「多賀城」には昔、お城があったの?

今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします!

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多賀城といえば、来年(2024年)、創建1300年を迎えるということで、最近よくポスターやニュースを見かけますよね。

先に結論をお伝えすると、お城はありました!
しかし現在は跡が残っている状態です。
こちらをご覧ください。

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こちらは、全国の選ばれた名城に置かれている「日本100名城」のスタンプ。
「多賀城」ではなく「多賀城“し”」となっています。
多賀城はどんなお城だったのか、そして今どうなっているのか、調査してきました!


現地に行ってみよう!

さっそく多賀城にやってきました。
今回現地を案内していただくのは、多賀城市の担当者、今野 庸紘(のぶひろ)さんです。

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安藤さん
「多賀城はどちらに?」
今野さん
「今は跡が残っているような状態です。
実際は天守閣のような、一般の人が想像するお城ではなくて、900メートル四方を塀で囲んだ城柵のことを多賀城、もしくは多賀城跡と言っています。」



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この地図の四角で囲ってある範囲全体が「多賀城」だったんです。
多賀城は奈良時代、当時の朝廷が東北地方を治めるために作られました。
900メートル四方の中心には、政務や儀式を行う「政庁」があったとされています。

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今野さん
「東北の政治・軍事の拠点である国府として、多賀城が作られたという形です。」


そして、多賀城の成り立ちがしめされたこんなものも残っていました。

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江戸時代に発見された石碑です。

今野さん
「多賀城は西暦724年に創建されておりまして。
そのことがこの国指定の重要文化財、多賀城碑に刻まれています。」

城と同じ時代に作られた石碑には、すでに「多賀城」の文字が。

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「賀」は喜びの意味。
喜び多き城として、東北の平和と安泰を願ったといわれています。


多賀城の“いま”

現在、あるものを復元中だといいます。

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今野さん
「こちらが今、復元に取り組んでおります、南門(なんもん)でございます。
南側の門で、多賀城の玄関口にあたるところでございます。」
安藤さん
「ここだけ急にタイムスリップしたような…
復元の構想はもともとあったんですか?」
今野さん
「そうですね。30年以上前から構想はございました。
ようやく実現しまして、イメージがしやすい、こういうシンボルが建てられるという状況になっております。」

復元する南門は、高さ14メートル。
両脇に、高さ4.5メートルの塀も作られる予定です。
発掘調査で出土した瓦から型を取ったり、周囲の建築物の情報を参考に復元をしているのだそうです。

今野さんは南門について、「これを入り口とした広大な多賀城があったということを、ぜひ想像していただきながら見ていただければ」と話していました。
今回の撮影後、周囲に足場が組まれて今は見ることができませんが、創建1300年となる来年(2024年)にはお披露目される予定です。


工事現場にはこんなものも…


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こちらは工事現場の仮囲いです。
地元の中学生が描いた「南門」の絵が飾られています。
こうして地元でも創建1300年を盛り上げようとしています。


安藤のひとこと。

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安藤さん
「多賀城は日本三大史跡とされながらも、そこまで全国的な知名度が高いわけではなかったんじゃないかなと思うのですが、今回この南門ができたことで一気に古代への想像力が膨らむようなものができました。
また違う味わい方ができるようになったと思いますので、ぜひ多くの方に足を運んでいただきたいなと思いました」





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