手だと考えていたコミュニケーションを通して、後輩の初ステージを支えた優姫さん。一回り大きくなった13歳の冬となりました。

島永優姫さん

周りのメンバーの支えの力は大きかったし、まだ足りない部分もあったかなと思いますが、自分なりに莉央ちゃんを支えて、サポートはできたかなって思います。これから舞踊団に入ってくる子とか、まだ施設訪問に行ってない子とかもいるので、しっかりその子たちのサポートもできるようにしたいです。

「首都圏ネットワーク」での放送内容は、12月21日午後7時まで「NHKプラス」でご覧いただけます。

取材後記

「こころ舞踊団」のことを知ったのは、去年10月、視覚障害のあるミュージシャンたちの音楽ライブを取材した際でした。ライブの出演者をより輝かせるためにもり立てる姿、それに、楽屋での礼儀正しく愛きょうあふれる姿を目にして、彼女たちのことがずっと気になっていました。ことしの夏以降、優姫さんは、話を聞くたび「ここが私の居場所です」と繰り返し言っていました。ただ当初、私は、そのフレーズを何度聞いても、あまりピンと来ませんでした。

でも、10月15日、市原市の文化祭で踊る彼女を目にして、彼女の言う「居場所」の意味がストンと理解できました。私の前で話をするときのぼくとつとした優姫さんとは全然違っていました。いきいき、のびのび、あでやか。いや、そんな形容詞を超えて、優姫さんは舞い踊っていました。私はその姿に魅了され、その場ですぐ、優姫さんのお母さんに会いに行って、「優姫さんをテレビで伝えたいんです」と思いを伝えたのちに、撮影が始まったのでした。インタビューの際にも学校での撮影の際にも「全然緊張しない」と話していた優姫さんが、莉央さんの初ステージの場では「すごい緊張した」と話していたのが印象的でした。いつも落ち着いている優姫さんの、13歳らしい一面だなと思いました。

今回の取材は、柳橋さんのサポートあって成り立ったものでした。柳橋さんの紹介で、舞踊団の活動を通して将来進む道を見つけたメンバー、心の悩みを抱えながらも舞踊団がよりどころになっているメンバー、メンバーのお母さんや応援する人などたくさんの人が話を聞かせてくださいました。みなさん、ありがとうございました。

  • 金子ひとみ

    千葉放送局 記者

    金子ひとみ

    優姫さんと莉央さんを追いかけながら、涙・涙のロケでした

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