消えぬ後悔 母との別れ

(初回放送日:2022年2月28日)

※NHK仙台放送局では震災伝承のため被災者の証言の音源を保存・公開しています。

仙台市宮城野区の遠藤芳広さんの証言です。
海から1kmほど離れた新浜地区で暮らしていた遠藤さんは当時60歳。ラジオで大津波警報が出されたことを知ってからおよそ30分後、自宅にいた母親とこれから避難しようとしていた矢先のことを振り返ります。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

遠藤さん)「じゃあそろそろ行こうかな」と外に出た時に、わが家の窓が開いていたんでそこを閉めに行こうと。「ちょっと待って」ということでおふくろに。2階に行って窓を閉めてくるからと。

打越)逃げる前ということですね?

遠藤さん)ところが窓までなかなかたどり着けなかった。倒れた本棚とかいろんなものがごった返しになって。階段の窓から外を見たら水が来ていた。その時に「あ、これは津波だ」と、その時初めて分かったんですよ。それで、おふくろが下にいるなと。階段を降りていったところ、ちょうど階段の角にね、柱の所につかまっていた。それをおふくろの手を握って階段の方に引っ張り込もうとしたんですよ。ところが波が強いっていうか勢いが。それで建材関係が私の体にぶつかってきたりして。必死にぐっとしがみついていた。手すりに。もう1回足場を固めてと思ったけど、私自身の目のあたりまで水が来たんで「これはだめだ」と。握っていた手を「ごめん」っていうことで離した。

打越)お母様は…。

遠藤さん)その時亡くなりました。なかなかおふくろの遺体も見つからないんで「ああ流されたのかな」と思ったのね。1階部分は潰れちゃったから。1週間は経っているね。自衛隊の人に全部撤去してもらって探してもらったんです。解体しながら。家の中で見つかったんで、おふくろが守ったんだと。我々を守ってくれたと。私を守ったということは私の家族を守ってくれたと。そういうことなんだなあと。私も手を離した時の、今言えるけど、なかなか人には言えなかったですよ。自分から手を離したっていうのは。だから全てこっちに責があるなあと。

海沿いの道路をかさ上げし、防潮堤の機能を兼ね備えることで、新浜地区にも次第に住民が戻ってきました。遠藤さんも元の土地に自宅を再建し、現在町内会の会長を務めています。津波注意報や警報が出たら躊躇(ちゅうちょ)せずに逃げる。震災を教訓にいざという時、住民の命を守る行動につなげることを第一に考えています。

遠藤さん)やはり家族の連絡先だとかね、車で避難する時は町内会の専用道路を使って避難道路を使ってここに避難しましょうと。もう家族観で決めておくとか。町内会もそういう所はみんな話し合っていますから。町内もそうですから。そのための訓練というものをやっています。