【東日本大震災から11年】元ベガルタ仙台、大久保剛志の"飽くなき情熱"

遠く離れた異国の地で挑戦を続けるサッカー選手がいる。

宮城県岩沼市出身の大久保剛志(おおくぼ・ごうし)だ。
ベガルタ仙台のユース出身で2005年にトップチームに昇格。ソニー仙台やモンテディオ山形などでもプレーし、2014年から東南アジア・タイのリーグで活躍している。今年で36歳。ベテランと呼ばれる年齢になったが、ピッチを走り回る気持ちのこもった“らしい”プレーは、衰えを感じさせない。

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そんな大久保が、2020年8月、タイで新たな挑戦を始めた。それが、サッカーアカデミーの設立だ。現役としてプレーする傍ら、子どもたちに技術や自身の経験を伝えている。
去年11月、そのアカデミーとかつて大久保が所属していた『岩沼西スポーツ少年団』がパートナーシップ契約を締結。コロナの影響でまだ制限も多いが、タイと日本の子どもたちが同じユニフォームを着て、同じ練習メニューでそれぞれの国でサッカーに取り組んでいる。まさに、国際交流の架け橋になっている。

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様々な挑戦を続ける大久保。そんな彼を突き動かしているのは、2011年の東日本大震災での経験だ。
当時はベガルタ仙台に所属。チーム練習後の昼食中に被災した。すでに始まっていたJリーグは中断。県外に避難する選手も多い中、大久保は家族の面倒をみながら食料調達に一日中走り回った。「とにかく毎日必死で、サッカーどころじゃなかった」と振り返る。しかし、大好きな故郷の変わり果てた光景を見て、大久保はボランティアでサッカー教室を開くことを決意。被災地にはまだ十分に食料が行き届いておらず、ガソリンスタンドも開いていないため車も自由に使えない。「今やることではない」、そんな声も多くあったが大久保の思いは違った。
「今だからこそ」。
不安を抱える子どもたちの心を“今だからこそ”少しでも楽にしてあげたい。地元・宮城でプロサッカー選手にまで成長させてもらった大久保にとっての恩返しでもあった。2011年3月26日、岩沼市で開かれたサッカー教室には、無我夢中でボールを蹴る子供たちの笑顔があふれていた。多くの保護者から感謝を伝えられ、大久保もようやく胸をなでおろした。この取り組みが原点となり、タイでのアカデミー設立へと繋がっていく。

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「今日がいつも通りでも、明日何が起きるか分からない。だからこそ、今できることに全力。毎日ベストを尽くしたい」。
東日本大震災の後、自らの意識の変化を大久保はこう話した。
異国の地で続けるサッカー、選手とアカデミーの両立、毎年行う被災地でのボランティアのサッカー教室。どれもが、日々ベストを尽くしている“大久保剛志”そのものだ。