ページの本文へ

NHK仙台WEB特集

  1. NHK仙台
  2. NHK仙台WEB特集
  3. 難関突破 仙台出身の将棋棋士 山川泰熙四段誕生

難関突破 仙台出身の将棋棋士 山川泰熙四段誕生

  • 2024年04月25日

藤井聡太八冠の活躍で盛り上がる将棋界に、仙台市出身の新たな棋士が誕生しました。
山川泰熙(やまかわ・たいき)四段、25歳。プロ棋士になれるのは半年に2人と道のりは険しく、原則26歳までという年齢制限もあり、山川四段は制限ギリギリでこの難関を突破しました。「諦める気持ちはなかった」と振り返る、山川さんの将棋にかける思いとは。

(仙台局 岩田宗太郎記者)

仙台出身のプロ棋士 山川泰熙四段

将棋の棋士、山川泰熙四段。仙台市出身の25歳。ことし4月にプロ入りし、新たなスタートを切りました。山川さんが将棋を始めたのは、小学1年生の頃。父親に教わる中、将棋の奥深さに魅せられたと言います。

「仙台に住んでいたときは、勾当台公園を散歩したり、自然が豊かだったので虫を捕まえたりした思い出があります。将棋の基礎は宮城でたたき込まれました。
小学1年生から将棋を始めて20年になりますが、たった9×9の盤面なのに、絶対に同じ展開にはならず、奥深い。それが魅力です。プロになれたことは素直にうれしく、周りの皆さんに良い報告ができたのでほっとしています」

山川さんは将棋を始めると、みるみる実力をつけ、頭角をあらわし始めます。2010年に行われた、将棋の小学生名人を決める大会では優勝。プロ棋士の登竜門ともいえるこの大会。将棋界に新たなスターが誕生すると期待がかかりました。

そして、小学6年生で「奨励会」、日本将棋連盟の棋士養成機関に入会。本格的にプロを目指し始めました。

地獄と言っても過言ではない『奨励会』の日々

「奨励会」では、プロを目指すおよそ180人がしのぎを削ります。6級からスタートし、一定以上の成績を収めてランクを上げます。三段になると、半年ごとに組まれるリーグ戦「三段リーグ」にのぞみます。上位2人が四段に昇段。プロ棋士になることができるのです。

山川さんは奨励会入り後、18連勝するなど次々に昇級。19歳で「三段リーグ」入りを果たしました。しかし、三段リーグが大きな壁として立ちはだかります。

全国各地の天才たちが集まり、誰もが死に物狂いでプロを目指す中、山川さんは勝ち越すことすら難しい状況が続きました。負けが込んでくると、モチベーションを維持することもできなくなりました。

「リーグ戦の序盤で負けてしまうと、その期は昇段争いに加わることができない。その後の半年ムダになってしまうという、リーグ特有の厳しさがあります。正直モチベーションの維持はできておらず、今期は上がれないからしょうがないというメンタルで指していて、それでは良くなかったと思っています。生意気に聞こえるかもしれませんが、小学生名人を獲得して、奨励会に入って18連勝して、そういうことは誰にでもできることではないと思っていたので、もっと早く昇段できると思っていました」

しかし、奨励会は、原則26歳までに四段に昇段できなければ退会するという規定があります。19歳で三段リーグ入りした山川さんも、だんだんと年を重ねていくなかで、焦る気持ちが出てきたと言います。

「24歳くらいの時から、徐々に年齢制限が迫ってきているなと、嫌でも思いました。実力ある方でも奨励会を退会したり、早い段階で諦めて別の道を歩んだりする人もいて、仲が良かった人、面識があった人たちがどんどんいなくなるのはさびしいと思うところもありつつ、年齢を重ねると自分もその立場になっているので人ごとではないなと。奨励会は、地獄と言っても過言ではなく、2度と戻りたくない場所です」

転機が訪れたのは、1年ほど前に参加した将棋の研究会でした。研究会の主催者は永瀬拓矢九段。藤井聡太八冠とも何度もタイトル争いを繰り広げ、ストイックなまでに将棋に打ち込む姿勢から『軍曹』の異名で知られるトップ棋士です。

山川さんは研究会に参加する中で、永瀬九段の将棋に向き合う姿勢に刺激を受け、気持ちを新たにしたと明かしました。

「永瀬九段の研究会でたまたま1人、人員が足りなくて声をかけてもらいました。リーグ戦で用意していくのと同じくらい、将棋の作戦を用意して行きました。研究会中は無駄なおしゃべりはしないし、本当に将棋に打ちこむ雰囲気があります。研究会が終わった後の疲労感も、これまでとは別のものがありました。あれだけのトップ棋士が、毎日、こんなに真摯に将棋に向き合って努力しているのだと感じた。その姿をみて、『山川を研究会に呼んで良かった』と思えるように頑張ろうと、身が入りました」

そうした中、去年10月から始まった三段リーグでは、次々に勝ち星を重ねていきました。リーグでは18局、対局しますが、残り4局を残して12勝2敗。このままの調子でいけば、プロ入り目前というところで、2連敗してしまいます。

「2連敗した時は、流石に目の前が真っ暗になりました。世界が白黒に見えて、遠征先の大阪からどうやって新幹線に乗ったかも、戻ったのかも覚えていない。これで今期終わっちゃったかなと」

そんな山川さんを支えてきたのが、師匠の広瀬章人九段です。八大タイトルのうち「竜王」と「王位」の獲得経験のあるトップ棋士です。ふだんはおおらかな人柄で知られる広瀬九段ですが、昇段がかかる弟子に向かって、初めて厳しいことばをかけたといいます。

(広瀬九段)
「山川が三段になった時には将棋も指しましたし、勉強法や精神的心構えも伝えました。将棋に気持ちが入ってない時ははっぱをかけたことも。
今期は昇段の可能性が高かったので、連敗して、その後の対局にのぞむときに厳しいことを言いました。『最終戦は最後の壁になると思うし、この壁を乗り越えられないようだったらプロになっても先はない』と。師匠として何か言っとかなければという思いでした」

(山川さん)
「最終戦の2、3日前に、師匠から『これを乗り越えられないようでは棋士になっても厳しい』と言われました。普段厳しいことを言わない人なので、師匠っぽいことを言ってくれるんだなと。気を引き締めて対局にのぞむ良いきっかけになりました。諦める気持ちはなく、最後までやれることをやってだめならしょうがないという気持ちでした。年齢的にも今期がラストチャンスかなという思いもあって、これ逃しちゃうような人生だったらもう棋士にはなれないなと」

そして、ことし3月。最後の対局で勝利。プレッシャーをはねのけ、制限ギリギリでプロ入りを果たしたのです。山川さんは、昇段を師匠に電話で伝えるとき、思わず泣いてしまったと当時の心境を振り返ります。

(山川さん)
「電話で泣きながら報告しました。『昇段しました』みたいなことを言ったと思うんですが、その瞬間の記憶がなくて、初めて師匠に泣き声を聞かせてしまいました。泣かないだろうなと思っていたんですが、自然と涙が出ちゃいました」

(広瀬九段)
「最終局に勝てば昇段が決まるということは知っていたので、電話が鳴るのを待っている状態でした。なかなか落ち着かない時間が長かったのですが、電話がかかってきたときには『これは勝ったんだろうな』と思いました。弟子がプロ入りする経験は初めてで、自分のことや家族のこと以外でこんなにも嬉しいことがあるのかと思いました。山川のプロ入りは、私が思っていたよりも4、5年はスタートが遅れたので、その遅れを取りかえすべく1年目から1局1局をしっかり指してほしい」

苦しみもがき続けて勝ち取ったプロ棋士への道。山川さんに今後の抱負を書いてもらうと、そこには「而今」(じこん)の文字。どんなに苦しい状況にあっても、その時の最善を尽くすという、山川さんをあらわすようなことばでした。

「『而今』は、『今、この瞬間になすべき事をなす』という意味です。長いこと棋士人生続いていきますけども、その瞬間瞬間で最善を尽くして自分のできることをやっていこうという思いです。プロとしてデビューするからには少しでも上を目指しててっぺんを目指してやっていきたいなと思っています。
また、私は宮城県出身なので、宮城や東北の皆様にも将棋を知ってもらえるよう活動していきたいです」

インタビューの最後に、「ここまで人生をかけて向き合っている将棋とは、山川さんにとっていったいどういうものなのでしょうか」と尋ねました。すると、しばらく上を向いて考えた後に、笑顔でこう応えてくれました。

「将棋は私の中では人生そのものです。何度かやめようと思ったときもありましたが、やっぱりどうもやめられなくて、自分の一部になっています。それが私にとっての将棋です」

  • 岩田宗太郎

    仙台放送局記者

    岩田宗太郎

    2011年入局 宇都宮局、科学・文化部を経て 2022年8月から仙台放送局 仙台では、ホヤをさばいては味わう日々を過ごしています

ページトップに戻る