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ジェフ千葉 オシム像で紡がれる功績 “考えて走るサッカー” 15年ぶりJ1復帰目指しプレーオフ

  • 2023年11月27日

Jリーグ発足時から加盟する「オリジナル10」の1つ、ジェフ千葉

かつては日本代表の選手を数多く擁し、ナビスコカップを2年連続で制するなど強豪でしたが、2010年から14シーズンにわたってJ2での戦いを強いられています。

しかし、今年は6月からホームで10戦負けなしになるなど快進撃を見せ、J1昇格プレーオフに臨みました。

この快進撃、ホームスタジアムの前に、クラブの基礎を築いた“ある人物”の像が設置された直後から始まりました。

(千葉放送局記者・池田侑太郎)

“オシムモニュメント” フクアリに設置

ジェフ千葉のホームスタジアム「フクダ電子アリーナ」の前に設置されたのは、イビチャ・オシム氏の像です。

2003~2006年にジェフの監督を務めた、オシム氏。像の下には、次のように刻まれています。

2003年に千葉市をホームタウンとし、2005年にフクダ電子アリーナをホームスタジアムとしたジェフユナイテッド市原・千葉は、故イビチャ・オシム氏の指揮のもと「考えて走る」サッカーを体現し大きく躍進した。同氏が指揮した2003年~2006年、Jリーグで好成績を収めたほか、2005年のJリーグヤマザキナビスコカップでは優勝を果たし、また同クラブの多くの選手が日本代表選手としても活躍するなど、多くの千葉市民やサッカーファンに夢と希望をもたらした。

この功績を称え、故イビチャ・オシム氏率いるクラブの躍進を記念するモニュメントをここに設置する。

2023年6月24日、オシム氏の妻や、息子でオシム氏のあとジェフの監督を務めたアマル・オシム氏が母国のボスニア・ヘルツェゴビナから出席し、除幕式が行われました。

アマル氏(前列中央左)、オシム氏の妻(前列中央右)

「考えて走る」オシム氏のサッカー

2005年、ナビスコカップ優勝後のインタビュー

旧ユーゴスラビアの代表監督としてW杯でベスト8に進出するなどの実績を残し、2003年にジェフ千葉の監督に就任したオシム氏。

若手を積極的に起用し、独自の練習法で「考えて走るサッカー」を浸透させ、チームは2005年にナビスコカップで優勝。

2005年のナビスコカップ優勝時のチーム

2006年のシーズン途中に日本代表監督への就任に伴って離任するまで、ジェフの基礎を築きました。

その後、体調を崩して代表監督を辞任して日本を離れていましたが、去年5月に80歳で亡くなりました。

オシム氏のジェフ監督時代の教え子で元日本代表の佐藤勇人さんは、当時の指導について次のように振り返ります。

ジェフ元選手 佐藤勇人さん(現・ジェフユナイテッド クラブユナイテッドオフィサー)

「考えて走る」というキーワードが多く発信されましたが、練習についていくのが精一杯で、僕らはどちらかというと「走りながら考える」という感じでした。

考えてから走っていたら遅いので、常にまず走って、走りながら考えて、そこで判断していく。それによってプレーが繋がって、ゴールに結びつくこともあったので、練習から常に「走りながら考える」、選手もスタッフも足を止めずにやっていた感じでした。

また、オシム氏の独特の言い回しによるコメントも、多くの人の心に残っています。

「頭が疲れない選手は、サッカー選手ではないでしょう。頭が疲れないということは、プレー中に何も考えていないということです。本当のサッカー選手は、足が痛いとは言わず、頭が痛いと言うはずです」

佐藤さん

オシムさんが亡くなったと聞いて、僕自身も落ち込みましたが、オシムさんに当時言われた「それでも人生は続く」という言葉を思い出し、行動するようにしました。

また、「やったことが返ってくるのは人生というもの」というオシムさんの言葉も好きです。子どもたちにサッカーについて伝える機会には、「何かをやることには意味があるんだよ、必ずそれが返ってくるから」と、オシムさんの言葉を使わせてもらっています。

低迷続くジェフ

2005年のナビスコカップ優勝時のサポーター

ジェフ千葉は、オシム氏が離れたあと苦難の時代を迎えます。

2006年、監督が息子のアマル氏に代わってからもナビスコカップを2年連続で制覇します。しかし、その後は徐々に低迷し、2009年にJ2降格が決まってからは14シーズン、J1に復帰できずにいます。

ジェフのJ2での順位(赤字は昇格プレーオフ圏内)

「功績紡ぐ」クラファンで資金集め

オシム氏の訃報に接する中、クラブの中では功績を後世に紡いでいこうという動きが始まりました。

ジェフ千葉でチーム創設時から30年間にわたってスタッフを務めてきた、高橋薫さんです。クラウドファンディングを立ち上げ、オシム氏のモニュメントの建設を企画しました。

ジェフユナイテッド 社会連携活動グループマネージャー 高橋薫さん

「コップの器に80%しか水を入れなかったら、それは80%のままだ。大きくならない。120%入れようとしたら、コップはどんどん大きくなろうとする」と言われたことがありました。

オシムさんの功績、オシムさんが残したもの、それはジェフだけではなくて、日本のサッカーにとっても大きかったと思うんですよね。そういうものをちゃんと紡いでいくことは、絶対に必要だと思って発案しました。

J2に降格してからは、“オシムさんにこだわってるから勝てないんだ”と言われたこともありました。ただ、オシムさんが残してくれたものは、やっぱりジェフにとってすごく大きなものだと思っています。

クラウドファンディングのホームページ

クラウドファンディングは2度にわたって行われ、ジェフOBの佐藤勇人さんはじめ、多くの人たちが後押ししました。

高橋さん

オシムさんが日本を離れてから時間がたってますし、チームが前に進もうとしている時に、過去のオシムさんのことを持ち出すのに反対する声も少なからずありました。

しかし、オシムさんを知らない世代に伝えていく意味でも、功績を残していくべきでないかと思って、いろんな人にクラウドファンディングへの協力を呼びかけました。

クラウドファンディングは当初、集まった資金が目標を下回りましたが、再チャレンジを経て、あわせて半年で1600万円が集まり、目標を達成しました。

像の背中にはジェフの文字が
高橋さん

クラウドファンディングと一緒に寄せられたメッセージを読んでいると、涙が出そうになるコメントがいっぱいあって、サポーターの皆さんの思いのもとにクラブがあるというのを改めて感じました。

そういう方たちの期待に、絶対に応えなきゃいけないということを、今回クラウドファンディングを行った中で一番思いました。

 サポーターの心に生きるオシム氏

オシム氏の像の設置は、サポーターにはどのように受け止められているのか。クラウドファンディングに協力した1人に話を聞きました。

市原市に住む平野修夫さん。30年前、地元・市原市にプロサッカーチームができると知り、応援を始めました。

平野さんの“ジェフ部屋”

自宅には、チーム創設時からオシム氏の監督時代、そして現在までのグッズなどが数多く保管されています。

練習後に撮影したオシム氏との写真も
平野さん

オシムさんの言葉はサッカーだけではなく、人生のいろんなところで通用する言葉なんです。

「リスクを冒さなかったら成果は得られない」「平穏無事なゲームをやってたら結果はついてこない」とオシムさんは話していました。仕事や地域社会、家庭などさまざまな場面で、いまでもオシムさんが残してくれた言葉を思い起こしながら、日々を過ごしています。

オシムさんの像は、私たちサポーターの心のよりどころになってくれると思います。

当時は「We are Osim Familiy」と書かれた旗を掲げて応援
平野さん

オシムさんが本当に好きになって、サポーター仲間と一緒に旗を作ったんです。オシムさんが監督だったころは毎回試合で掲げていました。

パスを出して終わりではなく、パスを出した選手はスペースに次々と走り込んでいく。いまのチームは、オシムさんの時のサッカーを久しぶりにやってくれていて、面白く楽しい、わくわくするゲームを期待しています。

ジェフの快進撃始まる

オシム氏の像が6月に設置されると、チームの快進撃が始まりました。

像が建つホームでは10戦負けなしとなり、17位に沈んでいた順位は、最終的に6位まで上昇。15年ぶりのJ1復帰をかけて、プレーオフを戦うことになりました。

試合のない日にもファンが撮影に訪れる

昇格プレーオフ 準決勝の結果は

11月26日、昇格プレーオフの準決勝がアウェーで行われました。相手は、同じ「オリジナル10」の東京ヴェルディです。

会場の「味の素スタジアム」

平野さんも応援に駆けつけ、必死に声を枯らします。

最前列の赤いキーパー用ユニフォームが平野さん

ジェフは序盤から何度も相手ゴールに迫りますが、得点に結びつけることはできず、前半34分と44分には立て続けに失点。前半を0対2で折り返します。

決勝進出には勝利しかないジェフは、後半33分に1点を返しますが、反撃もここまで。1対2で敗れ、15年ぶりのJ1復帰はなりませんでした

平野さん

できればJ1に行って欲しかったけど、今年は来年以降への土台を選手たちが作ってくれたと思ってます。

リスクを冒して、みんなで守って、みんなで攻撃していくっていうオシムさんが教えてくれたサッカーを体現していました。

昨日もオシムさんの像のところに行って、勝たしてくださいってお願いしたんですけど、オシムさん、私の言うことは今日は聞いてくれなかったので、来年こそは聞いてもらおうと思います。

今年の戦いを終えたジェフ。オシム氏なら、こんな言葉をかけるかもしれません。

「君たちはプロだ、休むのは引退してからで十分だ」

(「オシムの言葉」木村元彦著/集英社インターナショナルより)

  • 池田侑太郎

    千葉放送局記者

    池田侑太郎

    2022年入局。警察担当とスポーツ担当を兼務。

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