ページの本文へ

NHK仙台WEB特集

  1. NHK仙台
  2. NHK仙台WEB特集
  3. 被災地からの声 キャスター津田より「宮城県 仙台市」

被災地からの声 キャスター津田より「宮城県 仙台市」

2024年4月20日放送
  • 2024年04月25日

 

いつもご覧いただき、ありがとうございます。
 今回は、宮城県仙台市です。人口109万の東北最大の都市で、震災では、関連死を含めて約930人が犠牲になり、3万棟以上の建物が全壊しました。震災の5年後には、災害公営住宅の整備とプレハブ仮設住宅の退去が完了。2019年に東部復興道路が全線開通し、ハード面の復興事業は終わりました。

 はじめに、多くの家屋が流出した若林(わかばやし)区荒浜(あらはま)に行きました。ここでは去年11月、全天候型の室内練習場がオープンし、野球やフットサルなどの練習で利用されています。特に野球の設備はプロも使う最新型で、ボールの回転数や回転軸、打球速度なども即座に計測できます。交流の場としてカフェも併設し、防災イベントなどを行ってきました。施設を経営する今野幸輝(こんの・ゆきてる)さん(57)は不動産会社の社長で、中学生の頃から荒浜の海でサーフィンをしてきました。

 「荒浜にはたくさん友達もいたし、世話になったいろいろな人たち、その人たちが流されたというのがショックでね…。この場所を利活用する話があって、俺が育った、サーフィンで通った所だから、是非やりたいという話をしました。これからの子たちは、昔ここに家があったのは分からないから、バッティングセンターがある所、カフェがある所と、新しくみんなの記憶の中に入れていきたいです」

 今野さんと施設を共同経営するのが、清川晋(きよかわ・すすむ)さん(45)です。タクシー会社の役員で、荒浜を盛り上げたい思いで今野さんと意気投合し、施設運営に乗り出しました。

 「“語り部タクシー”っていう、この辺をまわって当時の被害とか、防災の話をするサービスをやっているんですが、ご縁をいただいて、人をたくさん集めて盛り上げるお手伝いが出来て、頑張ろうって思います。“こういう施設、待ってたんだよ”と言って、少年野球の子たちも来てくれたんです。楽しく練習できるスペースができたとすごく目を輝かせて、その言葉を聞けただけでも本当によかったです」

 次に、同じ荒浜にある『仙台市海岸公園馬術場』に行きました。乗馬体験や指導員の育成を行っていて、馬術場の所長を務める木幡良彦(こわた・よしひこ)さん(59)は馬術競技の元選手で、バルセロナ五輪やアトランタ五輪にも出場した方です。13年前、木幡さんの家は津波で全壊し、馬術場も約10mの津波で壊滅しました。馬を避難させることができず、数日後、馬術場周辺の民家などを回って捜索を始め、可能な限り救出しました(そのうち今も3頭が生きています)。ただ、55頭いたうち、19頭は命を落としてしまいました。かさ上げなどに年月がかかり、再開できたのは今から6年前。被災したため救出した馬の一部を売却しましたが、再開時には売った馬を買い戻したそうです。

 「馬は泳ぎが結構達者なので、泳いでいる時に物がぶつかって脳震とうになるとか、そういうので水死したんだと思います。今もここで飼っているキャンディ(馬の名前)は、救出活動で一番先に見つけた馬なんで、思い入れがありますね。本当にうれしかったですよ。足元を見ても、けがは一切なかったですから。津波を思い出すので、人がこっちに来たくないんじゃないかと、お客さんが足を運んでくれるか不安でした。800人(=震災前の会員数)という数字までは、まだまだ届きませんね。より多くの人に馬を知ってほしい、乗ってほしい、生き物に触れて癒やされてほしいと思います」

 木幡さんは、亡くなった馬のために慰霊碑を作り、毎年3月11日には追悼式も行っているそうです。この5月には、馬術の県民大会もこの馬術場で開催される予定です。
 仙台市は震災後、沿岸部の1200haを超える面積を災害危険区域に指定し、家の新築を禁じました。最終的に1700戸以上が、13カ所に整備された集団移転団地や災害公営住宅に転居しました。市は2017年度以降、南蒲生(みなみがもう)、新浜(しんはま)、荒浜、井土(いど)、藤塚(ふじづか)の5地区で、約43haを対象に事業者の公募を実施しました。今では果物狩りができる「フルーツパーク仙台あらはま」や、レストランや温泉などが入る「アクアイグニス仙台」に観光客が集まり、ドッグランや市民農園、バーべキュー場、キャンプ場、公園など、着工前のものも含め、38区画の全てで用途が決定しました。しかし、市が募集をかけた面積以外にも広大な土地が残っており、景色の寂しさは否めません。

 その後、障害のある子の母親から聞き取った震災体験談を展示している、市中心部の『せんだいメディアテーク』に行きました。聞き取りを行った橋本武美(はしもと・たけみ)さんは、自閉症のある息子(※震災当時10歳)を抱え、電気やガスが止まるなか、避難所に行けないまま生活しました。自閉症の息子を置いて外出できず、食料や日用品の確保にも苦労したそうです。展示を見ると、障害のある子の母親の多くが、避難所に行けなかった事実が分かります。

 「子どもが騒いだり、走り回ったりとかする親たちは、どうしても人の迷惑になるからって、いつも引け目を感じて“申し訳ない”って思っていて、非常時でも“申し訳ないから避難所を出ます”ということになるんです。3.11のあとの普通ではない日常の中で、重い自閉症の人たちが何に困って、何があればよかったか、もう少し発信していけたらと思っていたんですけど、親たちは毎日が大変で、なかなかできないんです。今回やったことは本当に小さなことですけど、それで“何か発信してもいいんだ”とか、“うちも発信しよう”ってなればいいと思います」

 障がい者の家族が避難所に行けないのは、能登半島地震でも同じでした。車中泊や壊れた家に残った人がおり、13年経っても教訓は生かされていません。支援を必要とする人が、申し訳ないと思いながら生きていかざるを得ない社会…その社会にいる一人として、心が痛みます。すでに展示は終了しましたが、こちらから聞き取りの音声を聞くことができます。

 さらに今回は、以前取材した2人の方を再び訪ねました。震災前、宮城野(みやぎの)区中野(なかの)に住んでいた菊地司(きくち・つかさ)さん(72)は、漁師歴50年のベテランです。津波で船や漁具、自宅を失い、震災の2年後に取材した際は仮設暮らしで、こう言っていました。

 「だんだんボディーブローのように効いてきます。家、船、全て…思い出も何もない、写真1枚残らなかったから。無くなったものが大きいと、だんだん今になって思うな。真っ白だな、俺はまだ。若ければ少々借金してもやるけど、60歳を越すと、思い切ったことも躊躇(ちゅうちょ)してしまう」

 あれから11年…。菊池さんは仮設住宅のあと、今から8年前に兄や妹とともに災害公営住宅に入居しました。新たに船も購入し、今の時期は仙台湾特産の高級食材・アカガイの漁を行っています。

 「あの後もますます、ボディーブローのように効いてきたな。アカガイも2年ぐらいはよかったんだ。そのあと貝毒が出てしばらく漁ができなかった。でも、人間は目標を無くしてはだめだからな。まずは船、そして自宅の再建をずっと目標にしてきたんだ。まだ自宅再建はできていないけど、諦めてはいないんだ。俺としては復興半ばだけど、体の続く限り頑張っていきたい。生涯現役だな」

 最後に、同じく宮城野区中野に住んでいた、及川茂男(おいかわ・しげお)さん(71)を再び訪ねました。12年前に取材した方で、津波で土台しか残らなかった自宅跡地で、寂しそうにたたずんでいる姿がスタッフの目に留まりました。当時はみなし仮設のアパートに住んでいて、こう言いました。

 「残ったものは何も無いんですけど、住み慣れていたので未練が…。誰か知ってる人はいないかなと思って来てますけど、本当に悔しいっていうのしか出てこないね。これからローンの支払いとか、生活をどうするか…ローンを免除するって噂も聞いたんで、ローンを無くしてもらいたいのが一番ですね」

 その後、及川さんは家のローンを払うことができず、自己破産しました。及川さんと妻の登志子(としこ)さんはそれぞれ大病を患い、医療費もかさんで自宅再建は諦めました。しかし、9年前、次男が両親のために内陸部に家を新築し、2人の新たな暮らしが始まりました。及川さん夫婦はこう言いました。
 「年も年だし、ローンを払っていけないんなら仕方ないって、“早く自己破産したほうがいいよ、もうそれしかない”って、皆さんに言われたんですよ。でも、なかなか決心つかなくて、ようやく2人でやりました。公営住宅に申し込んで、入居手続きも終わっていたんですけど、息子が“ここに建てるから”って…。いろいろありましたね、13年間。この先どのくらい頑張れるか分かりませんけど、家族みんな元気で生きたいです。孫の成長を楽しみにしたい…どんな大人になるかな」

 震災後、『個人版私的整理ガイドライン』という、流された家のローンなどを減免する制度ができました。破産すると新たなローンを組んだり、新たなクレジットカードは作れませんが、この制度は違います。しかも、手元にある金額のうち、最大500万円は返済に回すことなく残すこともできます。ただ、“仕事や収入があるなら債務整理はできない”などと、運営機関に相談した最初の段階で認められないケースが多く、被災者の評判は低下しました。被災者のローンの問題は、能登半島地震でも同じです。

【見逃した方はこちらで】
NHKプラス 東北プレイリストで放送後2週間、配信します。

2024年3月以前の記事はこちらからお読みいただけます。
 

ページトップに戻る