未来への証言 夫の命を奪った津波

(初回放送日:2024年3月12日)
※NHK仙台放送局では震災伝承のため被災者の証言の音源を保存・公開しています。

亘理町荒浜に住む福島麻衣さんの証言です。
福島さんは震災当時35歳。自宅は海から1.7kmほどの所にあり、地震のあとすぐに1歳の娘を連れて避難しました。しかし、トラック運転手として働いていた夫は、福島県の沿岸部で津波に襲われ、亡くなりました。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

福島さん)旦那がトラックの運転手で、3月11日に帰って来る日だったので、旦那のリクエストのサラダと煮卵としょうが焼きだったかな、の材料を買って、帰ってきたときに地震があったので、すごい揺れだったので、長い揺れだったので、とりあえず娘に物が当たらないように抱っこして、慌てて娘の母子手帳とおむつとをマザーバッグに入れて、それで内陸の方に急いで逃げました。とにかくここから離れなきゃというのが一番でしたね。

宮﨑)避難している最中に旦那さんとは連絡が取れたんですか?

福島さん)地震直後に1回電話が来て「福島にいるから。すぐ行くから」って言われて電話が切れたんですけど、ちょうど避難しているときにもう1度電話をかけたんですね。だけどつながったんですけど何も音が聞こえなくて「津波が来るからすぐ逃げて!内陸の方に私逃げてるから!」って言って電話切れたんですけど、それが最後の電話だったのかな。

宮﨑)津波で亡くなった?

福島さん)そうですね。はい。4月16日。1か月後ですね、見つかった時はほっとしたのもありますし、絶望感もあったし「ここにいたんだー」っていう。「帰って来れなかったんだねー」って。つらかったですね。うん。家も建てて娘も生まれて、これからっていう未来しか想像していなかったので、全く先が見えませんでしたね。絶望感で。絶望しかなかったですね。

夫を亡くし、苦しい日々を送っていた福島さんは、8年前に大病を患いました。このことがむしろ自分や娘を大切にして生きる気持ちを取り戻させてくれたといいます。

福島さん)もう何か「どうでもいいや」って思って自分の体も粗末にして生活していたので、自分の心も壊れたまま過ごしていたので。子宮頸(けい)がんでした。全部手術もして放射線も抗がん剤も全部やって。

宮﨑)つらくなかったですか?

福島さん)つらかったですね。これで娘一人残していったら、それだけは絶対だめだと思って。自分を大切にしよう、自分を愛してあげようっていう気持ちがものすごく出てきましたね。泣くのも我慢していたので。泣きたいときは泣いていいんだと思って。自分らしく生きていきたいなって思いました。

宮﨑)娘さんと、旦那さんの話はしますか?

福島さん)毎日しますね。教えてないのに。娘、旦那そっくりなんですよ。やることも、食べ物も、煮卵も大好きで、茶碗の持ち方も一緒だし。「わーパパと一緒だ」とか、しょっちゅう話します。

宮﨑)娘さんはそれに何て言うんですか?

福島さん)「パパに似たからねー」って言って喜んでいます。自分らしく、娘もいてくれたらいいなってすごく思うので、だからいつでも帰って来れるようにここにいたいし、自分のやりたいことやって羽ばたいてくれて、たまに帰ってきたときに「おかえり」って言っている未来を想像しています。