仙台のもう一つの城 若林城の歴史

今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします!

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仙台城なら知っているけど、若林城はイマイチ…という人もいるのではないでしょうか?
今回はそんな若林城について、ジャス(仙台弁でジャージのこと)を着た、安藤さん率いる調査隊・通称「ジャス隊」が調査してきました!


どんなお城だったの?

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早速石碑がある若林区古城(ふるじろ)にやってきました。
今は宮城刑務所の所在地になっていますが、ここに若林城があったようです。

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寛政元年ごろの「仙台城下絵図」です。
若林城跡の周りは、水路を表す水色でぐるりと囲まれています。


どんなお城だったのか、仙台市史の編さんにも携わった尚絅学院大学の千葉 正樹教授にお話を伺いました。

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千葉教授
「若林城は寛永5年、1628年に作られまして政宗が晩年を過ごした。
8年間ここで暮らしてるんですけれど、そういうお城で、今の宮城刑務所一体450m×350mぐらいの広さが若林城でした。平城ですね。」


「お堀」は見える?

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城の跡地の前にはお堀のような水路がありますが、これは農業用水路でお堀ではないとのこと。
お堀は刑務所の敷地内にあるそうですが、外から見えないか周りを散策してみました。

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千葉教授
「そこに堀らしいところがあるんですけれど…あそこのくぼんでるのが堀です。
そこに細くなった堀があるんです。」
隊員
「だいぶうっそうとしてますけど、確かにあるんだろうなという感じはしますね。」


画面越しだと分かりにくいですが、かなり幅が狭くなったお堀が遠くに見えます。

千葉教授は、政宗公が若林城を建てることによって城下町を大きく発展させたのではと考えているといいます。

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千葉教授
「こちら側(若林区古城)というのは、昔『国分』という領主がいたんですけれど、小さい城下町があったらしい。
2つの城下町を合体して新しい政宗晩年の城下町ができあがったということがありましたので、城下町としては2倍に膨れ上がっているんですね。
だから政宗としては若林城を作りながら仙台城下町をより大きく、そういう意識もあったんじゃないのかなと思います。」

城門が残っていた!

若林城の門が、2キロほど離れた若林区新寺にある、松音寺に残っていました。

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千葉教授
「これですね。旧若林城門って書いてある。
お寺の建築ではないですね。お城の建築です。直線的に出来上がっているところがありますから。
風格ありますね。」


若林城の多くの建築物は仙台城の二の丸に移築されたあと焼失してしまったため、この門は城をしのぶ貴重な建築物となっています。

そして若林城の完成に合わせて、荒町から河原町の町割やお城に向かう道路の整備なども行われ、いま私たちが暮らす町の礎となっています。


安藤のひとこと。

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安藤さん
「仙台城と比べるとまだ知名度の低い若林城なんですけれど、間違いなく今の仙台の町を形作った一つの功績ですので、ぜひより多くの人に目を向けてほしいなと思います。」

 


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