未来への証言 「想定外」を想定する

(初回放送日:2024年3月6日)
※NHK仙台放送局では震災伝承のため被災者の証言の音源を保存・公開しています。

七ヶ浜町花渕浜地区で自主防災会の役員をしていた鈴木享さんの証言です。
鈴木さんは当時57歳。地震のあと、地区の住民が一時的に避難するために指定された一時(いっとき)避難場所に向かいました。しかし、そこは安全ではないと判断し、高齢者など40人余りを連れてさらに高台へ避難しました。この判断が、結果的に全員の命を救うことになりました。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽



手嶌)一時避難場所というのはもともと鈴木さんたちの地区で地震・津波に対して備えてきた避難場所ということですか?

鈴木さん)そうですね。一時避難場所というのは、地区の住民どうしで話し合って、体の不自由な人でも20分以内に到達できる避難場所。命だけはとにかくつなげようということで指定していたんですよ。ですから、当日47名。ほとんど高齢者。私より若い人が幼稚園の先生を含めると5、6人。その他は私よりほとんど上の人だったですね。

手嶌)そこから避難されてきたみなさんを連れてさらに高台に避難されますけれども、何をきっかけにさらなる高台への避難をしたんでしょうか?

鈴木さん)ラジオの情報を聞いていて、3時半ごろか。「気仙沼で10mの津波を観測しているもようです」という情報が流れたんで「え、10mがもし本当だったら、ここはもう3.3mなんで全然だめだ」ということで、高齢者の方、ほとんどが幼稚園バス、園長先生もいたので。幼稚園バスに乗っていただいて、乗れなかった高齢者は乗用車に乗っけてもらって。で、移動開始が30分過ぎぐらいに移動を開始したんですよ。

手嶌)15時半過ぎに。

鈴木さん)15時半過ぎに。安全な所に上って見ていたらもうみるみるみるみる家が流されてきて、一時避難場所に避難した地面はもう、ものすごく水がどんどんどんどんたまっていって。もう今考えるとやっぱり恐ろしいですよね。

手嶌)津波から地域のみなさんと一緒に避難できた。この結果を生んだことは、改めて何が良かったと考えていますか?

鈴木さん)やっぱり常日頃からの地域での防災訓練ですね。年に1回、実際に移動する避難訓練。一時避難場所に避難。そういうのを通じて地域住民と常に顔見知りだったんですね。そういう流れで地域住民の人たちは…まあ私を信頼してくれていたんだと思うんですね。「高台に上がるよ!」「お墓に上がるぞぉみんな!」って言ったときに、まあ「享くんが言うんだったらしょうがねえな」と。「じゃあ上に上がるか」と。反対する人は誰もいなかったんですね。すぐ行動に移れたっていうのが、助かった理由じゃないかなと思うんだけどね。

手嶌)みなさんの顔が見える関係が吉と出て、意見が通りやすい状態になっていた。

鈴木さん)結局地域住民との意思疎通が最大の要点じゃないですかね。「ここは海抜何mですよ」と。ですからそれ以上の津波が来たらもっとさらに逃げるとか。そういうことはもう自分で判断してくださいということを座談会の中でみんなで話し合っていたんですね。その住民同士の話し合いが、住民の防災意識を自然と高めていたんだね。決して思いつきで行動したわけじゃないんですよね。そういうのも「想定外の想定」をしていたっていうのがプラスだったんだっちゃね。